2007年6月10日日曜日

伊東豊夫


この建築家について、私の先生が後継者に選ぶべきだったという人がいる。これは実に示唆に富んだ意見だ。今の建築家は自然との対応をどのようにするかを競っている。この写真の「ノマディック美術館」を設計しているのは紙を素材に建築をして有名な板茂にしても、木の上に建物を作ったりしている藤森、安藤にしても自然の中に建築をとけこませようという努力をしている。しかし、伊東は単に自然に会わせようとしているだけではなく、建築が人間に向けて能動的に働きかけることをしている。ここに、本当の後継者の意味がある。つまり
伊東は社会学と建築学の延長戦を見通せるが、他の建築学者はそれば出来ていない。社会学に負けた者もいるし、社会学を無視するものもいる。

2007年6月7日木曜日

日本の憲法はコミンテルン指導だったのか


関西から友達夫妻といっても年齢的には先輩なのだが、軽井沢に遊びにきて、2日間、うちに来てもらったり、玉村豊男夫妻を紹介がてら彼等のワイナリーに連れて行ったりした。道中、いろいろな話がでたが、日本の憲法について、作成に係わった人達がコミンテルンに指導されていたということを聞いた。アメリカの占領軍(GHQ)が指導して作ったから日本独自のものではないという議論は盛んに行われているが、当時のソ連製の憲法というと、興味をひかれる話である。話はそのまま赤狩りのマッカーシーは正しかったということにつながるらしい。それは公共を無視した個人の自由が行き過ぎている日本の戦後を現行憲法のためだということである。従って、成田空港のための用地買収など国が国のため、国民のためと考えても裁判で負けるという世界でも例を見ない状況を作りだした。確かに日本の人達は私権至上主義を信奉している。それが民主主義だと思っている。コミンテルンの共産主義が私権至上主義だとしたらおかしいので、この点には矛盾がある、むしろ、共産主義は公の最たるもので、私は認めないはずである。しかし、いずれにしても無限の「私権」を認めるとすれば、個人、個人が欲望を制御できる高潔な人びとでなければならい。そして、残念ながら、われわれは全く私利私欲の亡者になっていることを認めて、私権制限をすることを納得する必要がある。