2010年10月1日金曜日

高原の日々(5)終戦の日


終戦の日、もちろん子供の私にはわけもわからず、隣の家に連れて行かれた。これまでその家にいったことはなかった。畳の部屋は明るくなく、何人かの大人が向こうを向いて座っていた。私も同じ方向に向かって座るとしばらくして、シャーシャーという音が前の方から聞こえてきた。この部屋の前にタンスがあってその上にラジオが乗っているのがわかった。やがで、シャーシャーという音にかき消されて良く聞こえないが甲高い声がラジオから流れてきた。しかし、何を言っているのかは私にわかるはずもなかった。そして皆立ち上がり無言のままその部屋を出て外に向かった。その時は祖母が私の手を引いていたようだった。道に出ると祖母は空を見上げた。私も一緒に空を見上げた。その時に祖母が何か言ったか、言わなかったかもわからない。ずっと後になって空を見上げたのはもうB29が飛んでくることはないと、これで安心して空を眺めることが出来ると言ったとか、話は作られていったような気がする。ただ、この昭和20年8月15日は軽井沢も快晴で空がきれいだったことはなんとなく記憶に残っている。これは加藤周一が「ある晴れた日に」である晴れた日に戦争が始まり、ある晴れた日に戦争が終わったと書いたように、彼は終戦の日を軽井沢・追分で迎えたのだ。それから千ヶ滝の祖母の家で何がどうなったのか、なにも覚えていない。記憶はそこから急に山を下り沓掛(中軽井沢)の知り合いの別荘に移っていく。

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