2011年12月29日木曜日

最後のMacか?!


最新のMac miniを買いました。美しい形ですねえ。OSは遂に「ライオン」です。これまで「パンサー」「レパード」「スノウ・レパード」と買い換えて、ここまできました。良く付いてこられたという感じですが、今年スティーブ・ジョブズが亡くなったので、これで彼の哲学、美学を実現したマシーンは最後になるわけです。

これで次のマシーンが私の哲学、美学(笑)に合うものがでないと、ライオンを使い続けなければならないことになります。

ミニの下にあるのがOS9という以前のレベルのOSが使えるMacです。大きいですね。この古い機械は蓋を開ければ自分でメモリーを増やすなど、いじりやすい機械です。

2011年12月24日土曜日

メリー・クリスマス


友達が東京から来て軽井沢でクリスマスディナーをしようというのですが、雪はふりません。残念ながらホワイトクリスマスにはならないようです。予報とは違い、気温がやたらと低い零下10度以下です。

町に出ると教会にはクリスマスデコレーションが出来ています。たくさんある教会の中で最も町中にあるメインの通りに面している教会にあるキリスト誕生の情景を表したものです。

年賀状書きももう少しです。昨日は右腕が痛くなって最後まで出来ませんでしたが、今日は
出せるでしょう。

2011年12月23日金曜日

今年も町にサンタが


軽井沢は平日で町の店が休む木曜日ということもあり、通りは閑散としています。どこの教会でしょうか、多分、ユニオンチャーチかの宣教師がサンタになっているのでしょう。通りで会うだれかれにホッホー・メリークリスマスと声を掛けてカードを配っています。

千ヶ滝に戻るバスは1時間に1本もなく、そのバスをつかまえるためにお昼を食べる時間がなく、お昼は浅野屋のサンドイッチを買い、味噌はいつも軽井沢物産館で買い、リンゴ1個、タマネギ1個を八百屋で買ってもどりました。

夜は江戸原ペンションの家族が一緒に食べないかと誘ってくれました。年末年始の仕入れに前橋に出来た「コストコ」に行ってきたので、特大のピッザやソーセージなどがテーブルにならびました。われわれは、新潟のカーヴ・ドッチのワイン、「バッカス」を持って行きました。

もどって、管理人のおばさんがもってきてくれたゆずをお風呂に入れて暖まって寝ました。

2011年12月22日木曜日

23年ぶりの電気釜交換





     
       軽井沢の電気釜が遂にアウト。ごはんが炊けましたという表示のランプと音はするのですが、ふたを開けてみるとといだままのお米が炊けずに残っています。電源コードなどいろいろいじってみましたが、なおりません。修理は修理代の方が新しい釜を買う方が安くつくでしょうから、諦めて交換することにしました。

この電気釜はもしかすると阿蘇のリゾートオフィス実験で使ったものかも知れません。そういえば椅子やなにやら阿蘇から軽井沢にもってきたものが未だ健在です。電子レンジなどもよくも壊れないで今日までという感じです。

白い方がもとのもの、黒い方が新しい釜です。

2011年12月18日日曜日

小樽のニシン寿司


今年2度目の小樽です。例によって来年の小樽カレンダーを買いました。

これまでいつも食べに行く寿司屋がビルから追い出されたようで、しばらく休業中、友達は別の良い寿司屋に連れて行ってくれました。
東京では食べられない北海道のネタだけを握ってくれてましたが、最後にニシンをリクエストしたところ、店にはなかったので、近くの魚屋を当たってくれ、ついに口にすることができました。

今年はニシンが豊漁になっていて、新鮮で脂がのっていて最高でした。

前日、会議と話合いで1時過ぎまで起きていたので、お昼のビールは利きました。

2011年12月15日木曜日

アゴラ配布会


今回のアゴラ配布会は大学の校友会館にあるレストラン「西北の風」で行いました。集まったのは8人ほどでしたが、皆がアゴラを手にとって喜んでくれました。編集についての要望や次号の特集などは考えていこうということになりました。ピンクの淡い色の表紙を皆の前に並ぶとなかなかの壮観です。表紙のデザインについては最初の文字の感じが良いという評価でした。

このレストランからの景色はなかなかのものです。大隈講堂から大隈庭園を越えて、リーガロイヤルホテルなど総てを俯瞰することが出来ます。

東京スカイツリーは曇りのせいで霞んで見えました。しかし、大きいですね。

2011年12月10日土曜日

Agora16号完成


すばらしい出来ですね。自画自賛ですが編集に携わった4人はそう思っているわけです。一昨日製本があがったので、編集長のいる横浜にとりにいきました。表紙をなでて完成を喜んだわけです。

今回の号はやはり震災、津波のことが中心です。アンケートもしましたので、その時、あなたはどこにいましたか。親戚や友達で被災された方がいませんか。いろいろな回答が返ってきました。これは記録です。

書き手の文章能力もあがり、編集の能力もあがりました。14日には大学に集まってクラスの仲間に配ります。

2011年12月9日金曜日

横浜の銀杏


なんとか雨にならずにすんだ横浜のお昼時、日本大通りは銀杏が最も美しいところに出くわしました。絶好のタイミングです。

ところがその銀杏が見える洋館の窓を背にしてずらりと女性が一つ一つのテーブルに1人ずつ腰掛けてお昼をたべています。どうしてでしょうか。窓越しの銀杏を見ながらではあまりに淋しいのでしょうか。

夕方から冷たい雨の中を知り合いの研究所の事務所に行きました。雪氷研究所といいます。
自然災害の多い昨今、猛烈に忙しい職場です。所長に無理に頼んで時間を割いてもらいました。

地球の気象、気候を長いスパンで研究しています。何千年という単位で考えてはいるけれど
安定期から変動期に入っているのではないか、これが心配だといいます。5時間近く、様々な話をきき、協力できるプロジェクトをいくつか見つけました。

2011年12月7日水曜日

詩画展への準備


この本の表紙の女性は評論家だった丸岡秀子さん(1903-1990)です。昨夕、この丸岡秀子を敬愛する詩人からこの本を頂きました。この詩人と建築家の友達が来年5月に詩画展をやることになり、その案内文を頼まれました。昨夕、4時間程打ち合わせをやりました。

その前に昨日の午後に昔、私と同じビルの1階に長く住んでいた高級工芸品の竹篭のコレクター兼プロデューサーが約5年ぶりでやってきてくれて、非常に面白い話になりました。彼は故郷の栃木県の日光に近い山林の裾野の農家を改装して、素晴らしい竹篭美術展示館を作って
います。彼のお客はアメリカの富豪で竹篭の蒐集家達です。

2011年12月5日月曜日

紀尾井ホール


一昨日は雨上がりの午後を四谷近く、ホテルニューオオタニの前にある紀尾井ホールでモーツアルト協会のコンサートでした。ウイーン室内楽団でしばしウイーンの香りを楽しみました。

友達に出会ったのでコンサートの後、コーヒーを飲んだのですが、友達はすかさずウイナコーヒーを飲んでいました。

風の強い昨日は時計の電池が切れたので、渋谷のビッグカメラで電池を買い、その後、東急の地下に入ってお昼を何にしようかとうろうろしていて、500円以内のお弁当でもないかと探していると、運良く「ビーフン」472円を見つけました。よく見るとこの店の名前は
「サイゴン」、ベトナムのサイゴンですよ。

今のホーチミン市ですが、「サイゴン」という名の響きが良いですね。フランス領だったヴェトナムの首都、カトリーヌ・ドヌーブの映画があります。あの緑、あの太陽、あの香り。サイゴンです。

2011年12月1日木曜日

原宿駅のホームから


今日は寒い一日になりそうですが、11月最後の昨日は暖かく、黄色に輝く銀杏の葉も長持ちしているようです。

お昼は久しぶりに近くのイタリアンに行きましたが、中に立って待っている人がいるほどで待つのはあきらめてスパニッシュにしました。Las Bocas 店の名前です。このスペイン語をなんど聞いても忘れてしまいます。「多くの口」という意味だそうです。そういえばフランス語で「口」のことを La Bouche ということを思い出しました。ここで3人ともランチプレートをとりました。

原宿の事務所に寄ってレーモンドの建物と図面をチェックしてきました。レーモンドが戦前に設計を依頼された財界や政界の人達の関係を研究することがテーマになりますが、案外、日本社会の構造がわかるヒントになりそうです。

渋谷に戻り、金王八幡に寄りましたが、お水のひしゃくが4本になっていました。華了さんのひしゃくは健在でした。神社のいちょうは未だ完全に黄色になっていません。

戻って、Agoraの印刷状況は予定より大分早く、この日で39部、残り11部で問題なさそうです。

2011年11月24日木曜日

日本最初のログハウス


今日、レイモンドの僅かに残る別荘を見事に再生した建築家の案内で特別にフランスのレイモンド研究者を入れて4人が伺いました。日本人は最近ヴォーリズの建築に人気が集中させていますが、そのヴォーリズが好まれるポイントのすべてがレイモンドのこの建物にあります。
昔の夏の軽井沢の環境をここまで反映させた建築家はいないでしょう。

その横に不思議なことに日本最初のログハウスではないかという建物が建っています。

これはレイモンドが知っていたかどうかわかりませんが、施主の日本有数の実業家が輸入したのではないかといわれています。

2011年11月18日金曜日

解禁2日目


今日のお昼時間に、住友クラブで読書会をやりましたが、クラブのスタッフが気を利かして「ヴォジョレ・ヌーヴォー」を出してくれました。

仲間の1人が傘を忘れたのですが、これもクラブのスタッフが47階から住友三角ビルの外まで追っ掛けて届けてくれました。一同、今日は長い間住友に勤めて良かったと。

今日の議論の内容は果たして国というものが今や意味があるのか、民主主義によっていきつくところポピュリズムによって国が破綻するしかないのではないかという結論です。

2011年11月14日月曜日

ファラフェル


しばらく東京ですから、東京でのいろいろを書くことにしないと、ブログが止まってしまいます。

昨日のお昼は青谷のファーマーズ・マーケットで中近東料理「ファラフェル」食べました。これはたくさんの香料を使った野菜の団子のようなものがレタスやキュウリなどにくるまれ、それを固いパン生地の焼いたものでつつんでいるものです。

土曜日は大学に行って、最近のオペラ事情について後輩の音楽評論家の話をきき、夜は大学のクラブの仲間と集まりに出ました。

ここで、少し後輩の仲間から軽井沢に家があり、夏は行っているとの話をききました。これは
又、軽井沢での楽しみが増えます。

先週は月曜日にポーランド駐日大使の招待でポーランド詩人の夕べに出かけたほか、いずれも関係プロジェクトとのひろがりです。

2011年10月31日月曜日

今週末


軽井沢の週末で紅葉がもう少しで終わるというところ。今朝、東京に向かう新幹線に乗るために6時55分のバスで出ようとするところです。霧が立ちこめる直前のバスの車庫前の様子です。紅葉は少し曇りとか雨、霧の中でしっとりと赤い色が良く見えます。

この週末はなんだがさえない感じでした。だれもが夏の疲れを感じているような元気が出せない気分でした。土曜日は午前テニス、午後、別荘ウオッチングの手伝い、日曜日は雨で、午後、おとなりが今年はこれで最後だというのでお茶に呼んで2時間話した後、また江戸原ペンションに行ってご主人と1時間話して、もう暗くなってしまう。

2011年10月21日金曜日

大学の秋



大学にいってビールを飲んできました。うちのクラスの名物男が模擬店の早稲田ビール販売の
ところで女性を呼んできたりして盛り上がりました。

OBとかいって偉そうに出来る日なので、後輩達が親切にしてくれるのを楽しみに来るのですが、これもなんとかは金次第で、なにかと買ってやらなければなりません。

大学はまだ工事中で今度は昔、本部だった建物をこわして高層を建てるようです。

2011年10月11日火曜日


今年の軽井沢は栗やどんぐりが少ない。これは夏がひどく暑かったせいでしょうか。そして、山から餌を求めて熊がやってきているようです。100メートルも離れていない近くの国有林から、熊が出没している警戒警報です。うちの庭に見慣れない大きな糞がありました。管理人のおじさんに見て貰いました。

これだけの糞をする大型の動物はイノシシの親か熊の大人です。この形状では熊らしいとおじさんが糞を転がして裏をみるとどんぐりが一杯。どうやら熊ではないかとのことです。

うちの庭に熊が来たとするとなかなかのニュースです。木の葉が色づいて日に日に秋がふかまっていくので、熊も焦って餌を食べているようです。

2011年10月6日木曜日

変化激しい靑山通り




フランス人の友達に毛布を貸して、ランチを一緒に食べて彼女が自転車で帰った後、天気が良いので久しぶりに靑山通りを歩いてみました。

実にたくさんの古い店がつぶれていました。新しいところは仮設小屋のような店が出ています。靑山通りのように賃貸料が高いところではなかなかやっていけないのでしょうか。確かに景気も良くありませんから、こんな通りで買い物をしたり、食べたりすれば高いものに付きます。

港区のばかな政策で並木をごっそり抜いてしまい、それが、余計通りを殺風景なものにしつつあります。結局、われわれもコーヒー一杯も飲まずにただただ歩いて戻りました。

2011年9月27日火曜日

中軽井沢駅の夕方


昨日、この中軽井沢駅に戻って来ると、もう5時を過ぎていました。美術館巡りのバスが北回り、南回りの最終便が待っています。千ヶ滝営業所に行くバスは5時33分です。ちょっと時間があるので一歩きして夕方の浅間山のシルエットを撮りに行きました。

今朝は運良く立ち寄った弟の車で中軽井沢まで送ってもらいました。それが朝の11時ですから少し出るだけで6時間以上、半日コースになります。

駅の大改良工事でどうなりますか。すくなくとも現在はなんとなく淋しい夕方の中軽井沢駅周辺です。

2011年9月26日月曜日

雨戸


昨日は東京日帰りでした。朝、軽井沢発7時32分、平日は千ヶ滝営業所発、6時55分のバスで駅まで行くのですが、昨日は日曜日だったので、家から中軽井沢駅までタクシー、信濃鉄道に乗り継いで新幹線に乗ります。普通の日は奥さんが作ってくれるサンドイッチを車内で食べるのですが、昨日は私一人の出張で、奥さんも寝ていますので、東京駅で外に出ないで、朝ごはんなどを買います。

いろいろ仕事をしたり、学会の受賞パーティに出たりして、夜は高円寺からお茶の水乗り換えで東京へ出て、午後8時40分の新幹線で、これも信濃鉄道、タクシーと乗り継いで、10時ちょっと過ぎには千ヶ滝の家に戻り、パーティで十分食べられなかったので、残っていたおにぎりを食べて休みました。

今日は久しぶりに東御市の玉村豊男夫妻のところに行ってヴィラデストのランチを食べて来ようと思います。

この写真は先日の台風で雨戸を閉めたのはいいのですが、たまに雨戸を使ったので、朝になって開けようとしたら、この1枚がどうしても動きません。

2011年9月16日金曜日

残暑続く東京


東京に戻ってくるとまだまだ大変な暑さです。事務局長を誘ってお昼を食べた後、金王八幡神社が改装されているというので立ち寄りました。境内にあった仮事務所が取り払われて後ろに出来た立派な舎屋に引っ越していました。

新しい舎屋を覗いていると,中から神社の事務局長のような人が奧から、うちの事務局長に挨拶に出てきました。すっかり顔になっているらしいのです。今週末に記念の行事がわんさかあります。御神輿も境内で奉納できるようになりました。

神社が元気なことは地域の活性化に役立つことがわかります。

境内の参道に秋祭りの提灯の影がくっきり。

2011年9月5日月曜日

原稿書き


懸命の原稿書きです。東京から宅急便で運んだ資料をひろげ、年表をカーテンに吊し、あちらを参照、こちらを読み直し、なかなかはかどりません。

今日は聖路加を支援した人たちの一人、阪井徳太郎について書きました。阪井徳太郎て?
知っている人はほとんどいないでしょう。とすれば、ある程度説明をしなければなりません。

実際は驚くべき仕事をしているのですが、うまく説明できません。あせると余計説明が平板になってしまいます。

2011年8月31日水曜日

8月31日


30日、朝、東京に。思ったよりからっとした晴れで、日差しは強く暑いが、日影は涼しくて風もあり秋か、これなら東京生活かと思ったところ、今日は気温は28℃かそのあたりですが、湿気が多く、暑くて昨日うちではいらなかった冷房がいります。写真は昨日のもので、日影が濃くて良い感じだったのです。

フランスから友達が早稲田で1年間研究生活をするとのことで、部屋が見つかるまで、うちの事務所に泊まります。部屋の片づけ、掃除などやりました。面白いようにゴミが出ます。
語学のテキストなど捨てました。全く、とっておいても見返したことがありません。語学が上達しないわけです。

台風が接近、彼女が無事に着くとよいのですが。

2011年8月29日月曜日

また消えるヴォーリズ建築


まあ、驚いたことにヴォーリズ建築を保存する会の会長から、ごく当たり前のように、ブラックモア(東洋英和女学院の創立者)の別荘が壊されるという話が出ました。

あわてて筑波大学の先生と現場に駆けつけ、やっと写真を数枚撮ることができました。

これが、ヴォーリズ建築が一戸しかない町であれば大騒ぎになるところですが、軽井沢です。
60数戸あったものが半減していますが、まだ30もあれば、一つや二つ無くなってもなんていうことはありません。これが軽井沢町です。

2011年8月26日金曜日

雨の合間に


雨が断続的に降るので自転車が使えません。

夕方の5時4分前のバスで先ず中軽井沢駅に下ります。これは片道270円です。中軽井沢からつるやまでの町内循環のバスは終わってしまいました。中軽井沢駅からつるやまでタクシーに乗り、買い物中待たせておいてうちに戻ると、3千円を超えますから、行きは歩くことにします。15分ほど歩きます。幸い雨に降られずになんとかつるやに到着、

いろいろ買って重くなったのでつるやでタクシーを呼び、家に戻りました。2つある信号と、星野近辺の渋滞がなかったのですが、2,040円になりました。

つるやの駐車場が一杯です。今年はお盆過ぎても軽井沢にいる人が多く、あちこちで渋滞です。

2011年8月20日土曜日

ヴォーリズネットワーク幹事会


一旦東京に一泊して暑さに身体を慣らし、翌日の10時過ぎに出て、東京→新神戸→三宮→阪急六甲→六甲山頂、到着は16時30分。

軽井沢よりやや涼しいか。神戸から車で30分もあれば行けるのではないかと思いますが、こんなに都会の近くに別天地があるわけです。これまで六甲には何回か行っていますが、真夏は初めてで、これほど寒暖の差があるとは思いませんでした。

夜は山荘のテラスでBBQでしたが、次第に寒くなってシャツではいられなくなってきました。
五右衛門風呂に久しぶりに入り、パジャマにジャケットをはおって、2時過ぎまでの議論に
耐えました。

2011年8月17日水曜日

舞台になりそうな


渋谷駅の東口、地下鉄のガード下の横断歩道、現在、旧東急文化会館、渋谷ヒカリエの工事現場から登場人物が,手前の通行人が観客のように見えますね。

芝居の世界では、このような工事現場や解体されたビルの跡地などを舞台にしつらえることはときどきありますから、これも面白いでしょう。しかも、信号が変われば間を車が走るのですからなお面白い効果が出ます。

やはり東京に来ると面白いことがたくさんありますね。

2011年8月14日日曜日

俗化か大衆化か


軽井沢の駅の近く、大賀ホールに隣接した盆踊り会場、準備ができました。

先週の土曜日にセゾン現代美術館に呼ばれて堤清二さんと話しました。彼がいいことを言いました。「俗化と大衆化は違う」その通りだと思います。

このところ本を書くために、素晴らしい参考文献をつぎつぎに読んでいますが、日本の歴史で大衆社会の出現は大正末期から昭和初期、1920年末〜1930年頃、第一次大戦が終わり、関東大震災後のことでしょう。農村部から都市部へ人口が移動し、サラリーマンを中心に中間層が増加し大衆社会が形成されていったのです。

それから日本人は二極分解し、貧富、男女の格差をなくして民主主義社会を実現しようと本当の意味での大衆化へ向かう人たちと、何も期待できないから金儲けしかないからなげやりに生きようと俗化していく人たちにわかれていきました。

真の大衆化は理想ですが、これが如何に困難な課題であるかは、これだけ沢山の本が書かれていることでも良くわかります。

2011年8月8日月曜日

8月第1週末


例年、軽井沢の8月第1週の週末は行事が重なります。

個人的に最初に約束したものを優先します。途中でもっと面白い話が来ても、変更することは失礼になるからです。人間だれにでも良くしたい、だれからも良く見られたいというのは当たり前ですが、分身の術がないのですから、仕方ありません。

このところお昼過ぎまで晴れていて、3時頃に一天にわかにかき曇りにわか雨、雷雨になります。自転車生活ではもっとも恐ろしいのがこの雨です。

テニスのあと、油断していたら雨がぽつぽつきました。途中でおかせて貰うところがある奈良安心ですが、昨日置いてきてしまったところはひさしの出ているレストランの横です。今朝、そこに残っていればいいのですが。心配です。

2011年8月3日水曜日

信濃追分の油屋旅館でシャーロックホームズ展


東京の友達が車でやって来て、交通弱者のわれわれを星野温泉の上でピックアップして、信濃追分に連れて行ってくれました。休業5年、立ち上がれない油屋旅館を今はやりの「廃墟ビジネス」にしようと、こちらは立ち上がった、古書店「追分コロニー」が改築後、最初のイベントは「シャーロックホームズ展」。何故、シャーロックホームズか。

追分には世界で5カ所かにある銅像があるのです。当初のシャーロックホームズの翻訳は延原謙がここ追分で手がけたことから、この油屋でキックオフ展覧会となったわけです。 

2011年7月30日土曜日

合同ゼミ


吉武ゼミと長澤ゼミの合同ゼミ、軽井沢のハーモニー・ハウスで。学生の方は20数名、院生と4年生。学生の発表は翌日に予定が代わり、われわれが別荘建築の変遷を講義し、有名な建築家だったレイモンドとデザイナーの奥さんの建築設計スタジオに連れて行って案内しました。

夜はそれぞれのゼミで別々のプログラム。われわれは夜中まで建築計画学のテーマについて議論。合宿なので心ゆくまで話が出来ました。

2011年7月28日木曜日

「麻雀 エスプリ」


「麻雀」と「エスプリ」これはどういう組み合わせなのでしょう。九段の靖国通りから少し入ったところの小径を歩いていると、この看板が目に入りました。

学生の頃が思い出されました。これは多分オーナーが学生のときジャンきちで、ぶらぶらして就職出来なかったので、親の家に居候のまま、その家を建て替えて2階に雀荘を作ったのでしょう。

彼は早稲田の仏文か、仏哲を出ているので、「エスプリ」という言葉が頭に残っていたのでしょう。それで、つい「エスプリ」を店の名前にしたのでしょう。困ったものです。

2011年7月27日水曜日

雑誌「女人芸術」


執筆中の「聖路加」とある看護婦の生涯についての話は一つの項目を書くのに調べる時間が平均して10時間以上かかります。あちこちの資料を取り寄せたり、現場に行ってみたり、それひとつひとつが人間の思いにからんでいます。

今更言うのはおかしいのですが、もし、本当に「生きる」とは何か、自分の人生に正面から向かおうとする女性なら、こうした調査の一時が何事にも代え難い値千金の時間であることに気づくはずです。

今日も女性の図書や資料を保管し閲覧させてくれる、東京都のウーマンズプラザで午後一杯かけて、昭和初期の女性運動史に関して数冊の本を参照してみました。まったく、自分でも嫌になるほど、次々に話がつながっていきます。

中央区明石町の展示室で見た、長谷川時雨の発行していた雑誌が「女人芸術」です。なんと、現物がこの図書館には手に届くところに並べられているのです。それだけでも大感激なのですが、この雑誌にこそ林芙美子の「放浪記」が掲載されているのです。

一昨日の夜、女優の矢代朝子や仲間と話していて、NHK教育放送の「Jブンガク」が話題になりました。先週、とりあげられていたのが林芙美子です。これで、われわれが次に手がける仕事のヒントが出ました。

2011年7月26日火曜日

大失態


自転車で家を出て、ここまでは25分、中軽井沢の駅の横を通り、大繁盛のつるやの交差点からバイパスを西に次の交差点まで走り、そこから左に曲がって更に南へ下るまで自転車はほとんどこぐことなく、この釜の沢まで到着します。

さて、ここからが上りで、ハンドルに着いているアシスト電源を入れようとしましたが、電源が入りません。おかしいな、故障かなと下にあるバッテリーを見たら、ドッキリ、バッテリーがありません。一昨日、充電のため、充電器に乗せたまま置いてきてしまったのです。

しかたなく、自転車を押してル・バン美術館まで行き、すっかり機嫌が悪くなり展示は見ないで、昼飯に和風ハンバーグセット1,200円也を食べましたが、自分や連れを呪うばかりです。帰りはとことん上り坂ですから、連れには先に行って貰い、覚悟を決めてゆっくり自転車を押しながら歩いて、

つるやの横の薬局で咳止め、かゆみ止めなど、買い込んで、つるやから中軽井沢に向かって、緩い坂道を行っていると、やっとひらめきました。「そうだ、自転車のおじさんに預けて、中軽井沢からタクシーに乗ろう」こういうときは馴染みの、この自転車を買った店がアルのは大助かりです。おじさんは不在でしたが、おばさんが出てきて預かってくれました。

中軽井沢のバスの停留所の方を見ると、ベンチに何組か腰掛けてバスを待っています。5分も待てば草津行きのバスが来るようです。1時間に1本もないバスに乗れるとはラッキーです。タクシーなら、1,400円、バスなら270円。交通弱者にはバス様様です。

うちに着いたら、連れはまだ戻っていませんでした。急いで風呂を沸かしておくことにしました。それにしても大失態でした。

2011年7月25日月曜日

リゾートマンション


軽井沢であってもマンションとなれば、日本中どこにでもあるマンションと外観も内部もほとんどかわりがありません。軽井沢まできてマンションに住むという気が知れませんし、町の景観を均一にしてしまうので建設にも賛成出来ません。温泉浴場のある豪華マンションを買った友達を訪ねました。

日本が誇る学者なのでマンションは残念ですが、軽井沢にこういう人物が来てくれることはありがたいことです。軽井沢は東京では出来ない重要な話合いが気楽にできることが伝統です。
昨日もいくつかの問題を話しましたが、大学の9月入学や入学を楽に卒業を難しくすることなどの学制改革についての問題など話しました。

2011年7月24日日曜日

築地居留地研究会


この辺り、築地居留地のあったところです。ここから右側に行けばすぐに隅田川に出ます。現在より河口が海に近く、外人租界を作っておくところとしては攘夷の日本人から外人を守りやすい地形になっていました。この中に外国の宣教師などが沢山住んで、語学校、日曜学校などを作り、それがやがて立教、青学、女子学院、明治学院など、有力なミッションスクールになっていくのです。

今日は聖路加病院を創設したトイスラー博士についての研究会でした。昭和の初期に医療、看護、公衆衛生、福祉まで当時の先端の病院として、しかも地域のひとびとのためにも尽くした病院だった。

2011年7月20日水曜日

台風6号


東京で雨が降る,風が吹くという天気予報が当たったためしがない。ほとんど、何もないか、あっても僅かなかすりか。お陰で行動がスムースに行かない。

今日も来られないはずの天草の友達が到着、仕事が出来たからよかったと言えば良かったが、予定が狂って、渋谷駅以外の外出できず。明日は多分朝から晴れるのではないか、気温も高くなるのではないか。

天草の友達が2泊3日の「医療観光」プロジェクト、天草視察案を見せてくれた。観光はイルカウオッチングのみ。

2011年7月16日土曜日

改修されたテニスクラブ


軽井沢会のテニスコートやクラブハウスが改修されました。クラブハウスは耐震補強もされたようですが、それが目立たないようにきれいになっています。さすが、鹿島建設にやらせたせいでしょうか?ヴォーリズの設計なので、注意深く仕事がされたようです。

朝の9時半から1時間ばかりテニスをしました。この時間だと未だ涼しい、コートに木陰があるというわけです。久しぶりなので、けがもせず、やれてよかったという感じですが、肩、背中、脚とこりと痛みがなかなか抜けません。

夕方、衆議院の中堅若手議員の研究会でしゃべるとかの件で打ち合わせでした。

2011年7月15日金曜日

がんがんの日差し


日向は35℃を超えているでしょう。紫外線が強い山の町ですから、直射日光はすざまじいものがあります。自転車で走り回る交通弱者にとっては辛いものがあります。

連日満員のこの町のスーパー、「つるや」もこの時間、午後1時、さすがにややすいていて買い物はしやすいのが取り柄です。

うちからこのスーパーまでは完全に下り坂でほとんどこがないで到着、20分ほどです。そして当然、帰りは最後まで上り坂30分はかかります。もちろん電動アシスト自転車です。普通の自転車なら1時間近くなります。歩く時間より自転車を押し上げるので時間がかかるのです。買い物をし過ぎると籠に入りきれなくなり、その調節も難しいところです。昨日は危ういところで、トイレットペーパーは次回にしてセーフでした。

2011年7月14日木曜日

山小屋補修工事


ようやく軽井沢に戻りました。といっても未だ東京にいくつかのイベントがあり、ゆっくり落ち着くというところまではいきません。昔の避暑のようにはいかないのです。

この家も20年を過ぎましたので、2回目の補修工事です。設計してくれた建築家の来て貰って木が腐った外壁の交換、入り口屋根の全取り替え、入り口のステップの交換、ランプの取り替え、それに高齢化に伴う階段の手摺取り付けなどやって貰い未だ終わっていません。入り口にはサンタクロースの袋のような残骸が入ったものが置いてあります。

木造の小屋ですから、こうやって、手をいれてやりながらもたせるのです。

2011年7月13日水曜日

聖路加看護大学


暑い中を何度か通っていますが、聖路加看護大学は大改築前の面影が残されたチャペルの左側にあって、私にとっては親しい落ち着ける場所のひとつです。去年から聖路加を巡る話題を本にするために図書館に通い、年史を編纂している先生に会うために行けるのは幸いです。

時間があれば少し歩けば隅田川河畔ですから、これも幸いです。母の母校ということや、4才の頃にしばらくいたことなど、ここに来ると元気がでます。

2011年7月5日火曜日

事務所へは自転車で



今日は原宿の事務所へ出勤でした。うちから自転車で表参道を通って東郷神社の前を通って
原宿駅に近いところへ出ます。

仕事を始めて、1時半に渋谷中央図書館に行って、休憩室に行って見ると、ランチに食べるものはなく、せいぜいケーキ類が売っているだけで、ここはもっぱら飲み物コーナーでした。

仕方なく、参考文献を2冊借りてから、元に戻って交差点の向かいにあるカフェに入りました。ところが、ハムとチーズのサンドイッチを頼むと、これはセットになっていないもので、単品で400円、コーヒー400円でセットものの倍でした。
しまったとおもいましたが、後の祭り。それに夏にはしつこい生ハムとチーズでした。

事務所は親会社の設計事務所の所長夫妻の丹精した紫陽花が美しく咲き誇っていました。
幸い、能率が上がり、原稿一本書けました。

2011年7月3日日曜日

新装開店




軽井沢駅本通り、カフェ・コンヴェルサ、半年の改装期間を終えてようやく6月29日開店です。われわれは開店披露には間に合わず、3日遅れでようやく行くことができました。

すっかりきれいになり、広くなり、キッチンも大きくなっていました。馴染みのお客さんからのプレゼントだというconversaと背中に文字の入った揃いのポロシャツで、マスター、スタッフぴっちりときまっていました。

中から手を振るお客さんとおもいきや、知り合いのカップル、久しぶりに美味しいコーヒー
を飲みながら、早くも盛り上がりの前兆。これからお客がさばけるか、なにしろ、マスターと話し込みたい常連客が多すぎるのが心配の種になりそうです。

2011年7月2日土曜日

軽井沢は曇りのち雨



この夏の軽井沢、別荘の方々がそろそろ来られているかと思いましたが、まだ7月に入ったばかりです。多分、猛暑、節電で早めに来られる方が多いと思います。

われわれも、7月の終わりに東京でイベントがあり、まだ軽井沢に落ち着けません。昨日はとりあえず浅間山の様子や周りの状況を自転車に乗って見回りましたが、3時過ぎにはもう梅雨の驟雨です。子供の頃は8月に入ると午後3時頃からの豪雨がよくありましたが、季節は1ヶ月以上前倒しで暑くなっているのでしょう。

仕方なく本を読みかけたのですが、軽井沢睡魔に襲われました。軽井沢の気候に慣れるのに、普通2,3日かかります。今回は月曜には東京に出なければならないので辛いところです。

2011年7月1日金曜日

天草の晩柑(ばんかん)


天草でただ一人の不動産鑑定士をしている友達から樹成晩柑が届きました。これはまさにジュースたっぷり、夏の暑い日に2日は冷蔵庫でがんがんに冷やして朝の食卓で頂くと、最高です。天草は柑橘類の宝庫です。

しかし、天草のものも人も気が向いたら送って貰えるだけなのです。予め注文することは1回目は出来ても次はいつになるかわかりません。だからビジネスにならないのです。そして次第に人口は減り、地域は衰退していきます。だから、この晩柑は特別貴重なものなのです。絶滅種かも知れません。