2009年6月28日日曜日

自然に還る

この3月に閉鎖されるまで、西武が手入れをしていたボーリング場前の土手ですが、手がはいらなくなるとこのような状態になります。これが見納めという感じで花が咲き誇っていますが、来年はこのままに放置されれば雑草でぼうぼうになります。ここは日当たりが良いので雑草がぐんぐんのびるでしょう。軽井沢の別荘地では所有者が本人や友達を呼んで雑草を刈るか、ちゃんと管理人がいて手入れをしているところはいいのですが、そうでなければ、あっという間に自然に還ります。近所にも雑草の中に朽ち果てた別荘が淋しく残っているところがところどころあります。天皇陛下が皇太子時代、軽井沢で楽しんでいた頃、遊びに来ていた家ではないかといわれる廃屋は雑草が2メートル近くも伸びています。キツツキの穴だらけのところもあります。植物と動物が自然に還る手伝いをしているのです。

2009年6月18日木曜日

失われた時を求めて、軽井沢・千ヶ滝の50年

私が軽井沢に最初に連れてこられたのは1942年より前だと思う。その時は赤ん坊だったので記憶がない。1945年の終戦の年の5月の東京大空襲の前に軽井沢に疎開したことは確かで、その時にはもう5才になっていて記憶がある。そして、8月の終戦のラジオ放送はそこで聞いた。祖母以下、家族親戚が家の前の家に行って聞いた。軽井沢のうちの別荘にはラジオがなかったが、その家には何故かラジオがあり、かなりの人数が集まっていた。ただ、父は東京の役所にいたはずで、そこにはいなかったと思う。この年に千ヶ滝からわれわれ母、弟の3人は沓掛に下りて別の親戚の別荘を借りて住んだが、この年の冬を越したかどうかがはっきりしない。その後、私の家族は館山、逗子と転々とし、東京の品川の役所の官舎に落着いたのは私が小学校3年になった年である。その年の夏からか次の年の夏からか、私は一人軽井沢に戦前からの習慣で避暑をする祖母の別荘に預けられることになった。つまりそれは1948年か49年からだったのではないかと思う。