2013年2月28日木曜日

都心のスミレ


久しぶりに事務局長が来てくれたので、お昼はよく行っていた近くの和食にいき鶏カツを頂きました。

食後の帰り道、金王八幡神社に寄ってみるとなんともうスミレが咲いていました。写真では余り良く見えませんが、なかなかしっかりしたスミレで軽井沢で4月になってから咲くスミレより大ぶりでした。俳句の師範代で植物に詳しい事務局長が、花は温度で咲くのではなく、光の具合によって咲くものだと。確かに光合成ですからね。

2月は短いせいかあっという間に終わりです。人間は「反省」ということをすれば時間を戻してゆっくり出来るのですが、「反省」をしたくないと思っているとやたらと先走って時間があっという間に経ってしまいます。「反省」することもない毎日を送っているつもりでいるのを反省して、ゆっくり反省してみるというか「反芻」するようにしたほうが時間が長くなりそうです。牛の顔を思い出しましょうか。

私は自称「日本どこの馬の骨協会会長」と言って喜んでいますが「日本牛の反芻を考える協会会長」になれば牛馬を友として生活することに明るい気分になれるかも知れませんね。

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2013年2月25日月曜日

横浜・関帝廟



横浜中華街には華僑の友達がやっている店が多く、故郷のようだとよく言っている。そこで、彼女の友達がやっている店の一つで集まりをやることにした。それがこの関帝廟の真ん前にある「茘香尊(ライシャンソン)」という店だ。

もちろん高級な店だから、料理も美味しいのだが、やはり友達に一緒に行ってもらうと料理やサービスも違うような気がする。確かに今まで食べたことのない料理を堪能することが出来た。

もっとも、集まりに参加する予定のひと組が、この日の予定を忘れていて、1時間も遅れて参加したりして、肝心の話にも何となく気が入らなかったので、もっぱらその華僑の友達との話で2時間半ほどを過ごした。

彼女の話によると最近は中華街の店も新華僑の勢力が強くなり、また、最近の若いお客は店の前で売っている饅頭やスナック的なものを買って食べて歩くという傾向が強く、店の中でゆっくり料理を食べることが少なくなったとのこと。それで経営もなかなか大変だということのようだ。そして、夜もわれわれが店を出た9時半頃にはもう人影もまばらになっていて、賑わいがなくなっているのは少し淋しい。

2013年2月22日金曜日

駄菓子屋の天ぷら定食


文化庁メディア芸術祭を見に行くために新国立美術館に向かいました。メトロの乃木坂から登るのは大変なので、おおちゃくをしてバスで六本木に行きそこから歩くことにしました。新美に行くのに六本木交差点に出てミッドタウンの前から行くのが一番分かり易いルートですが、六本木交差点の手前から左に裏道を行きました。

この裏道はいろいろあって、どの道にもちょっとしたレストランなどがあり面白いのです。中でも「駄菓子屋」という名前の店はけんちん汁つき天ぷら定食620円を見つけて、ここでお昼を食べることにして、とりあえず美術館に行きました。メディア芸術祭は国がやっているので入場料はいりません。官製ですから特別偏って物議をかもす面白いものはありませんでしたが、結構楽しめました。

そして、帰りにお目当ての「駄菓子屋」に寄りましたが,1時半になっているのに小さい店ですが、満杯でした。結構美味しく満足しました。

2013年2月18日月曜日

降雪


今年の軽井沢は雪も多いようです。そして気温も低いのです。マイナス15度という朝も何日もありました。今日などは閉じ込められて外に出られないような日もあります。

軽井沢の冬は良く考えて見ると、子供や学生の頃には経験がないので、ある意味では新しい環境を享受していることになるわけです。そこで、新しい環境で新しいことを考えてもよいわけです。新しいライフスタイルを考え出しても良いはずです。

多分、最大の問題はわれわれが車を使わないことでしょう。車で移動する生活はもちろん子供の頃、学生の頃にはありませんでしたし、この千ヶ滝中区をあまり出ないで一夏を過ごしていたのですから、常に徒歩の範囲の生活でした。しかし、夏のコミュニティがあったので、まったく問題はありませんでした。

2013年2月10日日曜日

軽井沢を考える日々


今日のように天気が良いと普段は見られない林間の浅間が見られました。お昼前に外に出て回りを歩くとあちこちで浅間山が顔をだしています。

昨日は長年古書店をやっているりんどう文庫のご主人のところへ行きました。もともとは軽井沢駅から5分ほどのところに店を開いていましたが、古本もなかなか商売が難しくなってきて、ご主人は小諸に引っ込んでいるのです。しかし彼の軽井沢の膨大な立体的知識はその資料とともに重要なものです。今回も同行した研究者は彼の書庫を一瞥して感嘆の声をあげていました。

一つの書架だけで論文がいくつも書ける可能性があるのです。しかも、あらゆる分野の学問に関係があり、それだけ軽井沢にさまざまな研究者が滞在していたことを証明しています。日本ではこのようなところは他にないでしょう。

しかし、日本人の民度、軽井沢の住民、別荘民、観光客の民度が下がっている現在、りんどう文庫の価値を理解できる人も少なくなっています。

2013年2月8日金曜日

日影は零下

昨日は「春一番」かと言われたが、それ程の風は吹かず、それでも東京は14度とかになったが、今日、軽井沢に来てみれば厳しい寒さ。ちょっと雲が広がって日影になればたちまち気温が下がって昼の2時でも氷点下。薪を2階の暖炉に上げるのに大苦労。すぐに息切れ。

さて、この時期、尖閣問題、北方領土など外交の季節か、それとも政権が交代し政治の季節か、ノンポリを決め込むのも悪くはないのですが、かといって無名の人間がいくら民主主義の世の中だからといって、あれこれ意見をこんなブログなどに書いてみても、犬の遠吠えにもなりません。

そこで、身近な話をすれば、われわれが銀行で働いていた頃に当時の大蔵省の次官とならぶポストの財務官に榊原君や黒田君がなって、それが今や一方は大学の先生を慶応、早稻田、青学とやり、一方はアジア開銀総裁を長く務めていて最近は日銀総裁の候補です。どちらも知り合いとなって長いので注目しているが、好対照のようです。肩や才気煥発、相変わらず言論界の一翼で頑張っていれば、一方は奇をてらうことなく、淡々と重い仕事をこなしています。

人柄、タイミングにもよるでしょうが、いまのところ、どちらも歴史に名を残すところまでいくかどうかはわかりません。黒田君がアジアの経済や金融の連携を考えていてそれが今後日銀総裁にでもなって実現させることが出来ればあるいは歴史上の人物になるかもしれません。榊原君も才にまかせて切った貼ったの文章ではなく、国際金融の原理を変えるような論文でも出せば、それは大いに名声があがることでしょう。

いずれにしても楽しみなことです。


2013年2月5日火曜日

節分から


今年も節分は金王八幡神社に行きました。去年は宮司さんが弓を引きましたが、ツルが切れたり散々だったので、今年はこの男性、多分、禰宜とかの位の人でしょうか、代わってやりました。思ったより飛ぶものですね一本は参道の後ろの方、一本はお神楽をやる舞台の方まで飛びました。この矢は買うと3000円もするので、後ろに立ってうまく拾えればいいですね。福豆の方は相変わらずお菓子袋3個ほどで醤油も御神酒もあたりませんでした。一家に一つというお守りを貰って帰りました。

この日は奧さんの誕生日なので、絶滅危惧種のうなぎをたべることにしました。ヒカリエに「うな徳」があることを確かめて久しぶりにたべました。2年ぶりか3年ぶりか。やはり美味しいですね。日常倹約して、せめて2か月に1回は食べたいものです。

昨日は立春で少し暖かくなりましたが、今日はもう冬に逆戻りです。