2009年8月31日月曜日

東ドイツから来た父娘


1ヶ月振りに東京に。これから次第に東京の生活が中心になっていきます。昔のように「避暑」生活が終わって軽井沢を引き揚げる時の感傷もなく、後ろ髪を引かれるように何度も車窓から浅間山を振り返っていくあの淋しさもありません。それに今日は雨で浅間山も見えませんでした。東京・軽井沢間が5時間、スピードアップしても3時間だったアブト式の時代ではありません。そして、あの豊かな想い出を持ち帰ることもないのです。東京とたいして違わない生活、忙しくイベントと会議を繰り返し、打合せに駆け回った1ヶ月でした。たしかに仕事自体の成果はいくつかあがりました。しかし、読書だとか、原稿書きについてはとても満足のいくものではありませんでした。戻ると台風の雨が東京のベランダを濡らしていました。
月曜日の朝、6時にテレビでドイツ語講座があります。語学の勉強にはならないのですが、ドイツの事情を知るのに良い番組です。今朝は特に良い話が聞けました。20年前の東ドイツ崩壊の時に
それまで東ドイツに住んでいた父と娘の話です。娘が父に東ドイツの生活を聞くのです。土木の技術者として当時39才だった父。壁の崩壊が信じられなかった、ごく普通の東ベルリン市民であった父。幼かった娘は事情が良く飲み込めなかったようです。そして父が述懐するのは良いことも悪いこともあったが、ひとびとは自分をその体制に合わせて生活していたということ。普通の人々はどの時代もどの国でもそのように生きていかざるを得ないのです。ただ、父は抑圧に立ち向かって壁の崩壊に導いた人達を深く尊敬するということです。過去を忘れて未来はないのだから、過去を父娘が語り合う必要があると言っていましたが、本当にそうではありませんか。

2009年8月30日日曜日

軽井沢吉武ゼミなど


29日は午前中、西洋館別荘としては最古のものではないかという明治時代に建てられた三井三郎助の別荘の内部を見学、保存方針を聞く、仲間のジャーナリズムを研究、教えている先生に軽井沢学への参加を要請、午後に国際高等セミナーハウスで軽井沢吉武ゼミを開催、大学院生の発表で6時までびっちりやり、それから懇親会が8時半まで、うちに泊まる3人を連れて家に戻り夜中近くまでやりました。今日は昨日に引き続いて、吉武ゼミのメンバーを陶芸家の家に案内、写真のような巨大な木造別荘の建築現場を設計した建築家に見せてもらった後、ル・ヴァン美術館の坂倉準三展に行き、ようやく戻りました。体調不良にはハードなスケジュールでした。忙しいかった軽井沢の1ヶ月が終わり、これからはまた東京、軽井沢往復の生活にもどります。こちらのブログ(軽井沢)、HP(主として東京)になる予定です。

2009年8月28日金曜日

佐久の桃


お隣の別荘から「あつひこちゃん」と声が掛かりました。子供の時からの兄貴分の幸ちゃんです。素晴らしく立派な桃を頂きました。これぞ、桃太郎が生まれそうな桃です。幸ちゃんは私の知っている誰よりも舌が肥えていて桃はこれしか食べないというのです。佐久の農家で、なんでも幸ちゃんだけにこの桃を分けてくれるそうです。日本の農業はすごいですね。作ろうと思えば、その気になれば何でも作れるのです。幸ちゃんのようなお客さんがいれば、農家は競っておいしいものを作るでしょう。なにせ、幸ちゃんはたいていの人をその気にさせる話術とオーラをもっているのです。幸ちゃんにほめられた農家は何でも作ってしまうようです。

2009年8月27日木曜日

泊まり込み後遺症


昨日は天気も曇りがちで、泊まり込みゼミからペースが戻りませんでした。なにやら風邪気味になったので葛根湯を飲んで早めに寝ました。永山先生のペーパーに出ているNoraと大原先生がエコミュージアムで調査しているBergslagenというスエーデンの場所はどうも同じようなのですが2人の専門が違うせいか、突き合わせができず、インターネットのサイトを見てもスエーデン語がほとんどで、照合が出来ません。永山先生が紹介して下さった、スエーデンに関する本は取り寄せて検討しました。レイフ・クリスチャンセンのこどものための絵本のうち取り寄せた「ともだち」「うれしい」「わたしのせいじゃない」岩崎書店版は特に興味深いものでした。今日の写真は軽井沢の南にある山々がめずらしくシルエットではなく見えたものです。

2009年8月25日火曜日

泊まり込みゼミ


スエーデンの財政政策学の第1人者の東海大学名誉教授の永山泰彦先生と近くの江戸原ペンションで夕食を囲んで話し始めました。私は長年スエーデンの社会に強い関心があり、毎夏、軽井沢で話合うことにしています。先生はスエーデンにたくさんのしかも長い付き合いの友達が多くおられて、表面的ではないスエーデンの政治、経済、社会について教えて下さいます。私の方も横浜国立大学の大原一興教授が注目しているスエーデンのエコミュージアムの件もあり、聞きたいことは山のようにあります。偶然、永山先生がエコミュージアムについて書かれた北海道スエーデン協会の雑誌をもってこられたので、話はその辺りから始まりました。そして、ワインを1本空け、夜中の1時過ぎに生ビールを飲み、話が果てることがありません。心配した江戸原ペンションのご主人が寝間着とタオルを持ってきて、もう今日は泊まっていきなさいと
言ってくれました。2時過ぎに寝て、今朝の8時に朝食をしながら話を続け、11時まで。さすがにへろへろになって、家に戻り、先生から紹介された数冊の関係書をアマゾンに注文、忘れないうち、その他の情報をネットでチェック。しかしのどが痛くなるまで話たので回復するまでに時間が必要です。今晩はこれから早めに寝なければ。

2009年8月24日月曜日

軽井沢を考える夕食


朝はめっきり涼しいと言うよりやや寒くなりました。昨夕は軽井沢のもろもろを考える例会です。月刊の「KURA」に連載する記事の件で打ち合わせもかねています。エコミュージアムをすすめていくためのヒアリング対談をお2人にお願いすることからはじめて、軽井沢高原文庫の来年の企画、大賀ホールのコンサート、追分油屋問題、河村目呂二の展覧会の構想など、話題はさまざまですが、どれも具体的に対応していかなければなりません。

2009年8月23日日曜日

高原文庫・文学サロン


昨日は西区の山荘に来ている友達夫妻とセゾン現代美術館のカフェでお昼を食べて歓談した後、塩沢まで自転車で30分走っていきました。高原文庫の裏庭で辻邦生夫人でロマネスク美術史研究者で有名な佐保子さんと建築家、磯崎新の対談です。2人は軽井沢では隣同志というか、辻夫妻の家を磯崎新が設計しているのです。住宅はあまり設計しないという磯崎新が、辻夫妻の生活のイメージを建物にしたというのです。最初、辻夫妻はとまどって、お互いの仕事部屋を取り替えたりしたそうです。それは夫妻にとって磯崎新の建築意図を考えることになったようです。話はかなり高度なものになっていきました。平面空間から立体空間、モジュール或いはブロック、そして磯崎新、命名による両家の辺りの風景、バラック・アクロポリス、われわれにも考える時間でした。

2009年8月21日金曜日

長野は酷暑


今朝も早く出かけたので、ブログが追いつきません。昨日の話です。朝、信濃鉄道に乗って小諸に下り、りんどう文庫、大久保さんの古書店に行きましたが、10時過ぎなのにシャッターがおりたままです。しかし、横から入ると店も大久保さんのいる事務所にも行かれましたが、誰もいません。仕方なく、一旦懐古園で千曲川でも見ようと思いました。行って見たらゲートが出来ていて散策だけでも300円取られます。まあ、仕方がないと中に入って散策し、戻って駅前で750円のてんぷらそばを食べました。食べ終わってまたりんどう文庫に行きましたがシャッターが下りたままでした。あきらめて、信濃鉄道で長野へ。33℃の猛暑です。東京のねっとりがないのでまだ助かります。駅前から乗ったタクシーはカントリープレスがわからず、本部に聞いたりしていましたが、なんとか到着。KURAのスタッフの安田さんと堀内さんと
エコミュージアムの掲載方針を打ち合わせ、帰りは信濃鉄道では辛いので新幹線にしました。
料金は新幹線+軽井沢からバスと信濃鉄道+中軽井沢からタクシー、大体3,000円超でほぼ
とんとんです。へろへろで戻りました。懐古園の中にある草笛をお聞き下さい。

2009年8月20日木曜日

しじみづくし




今朝は早く長野に出かけたので、ブログが書けませんでした。明日も朝早いので長野の報告は明日の夕方にでもするとして、昨日のシジミづくしの話です。お隣の別荘のおともだちから立派なシジミをたくさん頂きました。一晩どろをはかせてから、まず、朝はパンですからスープにしました。これは野菜のブイヨンスープを合わせていい味になりました。お昼は待っていましたといきおいこんでシジミのボンゴレスパゲティ(本当はアサリか)、これは正当な使い方で問題なくおいしいのです。夜は一部炊き込みご飯にし、あとは定番のシジミの味噌汁これも心配したより余程おいしく自分でも嬉しくなりました。この夜のご飯はお米は北海道・小樽の友達から、カマスの干物はお里の伊東から取り寄せて毎年送ってくれる近くの別荘のお友達からで、奥さんが作り置きしておいてくれた野菜の煮物だけが、つるやで買った材料です。ありがとうございます。

2009年8月19日水曜日

真夏の壁ぬり


今朝、千ヶ滝回りの散歩の帰りにお友達のところへ寄ろうかと通り掛かったところ、残念ながらお留守でした。ところがお宅が見違えるようにきれいになっています。そういえば、うちの奥さんが先日、やはり通り掛かったときにご主人が外壁を塗っておられたと言っていました。ご主人は180センチ以上と背が高いので屋根のへりまで全部塗れると。軽井沢の別荘はこのようでなければいけません。うちはこのところ怠けていて、昨年秋に先ず苔を落としてからと少しやっているうちに冬になってしまいました。今年はやらなければいけません。でも、あんなにきれいには塗れません。ご主人はテニスもオールジャパン優勝経験があり、壁塗りもオールジャパン級です。天は不公平です。

2009年8月18日火曜日

浅間夕景

夕方の浅間山です。この写真は一昨日の夕方撮ったものですが、クローズされた千ヶ滝温泉ホテル、元の西武スケートセンターホテルの入り口のところからです。午後5時といっても日は未だ高く、完全にシルエットになっていません。木が伸びて家から直接浅間山が見えなくなって久しいのですが、浅間山が完全に見えるもっとも近いところがこの場所です。自転車なら下りだけで2,3分で来られるところです。この場所がどうなっていくのか、西武か国土か、会社がどのようにするのかわかりませんが、浅間山は美しい姿で残ることでしょう。

2009年8月17日月曜日

軽井沢ナショナルトラスト・中島会長

8月になると旧軽井沢ロータリーの臨時交番がオープン、ここにわれわれのやっている軽井沢ナショナルトラストの会長がガイドとして登場します。若いお巡りさんと一緒に、というか、彼らを助けながら道案内に大忙しとなるのです。朝、河村目呂二という晩年追分に住んだ多彩なアーティストの展覧会企画の件で相談に行くと、会長のお客さんということでお巡りさんたちが椅子やお茶を出してくれます。それでも話の間にひっきりなしに観光客がやってきて、あちこちの場所を訪ねてくるので、難しい場所は会長の出番です。なんとか相談事をすませて早々に引き上げなければ邪魔になります。久しぶりに町に出ると、会わなければならない人やばったり会うひとなど、今日も10人ほどに会いました。

2009年8月16日日曜日

浅間縄文ミュージアム


中軽井沢の駅から小諸行き信濃鉄道に乗って2駅260円10分で御代田の駅に着きます。そこから10分ほど歩いて「浅間縄文ミュージアム」に行きました。縄文時代の面白い企画展、「土偶・破壊される女神」が開かれています。もともと、このミュージアムに縄文時代の絵を描いている大阪の友達のイラストレーター、安芸さんが12日にやって来ることになっていて、案内してくれることになっていたのです。ところが彼女がどうしたことか直前に足を折り来られなくなったのです。それでも、せっかくですから、この企画展だけでも見ておこうということでやってきました。直系3センチほどの顔の素焼きで、発掘されたものはすべて壊されていたということで、どうやら願を掛けて壊すかしたものではないかといわれています。顔の表情はさまざまで実に面白いものです。学芸員の堤さんが非常に優れた人で、展示が洗練されているのに驚かされました。

2009年8月15日土曜日

別荘地開発

木々の間からかすかに浅間山を見ることができます。10時半に家を出て知り合いの別荘をさがすことにしました。千ヶ滝東区というところです。私のところが中区、東区へ行くにはその間にある山手区という比較的新しく開発された別荘地を抜けて行かなければなりません。しばらく歩いたところでゴミを捨てにいく女性に会いました。近くにゴミ箱がないので、ここまで捨てに来るそうです。彼女は東区に家があるのでここまで歩いてくるそうです。タクシーで往復すると5千円近くするそうですが、今日は歩いてきて、帰りは登りなのでタクシーだそうです。「私は独りでいるの、80よ」と最後に捨てゼリフのように言っていきました。ところがわれわれは連れて歩いた犬がへたばるほど1時間半歩いてこの山手別荘地を抜けられず迷いに迷って戻らざるを得なかったのです。ここも西武(国土計画)が開発した別荘地でしょうが、ただただ道を延ばして別荘地として販売しているだけですから迷路のようになっていて番地は何の意味もありません。本当に悲しくなるような現状です。

2009年8月14日金曜日

青空+散歩道

軽井沢ライフの3大楽しみ、散歩、昼寝、会話のうちの散歩の話題です。昨日は久しぶりに本格的な青空になり、気温も28℃になりました。早朝の散歩もよいのですが、暑くても日光をたっぷり受けて歩くことにしました。お昼を食べてから12時48分にうちを出てセゾン現代美術館へ下がっていきます。どこの別荘にも人が来ているので近道は出来ません。美術館の前から、「せせらぎの道」に入ります。ここは国有林を通る道で千ヶ滝という滝に行くことができます。1।6キロメートルで十分歩いていい距離ですが舗装道路を通して滝の近くに駐車場を作りました。私は歩きます。まだ車が少なく、すれちがったのは3台でした。駐車場からは滝に向かわずに山道に入って上からうちに戻ることが出来ます。戻ったところで時計を見ると13時42分でした。1時間弱、丁度いい散歩です。でも、やはりシャワーを浴びて、着替えをしてさっぱりします。これで午後の仕事にとりかかるわけです。しかし、今日は残念ながら散歩中、アイディアなどが浮かびませんでした。

2009年8月13日木曜日

お盆休みと渋滞

朝のうちはいいのですが、8時を過ぎた頃からあちこちで車が渋滞し始めます。午後、最もひどくなる頃には別荘地を通って迂回しようとする車が出てくるので歩くのも注意しなければなりません。彼らには別荘地で人が歩いていることは想定外です。なんとか早く行きたいと、どこでもとばします。この国道16号線は午前中は軽井沢方面へ、お昼前ごろからは小諸方面へと渋滞になります。町内はこの国道に向かって直角に細い道がたくさんあり、そこから国道へ入ろうとする車で渋滞は加速されます。信号が幾つか出来ましたが、もともと信号が必要なことなど夢にも思わなかった時代の道路ですから、うまくいくはずがありません。用がなければ今日も家に籠もって原稿書きと天気がよくなったので掃除などをすべきだと思っています。

2009年8月12日水曜日

じゃがいものスープ

東京から指令のあったじゃがいもを使う料理ですが、昨日、昼から始めて、第一回はじゃがいもとにんじん、タマネギで野菜スープとし、第二回の昨晩はこれにカナダ産カレー肉を入れて
野菜と肉の煮込み風にして食べ、今朝が第三回で、水を足し、大きなトマトの半分を入れ、マギーのスープの素を入れて、味わいのあるスープにしました。次第においしくなっていきますが、最後にカレールーを入れてお昼に使うというプロセスです。問題のじゃがいもはほとんどとけてしまいますが、それはそれでいいのです。今回の材料はなかなか良かったと思います。

2009年8月11日火曜日

まるで梅雨


台風の影響でしょうか。朝から猛烈な雨で、午前中一杯続きました。ここは西武の別荘地ですから、これも私道です。西武がまわってきて道に砂利をまいていきます。車のためです。車が入ってこない昔は馬が通れるほどの幅しかなく、草の根などで道に復元力があり、人と馬は心配なく歩いて通れたのです。道が悪いという以前の話です。いくら砂利を敷いても強い雨がふれば不思議に穴があいてしまいます。散歩しているとところどころに水たまりが出来ています。
こんな日は家にこもって物書きや読書に徹しようと思っていると東京から電話で、じゃがいもが残っているでしょうという声。先週、つるやで買ったカナダ産牛肉のカレー用を使って、シチューからカレーのコースを考えます。地震のお陰で5時7分に起きましたから、料理でもしていないとまた眠くなってしまいます。

2009年8月10日月曜日

われわれのいる軽井沢の千ヶ滝中区から追分まで距離にして8キロほどだと思いますが、この往復を電動アシスト自転車でどうなるかが課題でした。出発時、新車は蓄電状況は目盛り半分残っていました。中古の方は朝5時半に起きて満タンに充電しました。約2時間で充電完了。
これを普通に走ってみました。行きは千ヶ滝→中軽井沢は下りがほとんどでペダルを踏むことはないと言っていいほどです。中軽井沢→追分は上り坂でほぼペダルを踏み通しです。帰りはこの反対ですが、中軽井沢→千ヶ滝の3分の1が、かなり急坂で最低速ギアにしなければなりません。結果発表です。新車はまだバッテリーの残量が2目盛りほどありました。ところが中古は
家に戻る10メートルほど前でバッテリーを完全に使い切り、危ないところでした。バッテリーが落ちると自転車は信じられないほど重くなり、下りて押すのがやっとです。
結論として、中古は千ヶ滝→中軽井沢→つるやスーパー往復でなんとか使えるが、将来性なし。坂の上にある家には電動自転車はリスクがあります。帰りの急な登り坂でバッテリーが切れるというのは悲惨です。写真は追分からの帰途、キャベツ畑です。

2009年8月9日日曜日

軽井沢高原文庫の会


昨日、高原文庫の会があり、なくなって10年になる辻邦生の話を友達だった作家、加賀乙彦(写真)の話と顔を出して話すはずで骨折して来られなくなった北杜夫の声を聞きました。
毎年、軽井沢の文学館という位置にあり、軽井沢ゆかりの多くの作家の貴重な資料が保管されまた展示が行われています。私も毎年参加しますが、まあ、残念ながら軽井沢在住だった作家との交流もなく、知り合いはせいぜい5,6人程度で、話を聴くのを楽しみにしています。話のあとに軽食でパーティですが、この日もいつ雨が降るかという心配で、そこそこに引き上げました。

2009年8月8日土曜日

軽井沢ユニオンチャーチ

昨日、午後7時、旧軽井沢の真ん中にあるユニオンチャーチに軽井沢にまだこれだけ外国人が残っているかと思うほど集まってきていました。何をやっているか覗きたいと思ったのですが、こちらは軽井沢会のコンサートがあったので、そちらに急ぎました。にわか雨の多い軽井沢の夏で、昨日も雨が降りました。ヴォーリズ建築のこの教会は夏の間は様々なキリスト教の宗派が仲良く集まって交流する目的もあったようです。現在はその目的が果たされているかどうかわかりません。軽井沢にはカトリック、聖公会、日本キリスト教団など5つ以上の宗派の教会があると思います。

2009年8月7日金曜日

雲の中の浅間

昨夜から雨模様で浅間山が見えません。夕方から曇っていつ降り出すかとはっきりしない空模様でしたが、かすかに雷鳴がひびいて7時過ぎから降り始めました。真夏になったせいか、関係者の動きがばらばらで、連絡がとれません。朝、ゴミを出して戻る途中で近くのペンションの次男坊が見慣れない車で走ってきて「おじさ〜ん」と呼びかけられました。「新しい車を買ったの?」と聞くと「知らなかったっけ、僕、結婚したんだよ、これは奥さんの車だよ。」結婚式は10月だそうですが、入籍して一緒に住んでいるそうです。2人とも働いていてお互いに会う時間が少ないということです。奥さんを見に行くよ、と言って別れました。おめでとう。

2009年8月6日木曜日

毎日ブログを書くことは難しい

ブログを毎日書く意気込みでやっていますが、これは大変なことです。特に写真を撮ることが大変です。今日は軽井沢民俗資料館に学芸員を訪ねました。行く前はこの建物や話し合っている様子を撮るつもりでいたのですが、帰途、しばらくたって、撮り忘れていることに気がついたのです。やけになって駅近くのコスモスを撮りました。撮り忘れる理由は仕事に緊張を伴うときです、今回も相手はほぼ初対面、相手から良い反応を貰う必要がある、どうしてもそちらに集中します。そして、話が終わった後は解放感で少しぼ〜っとするか、話がうまくいかず後悔や怒りが残る。今回はこのケースです。

2009年8月5日水曜日

アシスト自転車の限界

車を使わずに軽井沢生活が出来るかどうか、徒歩、自転車、バス、タクシー、(馬)はありますが、車の簡便さにはかないません。頂いたアシスト自転車をテストしていますが、家から星野リゾートまでが約2キロ、総て上り坂です。中軽井沢駅から星野までも2キロこれは緩い坂でなんとかなりますが、星野からは急坂です。東京の事務所にいる自転車の先生に報告しながらテストを重ねていますが、今朝、9時、気温22℃でこの2キロの坂を半分登りましたが、戻るとシャワーがいります。自転車を降りて歩くとアシスト自転車は重量が重いので普通の自転車より力がいります。アシスト自転車はこがないとアシストしないのです。最近発売になっているアシスト自転車はバッテリーの重量が半分になっていますので、これほど重くはないと思います。最近のバッテリーの進歩はすごいようです。

2009年8月4日火曜日

晴れ、ビラデスト

4時間半に渡るカフェ・イーナのテラスでの打合せの後、15時22分、軽井沢発の信濃鉄道に乗り田中の駅まで行きました。そこからタクシーで15分、ヴィラデストに着いたのが16時15分、久しぶりの晴間なので、話の前に少し写真を撮ることにしました。この南斜面からの遠景は手前の丹誠込めた庭をかすめて撮ると最高の写真となります。昨日は強い日差しが照りつけ、長く外にいられないほどでしたが、気分が爽快になりました。カフェーに戻って玉さんと事前打ち合わせ、抄恵子さんに玉さんがおねだりして冷えたシードルを出して貰いました。実になんともいえません。これで十分という感じさえしました。30分ほどして本日のプロジェクト、「画家、彫刻家、河村目呂二」のご家族が見えました。

2009年8月2日日曜日

蜘蛛の芸術作品

軽井沢は蜘蛛の天国です。普通、うちの中にたくさんいますから、少しでも家を空けていたり、掃除を怠っていると蜘蛛の巣だらけになります。この蜘蛛の巣は見事ですね。旧軽井沢の
ショー記念礼拝堂の裏手の牧師館の2階に作られているものです。大きさといい、形といい申し分のないものです。この下で、お昼のおにぎりをほうばっていたとき、ふと上を見上げたらこの蜘蛛の巣をみつけました。

2009年8月1日土曜日

霧の軽井沢

軽井沢は霧が名物です。碓氷峠から登ってくる霧に包まれて夏なお寒いほどになる日々がありました。今日は南原にある国立情報学研究所の国際高等セミナーハウス(大げさな名前でですねえ)の往復を徒歩で往復しました。こうした別荘地の間をひたひたと歩くと、ときおり車が通り抜けていきます。赤いテールランプだけがいつまでも見えます。まあ、ロマンティックといえば言えますが、重い研究の話の後では、頭の切り替えがすぐにはいきません。