2013年2月18日月曜日

降雪


今年の軽井沢は雪も多いようです。そして気温も低いのです。マイナス15度という朝も何日もありました。今日などは閉じ込められて外に出られないような日もあります。

軽井沢の冬は良く考えて見ると、子供や学生の頃には経験がないので、ある意味では新しい環境を享受していることになるわけです。そこで、新しい環境で新しいことを考えてもよいわけです。新しいライフスタイルを考え出しても良いはずです。

多分、最大の問題はわれわれが車を使わないことでしょう。車で移動する生活はもちろん子供の頃、学生の頃にはありませんでしたし、この千ヶ滝中区をあまり出ないで一夏を過ごしていたのですから、常に徒歩の範囲の生活でした。しかし、夏のコミュニティがあったので、まったく問題はありませんでした。

2013年2月10日日曜日

軽井沢を考える日々


今日のように天気が良いと普段は見られない林間の浅間が見られました。お昼前に外に出て回りを歩くとあちこちで浅間山が顔をだしています。

昨日は長年古書店をやっているりんどう文庫のご主人のところへ行きました。もともとは軽井沢駅から5分ほどのところに店を開いていましたが、古本もなかなか商売が難しくなってきて、ご主人は小諸に引っ込んでいるのです。しかし彼の軽井沢の膨大な立体的知識はその資料とともに重要なものです。今回も同行した研究者は彼の書庫を一瞥して感嘆の声をあげていました。

一つの書架だけで論文がいくつも書ける可能性があるのです。しかも、あらゆる分野の学問に関係があり、それだけ軽井沢にさまざまな研究者が滞在していたことを証明しています。日本ではこのようなところは他にないでしょう。

しかし、日本人の民度、軽井沢の住民、別荘民、観光客の民度が下がっている現在、りんどう文庫の価値を理解できる人も少なくなっています。

2013年2月8日金曜日

日影は零下

昨日は「春一番」かと言われたが、それ程の風は吹かず、それでも東京は14度とかになったが、今日、軽井沢に来てみれば厳しい寒さ。ちょっと雲が広がって日影になればたちまち気温が下がって昼の2時でも氷点下。薪を2階の暖炉に上げるのに大苦労。すぐに息切れ。

さて、この時期、尖閣問題、北方領土など外交の季節か、それとも政権が交代し政治の季節か、ノンポリを決め込むのも悪くはないのですが、かといって無名の人間がいくら民主主義の世の中だからといって、あれこれ意見をこんなブログなどに書いてみても、犬の遠吠えにもなりません。

そこで、身近な話をすれば、われわれが銀行で働いていた頃に当時の大蔵省の次官とならぶポストの財務官に榊原君や黒田君がなって、それが今や一方は大学の先生を慶応、早稻田、青学とやり、一方はアジア開銀総裁を長く務めていて最近は日銀総裁の候補です。どちらも知り合いとなって長いので注目しているが、好対照のようです。肩や才気煥発、相変わらず言論界の一翼で頑張っていれば、一方は奇をてらうことなく、淡々と重い仕事をこなしています。

人柄、タイミングにもよるでしょうが、いまのところ、どちらも歴史に名を残すところまでいくかどうかはわかりません。黒田君がアジアの経済や金融の連携を考えていてそれが今後日銀総裁にでもなって実現させることが出来ればあるいは歴史上の人物になるかもしれません。榊原君も才にまかせて切った貼ったの文章ではなく、国際金融の原理を変えるような論文でも出せば、それは大いに名声があがることでしょう。

いずれにしても楽しみなことです。


2013年2月5日火曜日

節分から


今年も節分は金王八幡神社に行きました。去年は宮司さんが弓を引きましたが、ツルが切れたり散々だったので、今年はこの男性、多分、禰宜とかの位の人でしょうか、代わってやりました。思ったより飛ぶものですね一本は参道の後ろの方、一本はお神楽をやる舞台の方まで飛びました。この矢は買うと3000円もするので、後ろに立ってうまく拾えればいいですね。福豆の方は相変わらずお菓子袋3個ほどで醤油も御神酒もあたりませんでした。一家に一つというお守りを貰って帰りました。

この日は奧さんの誕生日なので、絶滅危惧種のうなぎをたべることにしました。ヒカリエに「うな徳」があることを確かめて久しぶりにたべました。2年ぶりか3年ぶりか。やはり美味しいですね。日常倹約して、せめて2か月に1回は食べたいものです。

昨日は立春で少し暖かくなりましたが、今日はもう冬に逆戻りです。

2013年1月22日火曜日

チャリティ・ジャズコンサート


日本生まれ、日本育ちのアメリカ人、熊本の宣教師の子供達はいまはアメリカ在住で、その兄弟が東日本大地震の知らせで日本に戻って来て「入浴サービス」のボランティアをやり、やや落ち着いてからは、本業のジャズコンサートで資金集めに全国を回っている。

弟が司会で兄はトランペットを吹き、その友達のサックスの名手が一緒に演奏、コンサートの合間に地元の小学生のジャズバンドを教え、多彩なゲストが登場。大賀ホールに入った全員が「花は咲く」でエンディング。

やはり宣教師の息子達の活動は身についている、ごく自然に自分達のやれることをやって人助けをする、子供の頃からの生活の一部になっている。

大賀ホールを出ると前の池が凍っていて、いつもいる鴨がどこかに飛んで行ってしまったのか。

2013年1月15日火曜日

東京の雪に思う


昨日、東京大雪、北海道の友達3人と話し、軽井沢の雪状況を主としてフェイスブックで確認。雪には慣れているせいもあって、あまり感動はしないのですが、東京の家の暖房では暖が十分とれないという悩みがあります。東京での雪の思い出としてかすかに思い出せるのは品川の農林省〔当時)の官舎に暮らしていた小学生の頃、雪が積もってミカン箱に竹の橇をつけて家のあるところから官舎の入り口までの坂を滑り降りて大いに楽しんだことです。

その頃は何かにつけて遊び道具を考えたもので、ホッケーのスティックを作ったり、野球のバットを作ったりして総て自分達の工夫で遊ぶことが出来ました。もっともグローブは母が余り布で縫って作ってくれましたが、いつまでも皮のグローブがあこがれでした。

私の小学校は区立で地域の子供が通う学校で、町の商店街や、勤め人や、工場の人達などの子供がいて、親のことが問題になることもなく、皆が一張羅の服をきて、運動靴を履いていました。だれもが一生懸命勉強することが大切だと思っていました。

先生は「先生」としてとにかくわれわれ子供達を「指導」する立場でわれわれは「習う」「教わる」という立場で、しかられるのは当たり前、しかられて教わると思っていました。最近問題になっている体罰と称するものはその範囲内でした。体罰は泣かされることがあって口惜しいと思うこともありましたが、誰も泣かされたりしていましたし、自殺などという高度な精神状態になるはずもありませんでした。

なにをやっても皆、仲間だったのです。戦争に負けたお陰で、占領軍のお陰で、皆がスタートラインに立っていたのです。

2013年1月5日土曜日

犬も転ぶ軽井沢の雪氷道


軽井沢の中でも山の斜面にある千ヶ滝別荘地は町中より気温も3,4℃低く、雪が溶けずに残り、そこに零下10℃以下になるため、雪はカチンカチンの氷になります。その道を歩くのは大変です。うちの管理をやってくれているおじさんも雪のないときは夕方の犬の散歩になりますが、今日のような日は未だ暖かい零下2,3℃の午後2時過ぎには散歩に行くことになります。

普通、転ぶことなどない俊敏な日本犬の「勇」も、この道では転んでしまうのです。おじさんの方は雪ぐつを履いていても犬に引っ張られればひとたまりもありません。さすがに今日はアイゼン、鉄の爪を靴につけていました。2本爪で最も簡単なものです。おじさんが以前、軽井沢名物「天然氷」の切り出しのときに使っていたものだそうです。

私が学生で冬山に登っていた頃、奥秩父あたりでしたら4本爪のアイゼンを使いましたが、それ以上の山に行く場合は本格的なアイゼンが必要でした。今年も早くも遭難のニュースが入ってきていますが、冬山の魅力には特別なものがあります。雪がバラ色に輝く朝や夕方の景色を味わった人は生涯忘れることがないものでしょう。