2013年1月15日火曜日

東京の雪に思う


昨日、東京大雪、北海道の友達3人と話し、軽井沢の雪状況を主としてフェイスブックで確認。雪には慣れているせいもあって、あまり感動はしないのですが、東京の家の暖房では暖が十分とれないという悩みがあります。東京での雪の思い出としてかすかに思い出せるのは品川の農林省〔当時)の官舎に暮らしていた小学生の頃、雪が積もってミカン箱に竹の橇をつけて家のあるところから官舎の入り口までの坂を滑り降りて大いに楽しんだことです。

その頃は何かにつけて遊び道具を考えたもので、ホッケーのスティックを作ったり、野球のバットを作ったりして総て自分達の工夫で遊ぶことが出来ました。もっともグローブは母が余り布で縫って作ってくれましたが、いつまでも皮のグローブがあこがれでした。

私の小学校は区立で地域の子供が通う学校で、町の商店街や、勤め人や、工場の人達などの子供がいて、親のことが問題になることもなく、皆が一張羅の服をきて、運動靴を履いていました。だれもが一生懸命勉強することが大切だと思っていました。

先生は「先生」としてとにかくわれわれ子供達を「指導」する立場でわれわれは「習う」「教わる」という立場で、しかられるのは当たり前、しかられて教わると思っていました。最近問題になっている体罰と称するものはその範囲内でした。体罰は泣かされることがあって口惜しいと思うこともありましたが、誰も泣かされたりしていましたし、自殺などという高度な精神状態になるはずもありませんでした。

なにをやっても皆、仲間だったのです。戦争に負けたお陰で、占領軍のお陰で、皆がスタートラインに立っていたのです。

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