2007年10月21日日曜日

証拠書類


この話は日陰のようなものだろう。従軍慰安婦問題、沖縄教科書問題、いずれも確証がないから、日本は国家や軍が関係しているかどうかわからないという。それを理由にして国家の責任を逃れようとしている。世界中、どこの戦争でも負けた方はその時点で証拠を隠滅する。証拠が残っていれば、責任をとらされ殺されることはわかっているからである。この2つの問題も、証拠となる書類は焼却されていると考えるの常識である。これを誰一人の政治家もどれ一つのマスコミも言わない。平和ぼけして戦争の実態をわからなくなってしまった日本人だから、まかり通る話である。

2007年10月17日水曜日

遺族列車


ヒストリーチャンネルのテレビを見ていると、あの戦争中に戦死した将兵の家族が全国から靖国神社に安置されている遺体か遺骨に対面するために特別に仕立てられた遺族用の列車に乗って来る姿が写し出された。ニュース映画なのだろう、音声は「遺族は戦死して家族に感激の対面のため、喜び勇んで東京に向かっている」というようになっている。心の底から怒りが沸いてくる。これが、国家が国民を、つまり個人の問題ではなく、顔のない人間、量として人間を扱った戦争である。一時的に英雄視された戦死者とその家族、時が過ぎれば誰も覚えていてはくれない。肉親や愛する人を失った家族だけが永遠に悲しむ。

2007年7月31日火曜日

日本型民主主義


山道で70代と思われる一人歩きの婦人に会った。杖をついて、熊を警戒してか大きな音のする鈴を鳴らしながら歩いて行った。昭和以前の時代にこんな日本人を見かけることは滅多になかっただろう。日本社会が西欧型の民主主義を受容して、まがりなりにも社会を維持してきて、老人が一人で山道を歩くようになった。果たして彼女は何のために歩いているのだろう。多分、健康のためだろう。ゆっくり回りを見るわけでもなく、歌や絵をものにするためとも、蝶を追うのでもなく、ただ、ひたすらに歩いて行った。彼女は果たして幸福なのだろうか。西洋型民主主義は個人主義をベースにしている、そして、社会的にはその個人が連帯するコミュニティを前提としている。しかし、日本では、この3つのキーワードがひとつとしてない。「個人主義」「連帯」「コミュニティ」はない。そして、今や100年以上を経過して、どうやら日本人はそちらの方向には向かっていない。近世、あるいは近代日本社会にあった、この3つに代わるものも失っているので
「劣化する日本人」しか残らない状態だ。依然として、日本人は西洋型の民主主義を本当に自分のものとするのか、それとも、日本独自というより、西洋型より進んだ日本型民主主義を再構築していくかの選択を迫られている。ただし、もっとも注意すべきは、「美しい日本」だとか、「国家の品格」といった荒唐無稽な精神的なものではなく、むしろ全く精神性の無い日本の社会制度の先進性を再検討してみる必要性を言っているのである。

2007年7月29日日曜日

日本社会と民主主義


昨日、参議院選挙投票前日、信濃鉄道中軽井沢から自転車で走っていると、かなり広い畑を持った農家の前にこのような柱が立っていた。
これは、どういうことを意味しているのだろう。「自分が自分で自分の代表を選ぶ正しい選挙」と読める。多分、この辺りの選挙で何か問題が起こったのに違いない。この農家の主の土屋三四郎さんという人が、遂に我慢しきれなくなって、このスローガンを立てたのかも知れない。日本人の中で「自分が自分で自分の代表を選ぶ」ことが出来る人が何人いるだろうか。例えば明治、大正、昭和と女性が選挙権を求めて、多くの女性が活動してきて、現在は男とまったく平等の選挙権をもつようになった。現在の女性はあれだけの苦労の末勝ち取った筈の選挙権を生かすことをしているだろうか。一体全体、日本の半数はいる女性が何をしているのだろうか。自分の生んだ子供が殺される戦争を手をこまねいて認めるのだろうか。9条はともかくとして、戦争に反対するための最低限のさまざまな努力をしなければならない。

2007年7月13日金曜日

沖縄は分離独立を考えるか


これまでの教科書では沖縄戦最後の時点で日本軍が沖縄住民に自決を求めたことを記しているが、日本軍がそのようなことをしたことはないといって、教科書からその文言を削除しようとしている。沖縄の人たちは各地区でこれに反対の議決をしている。従軍慰安婦の問題と同じで正式な文書の証拠がないからだという。沖縄の人たちは立ち上がって独立を叫ぶべきだと思う。これほどひどい話はない。軍隊があの時点で正式な命令書のようなものを作ったとしても、敗戦の軍隊がそのような証拠になる文章を残す筈がない。軍隊としても、軍人としても、兵隊としても、敵に捕まるなという至上命令で動いていて、沖縄住民にもそれを求めたのは当然である。それをなかったことにしようとする日本政府の関係者は沖縄住民をどのようにおもっているのだろうか。敢えて、彼等を疎外しようとしているのであろうか。いやしくも国をまとめていかなければならない国の責任者達が、分裂を煽るようなことをするとは信じられない。他の国であれば国家反逆罪に問われかねない。国を分裂させるようなことを平気でする、首相や官僚がいる、これも日本人劣化の象徴か。

2007年6月10日日曜日

伊東豊夫


この建築家について、私の先生が後継者に選ぶべきだったという人がいる。これは実に示唆に富んだ意見だ。今の建築家は自然との対応をどのようにするかを競っている。この写真の「ノマディック美術館」を設計しているのは紙を素材に建築をして有名な板茂にしても、木の上に建物を作ったりしている藤森、安藤にしても自然の中に建築をとけこませようという努力をしている。しかし、伊東は単に自然に会わせようとしているだけではなく、建築が人間に向けて能動的に働きかけることをしている。ここに、本当の後継者の意味がある。つまり
伊東は社会学と建築学の延長戦を見通せるが、他の建築学者はそれば出来ていない。社会学に負けた者もいるし、社会学を無視するものもいる。

2007年6月7日木曜日

日本の憲法はコミンテルン指導だったのか


関西から友達夫妻といっても年齢的には先輩なのだが、軽井沢に遊びにきて、2日間、うちに来てもらったり、玉村豊男夫妻を紹介がてら彼等のワイナリーに連れて行ったりした。道中、いろいろな話がでたが、日本の憲法について、作成に係わった人達がコミンテルンに指導されていたということを聞いた。アメリカの占領軍(GHQ)が指導して作ったから日本独自のものではないという議論は盛んに行われているが、当時のソ連製の憲法というと、興味をひかれる話である。話はそのまま赤狩りのマッカーシーは正しかったということにつながるらしい。それは公共を無視した個人の自由が行き過ぎている日本の戦後を現行憲法のためだということである。従って、成田空港のための用地買収など国が国のため、国民のためと考えても裁判で負けるという世界でも例を見ない状況を作りだした。確かに日本の人達は私権至上主義を信奉している。それが民主主義だと思っている。コミンテルンの共産主義が私権至上主義だとしたらおかしいので、この点には矛盾がある、むしろ、共産主義は公の最たるもので、私は認めないはずである。しかし、いずれにしても無限の「私権」を認めるとすれば、個人、個人が欲望を制御できる高潔な人びとでなければならい。そして、残念ながら、われわれは全く私利私欲の亡者になっていることを認めて、私権制限をすることを納得する必要がある。

2007年2月1日木曜日

ヴェトナムの教訓


今では多くの日本人がヴェトナムに行く。そう言う私も行ったのだが、あのヴェトナム戦争のときに北爆の後ろで日本はアメリカのために大変な援護をした。そのことを考えると後ろめたい気持ちでハノイの町を歩き、ヴェトナム人と話すことになる。ヴェトナム戦争で軍事力で戦争を勝つことが出来ないことが分かり、如何に大きな軍隊をもっても他人の国を黙らせることが出来ないことを身にしみて分かったはずなのだが。イラクはもとより、日本が仮想敵国のようにしている北朝鮮や中国に対して戦争が出来ることのよって、日本の安全が確保されるなどという幻想を抱いている日本人は可哀想な島国の井の蛙でしかない。軍事力を持てば日本が一人前の日本になるなどと思う国は世界で一つもない。それも分からない日本人はそれこそ日本を滅ぼす売国奴である。「軍事力を持って人の国に行っては絶対にいけない」、「人の国の土地を日本人が軍靴で歩いては行けない」仮にそれが国連の名のもとでも。自分の家に外国人が土足で踏み込んで来るのを喜ぶ人は世界中どこにもいない。

2007年1月26日金曜日

われわれにとってのイラク

この写真はウイーンから2時間ほどチェコの国境に向かった走ったところにある小さな村の墓地である。ここに、われわれが家族ぐるみで長い間付き合っていた友達とそのお母さんの墓がある。その友達のことについては、また書くときがあるだろう。ウイーン大学を出て、新しい心身統合の医療に取り組んで苦労していたのだが・・・・。
一昨日、イラクの友達と夕食を一緒にした。彼女は日本人の男性と結婚して日本に住んでいるのだが、彼女の母親は一人でバグダッドに暮らしている。娘であるわれわれの友達は母親を日本に呼び寄せようとしているのだが、明日をも知れぬバグダッドにとどまっている。それは、この激しい戦乱の中でお互いに助け合って、心から信頼し合って暮らしている人々を捨てていくことは決して出来ないからなのだ。その気持ちはイラクのコミュニティに生きてきた娘には痛いほどわかっているので、どうしようもない。その母親と一緒に暮らしていた弟はある日、どこかへ連れて行かれて殺されたという。われわれはその弟には会っていないが、その話をきいて、どう慰めて良いかわからない。また、家族の誰かが必ず殺されているようなバグダッドの人達は、その悲しみを自分の中に閉じこめておかなければならないのかも知れない。自分だけ泣くわけにもいかないほど、死は身近な日常なのだ。われわれは彼女を通じてバグダッドは外国の話しではない。しかし、何も出来ない。せめて彼女にわれわれが友達だということを忘れないでほしいと繰り返すしかない。(つづく)

2007年1月20日土曜日

中国の迎撃ミサイル

今日の国際ニュースは中国の迎撃ミサイル実験の話題がトップです。核拡散と同様、アメリカは核をもっていて、他の国が持つことを認めない、今回の場合もアメリカは迎撃ミサイルをもっているが、他の国がそれを持つことを認めない。パックス・アメリカーナが完全に機能して、世界がアメリカの力によって平和が保たれるならば、あるいは世界がそれを容認するかも知れません。しかし、誰もそんなことは信じていません。そうなると誰でも軍事力をもとうとします。しかし、経済力が伴わず、大きな軍事力を持てないとすれば、どこかの大国に頼らなければならないという現実に直面します。日本はアメリカの傘から中国の傘に乗り換える方が良いという考え方もあります。