2009年11月30日月曜日

葉山


SRO湘南リゾートオフィスの久しぶりの集まりで葉山に行きました。残念ながら曇り空で、薄ら寒い中を葉山マリーナを横切って、会場のマレード・茶屋へ向かいました。近くに友達がやっているホームシアターや高級オーディオ装置を販売しているCADENZAがあり、先にそちらに寄って、この分野の最新情報をききました。AVのシステムが今や建築と結びついて、居間ばかりではなく、キッチン、バスルーム、洗面などあらゆる空間に広がっています。典型的なものは鏡です。鏡の前で化粧や着るものを合わせながら、鏡に組み込まれたディスプレイでテレビを見たりするものです。この不況にもかかわらずこうしたAV機器を組み込んだ豪邸を建てる人達がいるそうで、CADENZAは多忙を極めているとのことです。

2009年11月29日日曜日

タイ・チョコ


事務局長が奥さんとタイに旅行し、お土産にチョコレートを買ってきてくれました。こちらはタイに行ったのは随分前のことで、タイのチョコレートというと違和感がありましたが、家では大好評で折しも私の大学のクラス雑誌「Agora」の編集、印刷をやってくれている友達も「すすめられると断れない」とハイカロリーをものともせずに喜んで口にしていました。ミルクチョコのこくと甘みが”たい”したものでした。

2009年11月28日土曜日

お裾分け経済


昨日、お昼を食べに行くときに銀杏がきれいに見えたので、近くの氷川神社にまわりました。この神社はもともとかなり大きな神社です。この参道の長さをご覧下さい。銀杏は思ったより少なく大したことはありませんでした。目指していたレストランがやっていなかったので、中華レストランで定食をおいしく食べて戻りました。午後、原宿の事務所に行きましたが、葉山に800坪の庭を持っている人からのミカンのお裾分けがありました。ドバイ・ショックを考えると、このようにお裾分け経済で欲張らずに生活することが大切です。

2009年11月27日金曜日

幼馴染みの出版


幼馴染みの友達の書いた本が岩波書店から著者謹呈で送られてきました。出版の日が昨日の11月26日です。さすがに岩波ですね。彼は慶応大学で定年まで教えていて、アートセンターの所長などを勤めて、現在は名古屋の方の大学にいっています。この本は実に内容が詰まっていて、長く彼の仕事を見てきた私にとってはわくわくするような項目がならんでいます。「コツコツ、コツコツ」と仕事を積み重ねてきていますが、なにしろ「百科全書」の研究ですから、絵あり、図あり、興味が尽きません。それにこの本には私も啓発された「下河辺アーカイヴ」の話が入っています。われわれの「吉武アーカイヴ」を再度考えなければなりません。

2009年11月26日木曜日

追分を考える


追分でのインタビュー記事を書いています。この写真は油屋旅館の隣にあり堀辰雄の旧居だということです。堀辰雄の家といわれるものは軽井沢、塩沢の軽井沢高原文庫にもあり、堀辰雄記念館の中のものをいれると3つあることになります。追分というところは不思議なところです。旧中山道の宿場という風情を残していて、そこに沢山の文化人が戦前、戦後を通じて別荘や住居をもち、沢山の作品を残しています。こうした文化的集積をどのように生かすかは、かなりの抽象力を必要とします。考えなければなりません。

2009年11月24日火曜日

バラ色浅間山


今朝、6時過ぎの浅間山です。東京へ出勤?時間のため、もっと良く撮れるところまで行かれなかったので、この程度です。この3連休はなんだか予報より天気がよくそれだけ人がでたのでしょう。
昨夜の話ではアウトレットのプラチナセールは大盛況で、なんでもブランドものを売っている店の娘は20万円のドレスを5千円で売っていたそうです。(普段は5千円のものを20万円で売っているのかも知れませんね)しばらく東京で仕事ですが、出来るだけ軽井沢の話題も取りあげられるよう努力します。これからHPの方も更新しなければなりません。

2009年11月23日月曜日

勤労感謝の日、まったく

軽井沢ロータリーのクリスマスデコレーションです。昨日の晩、花火をあげて「軽井沢ウインターフェスティバル」のオープニングでした。(花火の音だけが聞こえてきました)今朝は軽井沢名物の霧で始まりました。そして霧が晴れると快晴です。町に出てみると恐ろしいほどの人出です。これはまずいと急いで横道に入り、軽井沢会の事務所に所長を訪ね、16日の理事会の顛末を聞きました。お昼はカフェ・コンヴェルサに寄り、例のボルシチのお昼を食べながら、問題の旧細川邸、桂並木の状況を聞いて貰うことにしました。やや進展の気配でもうちょっとで現状は確認出来るかも知れません。1時には山に戻って、ハワイにいるアメリカ人カメラマンからの軽井沢での個展開催の打診について返事をメールしたり、今日は昼寝もせずに忙しく過ごしました。12月10日〜20日にドイツの友達が来るとのことで、これからの来軽の予定が立ちません。

2009年11月21日土曜日

KURA1月号用取材


今朝は6時過ぎにさわがしい犬のなきごえをまねする人の声、パン、パンという音がして、あわてて起きて窓を開けてみると猿が庭を横切っていき、猿を追ってユニフォームを着た人たちが通っていきます。「ドアなどを開けておかないで下さい、猿が入ります」と言い置いて行きました。パン、パン、ワン、ワンと猿が隣の敷地に向かっていきます。
寝不足になりましたが、午前中は樋を外して冬に備え、薪を何本か割りました。午後はKURAの取材で編集の人が車で追分コロニー(古書店)に。夕方、5時半まで、コロニーの主人のインタビュー、追分の何カ所かの撮影と働きました。カメラの撮影があり、天気が良くて本当に助かりました。頼んでおいた古本5冊を引き取り戻りました。この写真は悲しい物語、追分宿にまつわる遊女の墓です浅間山を背景にどこからか連れてこられてこの地で名もはっきりしない墓に葬られた彼女たちの運命はどんなものだったでしょう。

2009年11月20日金曜日

初冬の浅間山


今日は軽井沢町の文化財関連の委員会です。11時半頃に軽井沢駅に到着、お昼を「和助」で天丼を食べて12時半のバスに乗って教育委員会のある公民館の会議室に向かいました。公民館横の役場職員の駐車場から初冬の浅間山がきれいです。噴煙があがっていないのがちょっと残念でした。今日は委員会の後、町の施設の見学があり、戦争中の旧スイス公使館などをまわりました。

2009年11月19日木曜日

ピアノ本コーナー


本屋に立ち寄るとピアノの本のコーナーがありました。どれも面白そうな本で「パリ左岸のピアノ工房」など既に呼んだものを除いて全部買いたくなってしまいました。残念ながら、今、読まなければならない本がたくさんあるので、勇気をもって買うのをやめました。ときどきこのようなコーナーが出るといいですね。

千人の交響曲


夜の11時過ぎ、サントリーホールでの新日フィルの定期演奏会、その後オーバッカナールでの夕食が終わって、ゆっくりとした気持ちで帰途につくときです。ホールに向かって左側にある噴水の夜景です。山茶花が上に見えます。昨夜に演奏は常任指揮者のクリスチャン・アルミンクが出て、マーラーの交響曲8番、「千人の交響曲」という90分の超大曲です。200人以上の圧倒的な合唱団と8人の歌手、フルオーケストラ、曲の最後にわれわれの席の後ろにトロボーンとトランペット、パイプオルガン、その音量だけで身体が震えます。

2009年11月18日水曜日

雨傘の日










うちの事務所の窓から下を見ると傘の行列です。傘にもいろいろなものがあります。このヴァラエティはいいものです。雨の一日でしたが、仕事がはかどりませんでした。本来は晴耕雨読の雨読がうまくいくはずなのですが、面白くないメールが入ってきたり、集中力がどうしても出ないのです。前の日に「日本的民主主義」があるのかという議論があり、これに引っ掛かっているのかも知れません。

2009年11月17日火曜日

Agora表紙印刷

雑誌Agoraの編集長が製本屋に行ってくれ、相談してくれました。変形ですがやってくれるとのことです。ただ、7.8枚余分に作っておいてほしいとのことです。事務所の事務局長が見るに見かねて手伝ってくれ、2時間ほどで48枚印刷ができました。しかし、今度は用紙が足りないことがわかりました。あと10枚用紙を買ってきて印刷しなければなりません。このような手作業は毎回何か問題が発生し、その都度工夫して切り抜けます。

2009年11月16日月曜日

白楽

世間の人達が七五三や公園で楽しんでいるのですが、こちらはA3のプリンターで印刷不能のクラス雑誌の表紙をかついで東横線の白楽に行きました。勿論、この駅は特急や急行は止まりません、菊名で乗り換えです。この駅の裏側はそれこそうらぶれています。天気が良いと余計さびしいですね。風に赤提灯がゆれていたりしています。
友達が待っていてくれて近くのコーヒー屋に入って表紙を渡しました。彼の小学校の同級生がやっている製本屋で相談してくれることになっています。

2009年11月15日日曜日

雨上がり


昨日の雨上がりは急に暑くなって大変でした。太陽の照り返しが横断歩道で光っていました。
土曜日でしたが、クラス雑誌Agora14号の編集作業で朝から夜までかかりました。外に出たのはお昼を食べるためだけでしたが、この時期、この暑さには驚きました。Agoraのことについては改めて書きますが、今年は創刊からなんと50年、文学部で安保などで悩んでから半世紀というわけです。

2009年11月14日土曜日

加藤周一「ある晴れた日に」


この本のスタート「土屋太郎は、落葉松の林の間にどこまでもつづく坂道を辿りながら・・・・」。軽井沢に長い人ならすぐにこの背景を思い浮かべることができるでしょう。これは4月ですが、軽井沢は今頃から4月頃まで半年、景色は変わりません。木の葉が落ちて、落葉松の林がつづく道が「歩くことの出来る人間」には限りない創造の源になるのです。「車で走りまわっている人間」には縁のない話です。加藤周一のただ一つの小説といわれているこの著作は、この落葉松林を抜けてグリーンホテルと思われるホテルに進んでいくのです。内容は重いものですし、加藤周一の基本的なテーマになるのですが、若い頃から軽井沢に過ごしていた彼の中に常に軽井沢の風景がバックにあることを感じないわけにはいきません。

2009年11月13日金曜日

朝の通勤時間


原宿から新宿よりにお召し列車の駅があります。どうやら、即位20年で柵のペンキは塗り直してようできれいになっています。朝、事務所に向かうときはこの柵が目に入ります。通勤という感じは元気良くというわけにはいきません。面倒な打合せの場合が多いわけで、どうしても気が重くなります。今は景気の低迷、政権交代で不透明な将来で様子見の相手に、プロジェクトを仕掛けるのは困難です。

2009年11月12日木曜日

カメラ修理不能

セミ・プロの写真家で、「写真集」を出しているのかと高名な詩人に言われているうちの事務局長にカシオのカメラを見て貰いましたが、個人では修理不能ということ。メーカーに修理に出さなければならないことがわかり、修理を断念しました。1度修理に出しましたが、修理代が高く引き合いません。買い換えることにしましたが、事務局長の教えを乞いながらしばらく検討することにし、その間、うちのおくさんのカメラを借りることにしました。昨日は朝は東洋伝承医学研究会の理事会、その後は夕方まで雑誌の編集でしたが、その午前中の会議で理事の1人が、おそろしく読書をしていることがわかり、読書と人間の言動がどのように結びついているのか考えなければならないテーマだとおもいました。

2009年11月11日水曜日

カメラが不調


毎日使っているのですが、何度か故障し、一度ビッグカメラでなおしに出したカシオのカメラが「手ぶれ補正のシステムが使えません」という表示が出て写真が撮れません。外ではまったく使えず、バッテリーを入れ直したりしてみましたがダメでした。
夜になって家の中でもう一度使ってみたところ、なんとか2,3枚撮れましたので、失礼ながら自分の部屋を公開することになりました。説明はしないでおきましょう。片付いていませんね。いずれにしても、小型のカメラを買い直さなければなりません。

2009年11月9日月曜日

藍綬褒章の落ち葉掃除


藍綬褒章の管理人に落ち葉掃除をしてもらうのですから値千金というのでしょうか。今年からは掃除代は何倍にも跳ね上がったらどうしましょう。雨でも降ると落ち葉が吹き飛ばせなくなるので今朝は早くからうちの庭をやってくれていました。その上、駅まで来るまで送ってくれて、昨夕はなめこやなすなどの野菜や豆腐もくれて至れり尽くせりです。この週末も仕事が沢山ありました。今週は東京でゆっくりしたいものですがどうでしょう。

2009年11月8日日曜日

沢屋のピロシキと私の文章


軽井沢では名前の通っているジャムの沢屋さんのテニスコート通りの店に行くと、喫茶コーナーがあります。そこのテーブルに「旧軽井沢ピロシキの歴史」と書かれた案内が出ています。私が雑誌「KURA」の軽井沢特別号に書いたページが使われていました。沢屋さんの社長が天皇、皇后軽井沢のロマンス時代に売っていたピロシキと同じものを再現して食べさせているのです。これは中村屋やロゴスキーの揚げパン風のものと違って外側は比較的かたいパンになっています。中身は挽肉、タマネギがたっぷり入って食べ応えのいいものです。

2009年11月7日土曜日

枯葉をブロワーで吹き飛ばす

庭の木の葉がほとんど落ちたので、ベランダの枯葉をブロワーで吹き落としておくことにしました。枯葉は屋根や樋にもかなりついています。唐松の細かい枯葉は作業中でも洋服や髪の毛に飛んできて、まつわりついてしまいます。この電動式のブロワーの欠点は電気のコードの長さが限度ということです。今年はドングリや木の実の当たり年で、ベランダの板と板の間にたくさんつまっています。木の実が多かったのでイノシシが来なかったと先日書いたとおりです。次に軽井沢に来るときには吹き落とした枯葉も一緒に管理人のおじさんが、きれいに集めて処分しておいてくれるはずです。ただ、今年はおじさんが16日に藍綬褒章の親授式のため、それが終わるまでは作業にかかれないかも知れません。

2009年11月6日金曜日

初冠雪の残り


軽井沢に来てみると,浅間山の頂上にわずかに雪が残っていました。午前10時50分のバスに乗ったのですが、バスからはうまく撮れません。家についてから、急いで自転車に乗って,旧スケートセンター、ボーリング場(もう昔に閉鎖されている)に下りていき、その裏の定点観測場所で撮ってみました。しかし、30分で雪はもっと溶けたように見えました。素晴らしい晴天で、日向と日陰の温度差は10度にもなるのではないかと思われました。新幹線を下りるところで軽井沢ナショナルトラストの仲間に会いました。なんでも「軽井沢ツー・デイス・ウオーク」のガイドをするそうです。

2009年11月5日木曜日

岩波ブックセンター

カタルシスの語源を調べるために
岩波文庫のアリストテレス「詩学」を買うために岩波ブックセンターに行きました。神保町の交差点近く、岩波ホールの隣にあります。岩波の本はここへ行けばあるのです。岩波文庫の棚で青帯の並んでいるところにすぐ見つかりました。しかし、カタルシスについては一行書かれているだけで、注釈が膨大です。実際には古代ギリシャで使われた言葉を現代日本で正確に知り得ることはないでしょうが、想像力を尽くしてみなければなりません。

2009年11月3日火曜日

フィンランド・カフェ


Aaltoカフェというのが渋谷の家の近くに期間限定オープン、早速行って、お昼を食べました。
簡単なフィンランド料理です。 Albar Aaltoといえばフィンランドだけではなく、世界的な建築家で、モダンな美しい建築をフィンランドの自然を背景に数多く発表した人です。私もヘルシンキで「フィンランディア・ホール」を見ていますし、前から作品集をもっていて好きな建築家です。

2009年11月2日月曜日

われらの管理人のおじさんが藍綬褒章!


朝、東京への出がけにテレビのニュースを見ていたら、なんとわれわれの山小屋の管理人の
石川おじさんが藍綬褒章受章と出ました。これは、これはおめでたい。早速、軽井沢駅行きのバスに乗る前に走ってお祝いを述べに行きました。おじさんとおばさんが喜んで、信濃毎日新聞の顔写真入りのページを見せてくれました。長野県では10人、軽井沢町からは1人、8年ぶりとかで、これは小さい町では大変なことです。(観光の町、いわゆる軽井沢とは全く違う、普通のローカルな町なのです)だから、われわれの住処は藍綬褒章受章の管理人がいるという名誉な山小屋となったわけです。石川おじさんは今朝は昨晩の雨で仕事に出るのはいつもより後になるからと、軽井沢駅まで送ってくれました。16日の式には軽井沢警察の課長が付き添いで行くそうです。

2009年11月1日日曜日

河村目呂二展


信濃追分に晩年隠棲し、そこをついの住処とした世紀の奇人、河村目呂二展を見に行きました。いろいろないきさつの末、とにかく、ここまでこぎつけたのは驚くべき事です。お金とエネルギーを考えると信じられないと言ってもいいでしょう。目呂二のひ孫恐るべしであります。しかもレセプションパーティの設え、進行も大手の美術館のミニチュア版のように完璧でした。さて、肝心の目呂二の猫ですが、これはやはりたいしたものでした。私の友達の小杉放庵の孫が来てくれたのですが、やはり、彫刻が上手い人が本物で、絵も上手いそうですが、
目呂二の猫の彫刻はすごいもので、非常に完成度の高い作品が展示されていました。そして
宇都宮美術館のキュレーターが言っていましたが、目呂二が「我楽他宗」の仲間だったことは
重要で、この自由を掲げるコレクター達は誰もが大変な人たちで、その面白さは天下一品のようです。