2011年7月30日土曜日

合同ゼミ


吉武ゼミと長澤ゼミの合同ゼミ、軽井沢のハーモニー・ハウスで。学生の方は20数名、院生と4年生。学生の発表は翌日に予定が代わり、われわれが別荘建築の変遷を講義し、有名な建築家だったレイモンドとデザイナーの奥さんの建築設計スタジオに連れて行って案内しました。

夜はそれぞれのゼミで別々のプログラム。われわれは夜中まで建築計画学のテーマについて議論。合宿なので心ゆくまで話が出来ました。

2011年7月28日木曜日

「麻雀 エスプリ」


「麻雀」と「エスプリ」これはどういう組み合わせなのでしょう。九段の靖国通りから少し入ったところの小径を歩いていると、この看板が目に入りました。

学生の頃が思い出されました。これは多分オーナーが学生のときジャンきちで、ぶらぶらして就職出来なかったので、親の家に居候のまま、その家を建て替えて2階に雀荘を作ったのでしょう。

彼は早稲田の仏文か、仏哲を出ているので、「エスプリ」という言葉が頭に残っていたのでしょう。それで、つい「エスプリ」を店の名前にしたのでしょう。困ったものです。

2011年7月27日水曜日

雑誌「女人芸術」


執筆中の「聖路加」とある看護婦の生涯についての話は一つの項目を書くのに調べる時間が平均して10時間以上かかります。あちこちの資料を取り寄せたり、現場に行ってみたり、それひとつひとつが人間の思いにからんでいます。

今更言うのはおかしいのですが、もし、本当に「生きる」とは何か、自分の人生に正面から向かおうとする女性なら、こうした調査の一時が何事にも代え難い値千金の時間であることに気づくはずです。

今日も女性の図書や資料を保管し閲覧させてくれる、東京都のウーマンズプラザで午後一杯かけて、昭和初期の女性運動史に関して数冊の本を参照してみました。まったく、自分でも嫌になるほど、次々に話がつながっていきます。

中央区明石町の展示室で見た、長谷川時雨の発行していた雑誌が「女人芸術」です。なんと、現物がこの図書館には手に届くところに並べられているのです。それだけでも大感激なのですが、この雑誌にこそ林芙美子の「放浪記」が掲載されているのです。

一昨日の夜、女優の矢代朝子や仲間と話していて、NHK教育放送の「Jブンガク」が話題になりました。先週、とりあげられていたのが林芙美子です。これで、われわれが次に手がける仕事のヒントが出ました。

2011年7月26日火曜日

大失態


自転車で家を出て、ここまでは25分、中軽井沢の駅の横を通り、大繁盛のつるやの交差点からバイパスを西に次の交差点まで走り、そこから左に曲がって更に南へ下るまで自転車はほとんどこぐことなく、この釜の沢まで到着します。

さて、ここからが上りで、ハンドルに着いているアシスト電源を入れようとしましたが、電源が入りません。おかしいな、故障かなと下にあるバッテリーを見たら、ドッキリ、バッテリーがありません。一昨日、充電のため、充電器に乗せたまま置いてきてしまったのです。

しかたなく、自転車を押してル・バン美術館まで行き、すっかり機嫌が悪くなり展示は見ないで、昼飯に和風ハンバーグセット1,200円也を食べましたが、自分や連れを呪うばかりです。帰りはとことん上り坂ですから、連れには先に行って貰い、覚悟を決めてゆっくり自転車を押しながら歩いて、

つるやの横の薬局で咳止め、かゆみ止めなど、買い込んで、つるやから中軽井沢に向かって、緩い坂道を行っていると、やっとひらめきました。「そうだ、自転車のおじさんに預けて、中軽井沢からタクシーに乗ろう」こういうときは馴染みの、この自転車を買った店がアルのは大助かりです。おじさんは不在でしたが、おばさんが出てきて預かってくれました。

中軽井沢のバスの停留所の方を見ると、ベンチに何組か腰掛けてバスを待っています。5分も待てば草津行きのバスが来るようです。1時間に1本もないバスに乗れるとはラッキーです。タクシーなら、1,400円、バスなら270円。交通弱者にはバス様様です。

うちに着いたら、連れはまだ戻っていませんでした。急いで風呂を沸かしておくことにしました。それにしても大失態でした。

2011年7月25日月曜日

リゾートマンション


軽井沢であってもマンションとなれば、日本中どこにでもあるマンションと外観も内部もほとんどかわりがありません。軽井沢まできてマンションに住むという気が知れませんし、町の景観を均一にしてしまうので建設にも賛成出来ません。温泉浴場のある豪華マンションを買った友達を訪ねました。

日本が誇る学者なのでマンションは残念ですが、軽井沢にこういう人物が来てくれることはありがたいことです。軽井沢は東京では出来ない重要な話合いが気楽にできることが伝統です。
昨日もいくつかの問題を話しましたが、大学の9月入学や入学を楽に卒業を難しくすることなどの学制改革についての問題など話しました。

2011年7月24日日曜日

築地居留地研究会


この辺り、築地居留地のあったところです。ここから右側に行けばすぐに隅田川に出ます。現在より河口が海に近く、外人租界を作っておくところとしては攘夷の日本人から外人を守りやすい地形になっていました。この中に外国の宣教師などが沢山住んで、語学校、日曜学校などを作り、それがやがて立教、青学、女子学院、明治学院など、有力なミッションスクールになっていくのです。

今日は聖路加病院を創設したトイスラー博士についての研究会でした。昭和の初期に医療、看護、公衆衛生、福祉まで当時の先端の病院として、しかも地域のひとびとのためにも尽くした病院だった。

2011年7月20日水曜日

台風6号


東京で雨が降る,風が吹くという天気予報が当たったためしがない。ほとんど、何もないか、あっても僅かなかすりか。お陰で行動がスムースに行かない。

今日も来られないはずの天草の友達が到着、仕事が出来たからよかったと言えば良かったが、予定が狂って、渋谷駅以外の外出できず。明日は多分朝から晴れるのではないか、気温も高くなるのではないか。

天草の友達が2泊3日の「医療観光」プロジェクト、天草視察案を見せてくれた。観光はイルカウオッチングのみ。

2011年7月16日土曜日

改修されたテニスクラブ


軽井沢会のテニスコートやクラブハウスが改修されました。クラブハウスは耐震補強もされたようですが、それが目立たないようにきれいになっています。さすが、鹿島建設にやらせたせいでしょうか?ヴォーリズの設計なので、注意深く仕事がされたようです。

朝の9時半から1時間ばかりテニスをしました。この時間だと未だ涼しい、コートに木陰があるというわけです。久しぶりなので、けがもせず、やれてよかったという感じですが、肩、背中、脚とこりと痛みがなかなか抜けません。

夕方、衆議院の中堅若手議員の研究会でしゃべるとかの件で打ち合わせでした。

2011年7月15日金曜日

がんがんの日差し


日向は35℃を超えているでしょう。紫外線が強い山の町ですから、直射日光はすざまじいものがあります。自転車で走り回る交通弱者にとっては辛いものがあります。

連日満員のこの町のスーパー、「つるや」もこの時間、午後1時、さすがにややすいていて買い物はしやすいのが取り柄です。

うちからこのスーパーまでは完全に下り坂でほとんどこがないで到着、20分ほどです。そして当然、帰りは最後まで上り坂30分はかかります。もちろん電動アシスト自転車です。普通の自転車なら1時間近くなります。歩く時間より自転車を押し上げるので時間がかかるのです。買い物をし過ぎると籠に入りきれなくなり、その調節も難しいところです。昨日は危ういところで、トイレットペーパーは次回にしてセーフでした。

2011年7月14日木曜日

山小屋補修工事


ようやく軽井沢に戻りました。といっても未だ東京にいくつかのイベントがあり、ゆっくり落ち着くというところまではいきません。昔の避暑のようにはいかないのです。

この家も20年を過ぎましたので、2回目の補修工事です。設計してくれた建築家の来て貰って木が腐った外壁の交換、入り口屋根の全取り替え、入り口のステップの交換、ランプの取り替え、それに高齢化に伴う階段の手摺取り付けなどやって貰い未だ終わっていません。入り口にはサンタクロースの袋のような残骸が入ったものが置いてあります。

木造の小屋ですから、こうやって、手をいれてやりながらもたせるのです。

2011年7月13日水曜日

聖路加看護大学


暑い中を何度か通っていますが、聖路加看護大学は大改築前の面影が残されたチャペルの左側にあって、私にとっては親しい落ち着ける場所のひとつです。去年から聖路加を巡る話題を本にするために図書館に通い、年史を編纂している先生に会うために行けるのは幸いです。

時間があれば少し歩けば隅田川河畔ですから、これも幸いです。母の母校ということや、4才の頃にしばらくいたことなど、ここに来ると元気がでます。

2011年7月5日火曜日

事務所へは自転車で



今日は原宿の事務所へ出勤でした。うちから自転車で表参道を通って東郷神社の前を通って
原宿駅に近いところへ出ます。

仕事を始めて、1時半に渋谷中央図書館に行って、休憩室に行って見ると、ランチに食べるものはなく、せいぜいケーキ類が売っているだけで、ここはもっぱら飲み物コーナーでした。

仕方なく、参考文献を2冊借りてから、元に戻って交差点の向かいにあるカフェに入りました。ところが、ハムとチーズのサンドイッチを頼むと、これはセットになっていないもので、単品で400円、コーヒー400円でセットものの倍でした。
しまったとおもいましたが、後の祭り。それに夏にはしつこい生ハムとチーズでした。

事務所は親会社の設計事務所の所長夫妻の丹精した紫陽花が美しく咲き誇っていました。
幸い、能率が上がり、原稿一本書けました。

2011年7月3日日曜日

新装開店




軽井沢駅本通り、カフェ・コンヴェルサ、半年の改装期間を終えてようやく6月29日開店です。われわれは開店披露には間に合わず、3日遅れでようやく行くことができました。

すっかりきれいになり、広くなり、キッチンも大きくなっていました。馴染みのお客さんからのプレゼントだというconversaと背中に文字の入った揃いのポロシャツで、マスター、スタッフぴっちりときまっていました。

中から手を振るお客さんとおもいきや、知り合いのカップル、久しぶりに美味しいコーヒー
を飲みながら、早くも盛り上がりの前兆。これからお客がさばけるか、なにしろ、マスターと話し込みたい常連客が多すぎるのが心配の種になりそうです。

2011年7月2日土曜日

軽井沢は曇りのち雨



この夏の軽井沢、別荘の方々がそろそろ来られているかと思いましたが、まだ7月に入ったばかりです。多分、猛暑、節電で早めに来られる方が多いと思います。

われわれも、7月の終わりに東京でイベントがあり、まだ軽井沢に落ち着けません。昨日はとりあえず浅間山の様子や周りの状況を自転車に乗って見回りましたが、3時過ぎにはもう梅雨の驟雨です。子供の頃は8月に入ると午後3時頃からの豪雨がよくありましたが、季節は1ヶ月以上前倒しで暑くなっているのでしょう。

仕方なく本を読みかけたのですが、軽井沢睡魔に襲われました。軽井沢の気候に慣れるのに、普通2,3日かかります。今回は月曜には東京に出なければならないので辛いところです。

2011年7月1日金曜日

天草の晩柑(ばんかん)


天草でただ一人の不動産鑑定士をしている友達から樹成晩柑が届きました。これはまさにジュースたっぷり、夏の暑い日に2日は冷蔵庫でがんがんに冷やして朝の食卓で頂くと、最高です。天草は柑橘類の宝庫です。

しかし、天草のものも人も気が向いたら送って貰えるだけなのです。予め注文することは1回目は出来ても次はいつになるかわかりません。だからビジネスにならないのです。そして次第に人口は減り、地域は衰退していきます。だから、この晩柑は特別貴重なものなのです。絶滅種かも知れません。