2013年1月22日火曜日

チャリティ・ジャズコンサート


日本生まれ、日本育ちのアメリカ人、熊本の宣教師の子供達はいまはアメリカ在住で、その兄弟が東日本大地震の知らせで日本に戻って来て「入浴サービス」のボランティアをやり、やや落ち着いてからは、本業のジャズコンサートで資金集めに全国を回っている。

弟が司会で兄はトランペットを吹き、その友達のサックスの名手が一緒に演奏、コンサートの合間に地元の小学生のジャズバンドを教え、多彩なゲストが登場。大賀ホールに入った全員が「花は咲く」でエンディング。

やはり宣教師の息子達の活動は身についている、ごく自然に自分達のやれることをやって人助けをする、子供の頃からの生活の一部になっている。

大賀ホールを出ると前の池が凍っていて、いつもいる鴨がどこかに飛んで行ってしまったのか。

2013年1月15日火曜日

東京の雪に思う


昨日、東京大雪、北海道の友達3人と話し、軽井沢の雪状況を主としてフェイスブックで確認。雪には慣れているせいもあって、あまり感動はしないのですが、東京の家の暖房では暖が十分とれないという悩みがあります。東京での雪の思い出としてかすかに思い出せるのは品川の農林省〔当時)の官舎に暮らしていた小学生の頃、雪が積もってミカン箱に竹の橇をつけて家のあるところから官舎の入り口までの坂を滑り降りて大いに楽しんだことです。

その頃は何かにつけて遊び道具を考えたもので、ホッケーのスティックを作ったり、野球のバットを作ったりして総て自分達の工夫で遊ぶことが出来ました。もっともグローブは母が余り布で縫って作ってくれましたが、いつまでも皮のグローブがあこがれでした。

私の小学校は区立で地域の子供が通う学校で、町の商店街や、勤め人や、工場の人達などの子供がいて、親のことが問題になることもなく、皆が一張羅の服をきて、運動靴を履いていました。だれもが一生懸命勉強することが大切だと思っていました。

先生は「先生」としてとにかくわれわれ子供達を「指導」する立場でわれわれは「習う」「教わる」という立場で、しかられるのは当たり前、しかられて教わると思っていました。最近問題になっている体罰と称するものはその範囲内でした。体罰は泣かされることがあって口惜しいと思うこともありましたが、誰も泣かされたりしていましたし、自殺などという高度な精神状態になるはずもありませんでした。

なにをやっても皆、仲間だったのです。戦争に負けたお陰で、占領軍のお陰で、皆がスタートラインに立っていたのです。

2013年1月5日土曜日

犬も転ぶ軽井沢の雪氷道


軽井沢の中でも山の斜面にある千ヶ滝別荘地は町中より気温も3,4℃低く、雪が溶けずに残り、そこに零下10℃以下になるため、雪はカチンカチンの氷になります。その道を歩くのは大変です。うちの管理をやってくれているおじさんも雪のないときは夕方の犬の散歩になりますが、今日のような日は未だ暖かい零下2,3℃の午後2時過ぎには散歩に行くことになります。

普通、転ぶことなどない俊敏な日本犬の「勇」も、この道では転んでしまうのです。おじさんの方は雪ぐつを履いていても犬に引っ張られればひとたまりもありません。さすがに今日はアイゼン、鉄の爪を靴につけていました。2本爪で最も簡単なものです。おじさんが以前、軽井沢名物「天然氷」の切り出しのときに使っていたものだそうです。

私が学生で冬山に登っていた頃、奥秩父あたりでしたら4本爪のアイゼンを使いましたが、それ以上の山に行く場合は本格的なアイゼンが必要でした。今年も早くも遭難のニュースが入ってきていますが、冬山の魅力には特別なものがあります。雪がバラ色に輝く朝や夕方の景色を味わった人は生涯忘れることがないものでしょう。