2015年7月31日金曜日

地獄から天国へ 避暑のすすめ



いくら冷房があっても、東京の酷暑には耐えられません。何故、日本人に避暑というライフスタイルが定着しないのか。別に金持ちのライフスタイルではありません。
日本にはもともと避暑の習慣が無かったため、戦前に一部特権階級によって西洋の模倣によって輸入されたものでした。そして、戦後の民主主義はこのライフスタイルを許容できず、冷房文化によって避暑文化は完全に排斥されてしまったのです。

今の軽井沢など避暑生活ができる状態では全くありません。せいぜい健全に年寄りなった人が少し昔を思い出して避暑をしているだけです。

私の友達でウイーンやトリノに住んでいるわれわれと同じ生活レベルのヨーロッパの友達は避暑が金持ちや特権階級だけのものではありません。素朴な田舎で避暑をしています。

日本には避暑が出来る場所はどこにでもあります。もう都会化した軽井沢は気温が高くなっていますので、地価や物価の高い軽井沢などは考えず、北海道から九州まで山の高度が高いところにいくらでも避暑生活が出来ます。ものすごい高級車を買っている日本人はささやかな避暑などはとても出来ないでしょうが、この酷暑は避暑を考え直す時期ではないでしょうか。

2015年7月26日日曜日

新しいレストランの前途は如何に



軽井沢も猛暑に近い暑さです。もちろん町の方は軽井沢銀座通りなどは35度を優に超えていると思います。その中で新しいレストランがロータリー横、川上庵の対面に出来ました。経営は川上庵、酢重と同じですから客の奪い合うことも無く、川上庵の行列が少しは緩和されるかも知れません。

この混雑、渋滞を喜んでいる商店や観光関係者に反省の機会を与え、町長の言う交流人口を増やすことを考えるにはまだ先に先でしょう。もちろん、浅間山がある程度の規模で噴火するとか、豪雨で水害や土砂崩れでも起きれば、町は一転して変わるでしょう。

人間の想像力は貧弱なもので、しかも極めて楽観的なものですから、実際に災害が起こってみなければ何も想像出来ないということです。そして、またすぐ忘れてしまう、戦争でもなってみなければわからないから、中国や韓国を挑発しまくる法律を憲法を無視してまで作ろうというわけです。

とにもかくにも、軽井沢はその日の客からできるだけぶったくろうという昔からの精神を捨てきれない以上、将来はないでしょう。

2015年7月25日土曜日

軽井沢の変遷、鶴見俊輔の死



この前の道は固有林に面しています。この道は旧草津街道です。昔はこの場所から浅間山が美しい姿を見せていました。戦後の植林で落葉松の林になって浅間の姿は消えました。植生、気候も大いに変わって、涼しい草原を風が渡る「上信越高原・軽井沢」は様変わりしました。今は逆にこの林によってなんとか涼しさを保っているという状況です。今日も気温は31.6度まであがりました。

午後、散歩しようと思いましたが、近所を歩くのがやっとでした。軽井沢にも縁のあった鶴見俊輔が亡くなったので、これで憲法九条の会の発起人はまたも重要な人物を失ったのです。93才という大往生ではありますが、存在感だけでも重要な人物でありました。

たまたま憲法九条の会の事務局長の小森陽一さんに一昨日会ったばかりでした。鶴見俊輔の残したものをどう考えるか、これからのわれわれの課題です。

せめて静に


せめて2日でも3日でも、酷暑の東京から逃れたい一心でなんとか軽井沢到着。紀ノ国屋に注文した、ささやかな一人一串もいかないような「うなぎ」の蒲焼きをかかえて新幹線に飛び乗ってやってきました。

いや、涼しい東京よりも、いや、暑い、こんな軽井沢では。

駅前の馴染みの「和助」さんに入ったら、おかみさんが扇風機をこちらに向けてくれて、「明日は33度の予報が出ていますよ、軽井沢で」と。


1時過ぎのしなの鉄道に乗って、ようやく家につきました。やはり、涼しいです。軽井沢町の町中よりかなり山に入っていますから、木々に囲まれて静にしていればいいのです。今様のイベントを追っ掛けて町を走り回る生活では、涼しいどころではありません。イベントだらけでますます面白くなくなる軽井沢という何とも皮肉な話ですが、こんな言い分は今の軽井沢住民、別荘民、観光客には全く通用しないでしょう。すべてが消費の世界です。何か買っていれば、見ていれば、参加していれば、
それで満足。人生はあとでそういう人達に手厳しい、恐ろしい復習をするのです。それが時間と歴史です。

2015年7月13日月曜日

プリンスホテル一人勝ち



軽井沢に来れば必ず寄る「江戸原ペンション」、お茶にいらっしゃいと必ず声を掛けてくれるありがたいオアシスです。ここでコーヒーを頂きながら、しばし、軽井沢町の情勢分析をします。

今日は、国際会議場の問題です。長年、町の懸案になっているのでしょうが、先日、町長より、中学校の建て替えなどの懸案を処理するのに精一杯で、自分の任期中に手をうつ考える気もないということで、「西武プリンスホテルの一人勝ち」はどうしようもないということです。

一方で江戸原ペンションなどが参加して、会議誘致を目的にプリンスも入って組織を作ったのですが、結局、大会議はプリンスがとりるが、そのおこぼれは加盟宿泊施設にまわってくるという互恵のシステムになっているようです。そこでは町に国際会議場を作らせる必要はないということでしょう。

われわれは今回のスイスとのシンポジュウムの開催にあっても予算の40%が、会議施設や通訳など、国際会議場があれば問題ない費用として外部に出ていくわけで、これではどうしようもないという気持ちです。

とにかく学会なども軽井沢は高くて混んでいて使えないというのが、やろうとすると必ず出てくる障害です。

2015年7月12日日曜日

車両故障のあおり。


夕方に軽井沢に着くと、わが家の明かりが見えると嬉しいですね。山登りをしていた頃、疲れ切って山小屋の灯が見えると本当にほっとしたものです。今日は午後1時から4時近くまで礒崎 新、中谷礼二の対談は予定を1時間近く超えました。内容が濃いだけに聞く方も力尽きる感じです。

やはり、軽井沢は涼しいですね。別天地です。でも日中はかなり暑かったようです。

東京駅についたとたんになにやらホームが一杯でした。これは変だと思いました。21番線に「あさま」が来ているはずなのに、「はくたか」が止まっていました。
やはり、車両故障で動かなくなっていました。たくさんの乗客が駅員を取り囲んで、いろいろ聞いていましたが、案外、乗客の皆さんは文句も言わず他の方法を考えたり、払い戻しに行っているようでした。

なんとか私の「あさま」は軽井沢に7分遅れで、バスに乗り遅れたもののなんとか「しなの鉄道」に乗り継いで、そのバスを中軽井沢で乗ることができました。

2015年7月6日月曜日

充実した軽井沢の日曜日



昨日はなかなかのよい日でした。11時開演の大賀ホールへ行こうとバスをまっていると、管理人の石川おじさんが通り掛かり、中軽で用事があるというのに、開場まで送ってくれました。コンサートは日本モーツァルト協会20周年記念ピアノコンサートで、仲道郁代がトルコ行進曲付きのK331と332、なにか少しミスタッチがあり上等とは言えませんでしたが、威張って演奏する横山幸雄、330,333 よりは良かったと思います。丁度、高円宮妃が来られていてその関係で藤巻町長も来ていたので開場で開演前、途中休憩で話しができました。また、帰りは玄関から出てきて見送ってくれました。

その後、写真のロータリーの酢重でお昼を食べて、デリカテッセンで夕食用ハム購入、軽井沢会の事務所にショー祭のパンフを届けたりして、三度屋さんに行き、念願の茶道具箱一式購入引き取りに行きました。すばらしい入門編茶道具を仕入れて下さっていて感激です。これから、お茶を点てて飲めるとなると、軽井沢の日々も代路楽しいものになるでしょう。

そこへ、なんと今日訪ねようと思って電話をしたらお留守だった片岡御夫妻が来られて、これまた楽しく歓談が出来ました。

さて、今日はこれから町の教育委員会で日本・スイス シンポジュウムの打ち合わせをして東京に戻ります。
これからのブログは軽井沢に戻るまで東京で書くことになりますので、明るい「迷・隠居志願」をご覧下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/atsuhiko88m

2015年7月4日土曜日

南原、国際高等セミナーハウスで古い友達が講演



南原にある国立情報学研究所、国際高等セミナーハウスで私の古い友達の月尾嘉男東大名誉教授の写真のような話がありました。彼はときどきテレビに出るのでご存知の方があると思います。

先住民の叡智ということで、文明が如何に人間をダメにしているか、あらゆる動物、あらゆる先住民族が教える叡智を彼は世界中をまわって身をもって体験してきての総括の一環でしょう。すべてが自然の循環にかかっていて、人間の文明がその循環を断ち切ってきているのです。顕著な例は極端に高い防波堤作りです。また、オーストラリアの焼き畑の禁止による山火事、中国の内モンゴルの漢民族移住による草原の砂漠化など世界中にひろがっています。

うちの近くの道の舗装化もその例です。軽井沢は私の子供の頃は草原でした。草原で涼しい高原だったのです。いまや木を切るなとただただ木を預かっても仕方がないのです。

2015年7月3日金曜日

環境破壊の道路舗装



軽井沢の家の横の道が舗装されるようです。車のためでしょうが、だれがこの道の所有か知りませんが、多分西武プロパティーズでしょう。誰が頼んだのか、この辺の住民か、この辺の別荘所有者か。車が汚れて困るとか、底を擦って困るとか言うほど素晴らしい外車を持っている人はまわりにいませんが。近所のペンションの人も、私が良質と判断している人達は反対しているようですが。

まず、ゆっくり歩く道がなくなります。犬を散歩するにしてもわきを通って行かなければなりません。
いつ車が飛ばしてくるかわからないからです。
歩行者の危険度が増します。

国道の千ヶ滝通りを迂回してこの道を通る車が断然多くなります。

舗装するので暑くなります。夏は暑く、冬は寒くなります。

もちろん、写真でご覧の通り、景観は悪化します。

この数年、軽井沢の環境は悪化の一途で都市化の悪い面が出てばかりいます。
いずれ中途半端な都市でもない、リゾートでもない中途半端な町として
過疎化していくでしょう。今では想像も出来ないことですが、それは
確かな軽井沢の未来です。

軽井沢の住民、別荘所有者、観光客、すべての民度が下がっているので、
将来を考えればこの見通しが当たるでしょう。