2010年2月27日土曜日

ジャン・ティングリー


軽井沢のセゾン現代美術館の収蔵品の中でも大物といえばジャン・ティングリー(1925〜1991)の作品です。産業廃棄物の中から、車のホイールベースやら、各種フレーム、一般廃棄物からは鍋やフライパン、捨てられたジャズクラブのドラムや鐘、それを構築物にして、音のパーフォーマンスを繰り広げます。その音楽といえばいえる現代の響きはまさに地獄の静けさを想像させるものなのです。現代アートの基礎のように思えるのです。私は彼の作品が大好きで、作品のある本拠地のスイス、バーゼルやスエーデンのストックホルムなどに見にいきました。昨日、お茶を飲みにアフタヌーンティー行って席に着いたら、なんとその横にこのポスターが飾ってありました。嬉しかったですね。このポスターは初めて見ましたが1982年のロンドン、テートギャラリーの展覧会のものでした。(下の絵は公開画像で、セゾンのものではありません)

2010年2月25日木曜日

春めいて


春を感じさせる暖かい日より。これで早くも春眠暁を覚えずになってはいけないので、少しぴりっと仕事をしなければなりません。幸い、一昨日は吉武ゼミで、それもいつものワインのチーズの懇親会が出来る部屋ではなく、殺風景な講義室でハードな建築計画学と芸術工学の過去、現在、将来に関するテーマで話しがあり、安眠をむさぼってはいられない状況になりました。私自身もこれを機会に頭にあったものを何本かの論文にまとめる必要があります。問題はデータをどの程度集められるかによって、学術性の有無を問われる恐れがあり、仮説としては非常に重要なのですが、根拠をはっきりできないと単なる仮説に終わってしまいます。ゼミのまえに研究所長と話したのですが、体制もしっかりその方向へ近づけるようにしようということです。

2010年2月22日月曜日

日曜のお昼




うちの近くの金王八幡神社の境内にある絵馬を掛けるところに派手派手しい絵馬がかかっていました。爆問の太田光と田中裕二の名前があります。社務所の玄関にはすばらしいおひな様が飾ってあり、自由にみることができます。これも新しい女宮司が着任しての新企画です。この宮司のお陰で、神社はすっかり整備されて明るくなり、賑わい感が出てきました。彼らはこの辺りに住んでいるのか。久しぶりに少し春めいた日曜日、渋谷は人出がすごい有様です。床掃除のためのワックスを東急ハンズに、週間ブックレビューで話題になっていた「オシムの伝言」という本をLibroに探しに行きました。ハンズでサポートしていた中国留学生の結婚のお祝いに面白い貯金箱を見つけました。お金を入れると犬が喜んで踊るものです。帰りがけに今晩の食べ物を買って戻りました。

2010年2月21日日曜日

先端研の夕食会


東大先端研での食事会です。ここにあるレストランのイタリア料理はなかなかおいしいのです。先端研の元の所長で材料工学の先生夫妻と筑波大の図書館長夫妻とわれわれ夫婦の6人です。夕食のテーマにしては図書の電子化の話に始まって、大学の現状、将来、日本の研究者の状況など重い話になりました。国会図書館の書籍の総電子化も行われるようで、そうなれば、紙の本というものがなくなるかもしれません。また、すべてに満足している現在の日本の学生には研究への動機や情熱がないようなのです。当然、それをもっている中国や韓国の学生が増えていきます。これが困ったことなのか、良いあるいは面白い傾向として楽観的の考えるかどうか、少し議論を進めて行かねばなりません。

2010年2月20日土曜日

お百度参り

いつも横を通るだけの稲荷神社の正面に回ってみました。最近、この神社もきれいに塗装され、社務所にも人がいるので、神殿の方に行くのはおそろしいのです。お狐さまにばかにされるおそれがあります。ここに剣道場があり朝から剣士の叫びが聞こえ盛んです。しかし、さすがにお百度参りをしている人は見かけたことがありません。江戸時代には心の清い女の人たちがはだしになってお百度参りをした姿を想像してみます。

2010年2月19日金曜日

お寿司買いすぎ

名古屋で「東鮓」というすし屋をやっている友達がまたまた三越の寿し祭りに出店、いまは息子が出張って頑張っています。昨日は期待していた鯛すしが売り切れていて、この店の売り物、バッテラ二段重ねなどついつい買いすぎ、買い間違いで日本橋にあるイタリア料理店「ピノキオ」の友達の妹さん夫婦におすそわけしても、ご覧の通りの寿しづくしになってしまいました。お陰で昨日のお昼、夜、今朝と今日のお昼まで食べ続けることになりました。さすがにまいりました。

2010年2月17日水曜日

寒い曇りの日





都会の真ん中で昨日のような曇って寒い日を映像で表現してご覧なさいというテーマが与えられたら、何をどのように撮ればよいかと考えて何枚かシャッターを切ってみました。一つは曇天そのものをとるためにビルの角度を利用して構図を考えてみました。もう一つは人気のないレストランの庭です。夏のにぎやかなパラソルの下を思い浮かべればよいのですが、それはひとそれぞれの想像力に頼らざるを得ないので、これは無理かも知れません。色で表現するか形で表現するかも問題です。

2010年2月16日火曜日

春節

中国の新年、春節が14日からスタートです。われわれは30年間、お祝いのパーティをつづけてきています。昨夕は華僑の友達、中国からの留学生と今回は台湾からの友達を含めて16名の参加です。この30年、中国も日本もかわりましたが、こうやって毎年仲間が集まってみると、かわらない友情があります。

2010年2月15日月曜日

巨星墜つ


長い日々、われわれの偉大な師であり、親しい仲間だった東邦大学名誉教授、日本にアーユルヴェーダを始め漢方からアラビアのユナニ医学まで東洋伝承医学を紹介、普及に努めた幡井勉先生が91才の生涯を閉じられました。お別れ会の後、先生が育てた観音崎科学博物館館長の石鍋さんを囲んで先生を偲びました。館長の手に先生が親しんだ鳴き声を楽しむ中国伝来のコオロギがいます。先生の死を悼んで駆けつけた中国、台湾、イラクの仲間がこのめずらしいコオロギを鑑賞しました。幡井先生は本当に好奇心が強く、様々な人、様々な事に興味をもたれ、すべて仲間にされました。

2010年2月13日土曜日

友人の息子の結婚式

小雪の舞う寒い一日になりました。世田谷の経堂にある小さな教会で友達の息子の結婚式です。もともと友達だった彼の父親は17年前に亡くなり、そのこともあって、彼は医学療法士として静岡の病院に勤めています。縁あって職場で良い人が見つかって結婚ということになったようです。今日は東京と三島でご披露ということになるそうです。多数の参列者、全員の記念写真と言うことで、カメラが2階から撮影でした。

2010年2月12日金曜日

NPO幼い難民を考える会30周年

NGO時代からカンボジャで難民になった子どもたちを助けて活動してきた会が30周年を迎えました。NPOは法案が出来てまだ12年ですから、こうした活動の草分けです。緒方貞子さんが30年前に日本政府の代表で難民キャンプに視察に行った頃、日本ではじめて難民を助ける民間ボランティア団体が出来たのです。この本は写真が多く面白く会の活動を伝えていて、こうした活動の手引きになります。2000円ですが是非買って読んで下さい。うちの奧さんが当初から協力していまも仕事の合間をぬって毎週のように何かやっています。

2010年2月10日水曜日

新しいiMac

新しいMacが到着、一番安い機種ですが、しばらく、買い換えを控えているうちにハードの進歩がものすごく、キーボードもマウスもすべてブルートゥースでコードが全く入りません。それはよかったのですが、ファイヤーワイヤーが9ピンのものになっていて、従来のコードでは使えません。ハードディスクなどがつなげず、買いに行かなければなりません。そして、ソフトでやっと使えるようになったものがありますが、新しいMacでは使えなくなるものもあり、結局、古いMacを残して使うことになります。古いMacのままで頑張ろうと思いましたが、新しいMacについていかないと、一度遅れてしまえばおしまいだと言われました。実は遅れてしまうと一つの仕事を失うのです。私のようにMacで仕事をしている者は技術進歩についていかなければ食べられなくなるというおそれがあるという恐ろしい時代です。

2010年2月7日日曜日

雪中取材


生憎の天候で、ときおり吹雪く中を雑誌KURAの取材です。車の無い私は中軽井沢の駅から30分ほど歩いて先ず軽井沢陶房にカメラマンと集合。一息ついて、この古宿という集落の長老のお宅を訪ねました。話は尽きません。全く違う軽井沢です。軽井沢の中で最も歴史の古いところでありながら、2度の大火で焼き尽くされたこともあって、この荻原家に伝えられている話と焼け残ったわずかな資料以外に残されているものは何もないというのです。しかし、荻原家がなければ沓掛(中軽井沢)、千ヶ滝、万座温泉の開発がなかったという話です。堤康次郎は荻原家には足を向けて寝られなかったといいます。西武の開発前史が語られました。日が暮れそうになってカメラマンが心配し始めるので、なんとか撮影できるものを長老に案内してもらいました。零下7度、降りしきる雪で写真部長は懸命の撮影です。一緒に歩きながら話は途切れませんでした。この記事は5月号になるので、どのように書くか考えながら戻りました。

2010年2月6日土曜日

暖炉の前で



今年、何回目かの大寒波が押し寄せて、またも暖房と水のコントロールが面白くてたまりません。うまく部屋が暖かくなり、うまく水が出て、流れたときには思わずにんまりしてしまいます。薪を外の積んであるところから家の中に運んで、それをまた2階の暖炉まで運ぶのがこれもなかなか知恵がいります。重すぎれば腰を痛めるし、軽ければ直ぐ燃える木ばかり入っていてこれは何度運んでも、直ぐに燃えてしまいます。火付きのいいものと、火持ちのするものとをうまく持ち込むのがこつで、これも面白くてなりません。今週は月曜日の朝に東京へいき、金曜日のお昼過ぎに軽井沢に戻ってきましたから、中3日ですから、建物もそれ程冷えていなくて、4時間ほどで、暖かくなりました。そんなことをやっているうちに昨日はまとまったことができませんでした。

2010年2月5日金曜日

目呂二抄


大正、昭和時代を彩る稀代の画家、彫刻家、河村目呂二の曾孫に当たるご夫妻と一緒に食事をするという光栄に浴しました。今年も軽井沢を舞台に目呂二展を開催するお話しです。おそらく21世紀の日本人の目指す最も楽しいライフスタイルを提示した人物として、多くの人に真似てもらいたいと考えています。楽しいライフスタイルを見せてくれた河村目呂二、知的なライフスタイルを教えてくれた加藤周一とともに軽井沢、信濃追分の誇る巨人です。頂いた「目呂二抄」は昭和49年(1974)、限定本500部のうちの114番目の一冊で、目呂二の随筆とスケッチ集です。

2010年2月4日木曜日

冷え込み

東京でも雪が残っています。きびしい寒さがつづきます。仕事の方も研究所の親会社の経営問題で鳩首会談を夜中近くまで行いました。一般的な経済状態は冷え込み、個人消費の最前線では全く明るさがみえません。生活物資はスーパー、コンビニ、100円ショップ、高級品は中国人の金持ちという以外は買わないという状況です。こうした中で研究所の方へ軸足を移していくために、本体の整理ということも念頭に厳しい対処が迫られるということです。

2010年2月2日火曜日

熊谷守一の「雨滴」


テレビで放映された画家熊谷守一の「雨滴」です。この原画は愛知県美術館の木村定三コレクションに収蔵されています。この絵は熊谷守一の絵の中でも最も音を感じさせる絵です。しかも具象と抽象の真ん中に位置するような絵です。テレビでは超高速カメラで雨が水溜まりに降るところを捉えた映像が出て、それがこの絵の雨滴と全く同じでした。守一を撮っていたカメラマンが、肉眼では決して見られない1000分の1秒の瞬間の映像ですと言っていました。つまり守一の観察が如何にすごいかを表しているのです。われわれ普通の人が音として感覚で捉える雨を目で見て、絵にしているのです。たまたま私は膨大な木村定三コレクションの中からこの絵を選んでエッセーを書いて美術館に渡しましたが、この目に狂いはなかったようです。

2010年2月1日月曜日

軽井沢検定教科書

これが「軽井沢検定」公式テキストブックです。表紙は旧細川別荘、桂並木です。これを読んで軽井沢のことがだいたいわかって
試験を受けると70点以上が合格ということになるのでしょう。回答は4択で例えば、軽井沢を避暑地として発見したキリスト教宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーは何人だったでしょう? ①イギリス人 ②アメリカ人 ③カナダ人 ④オーストラリア人 正しいものを選んで下さいということになります。