2013年4月24日水曜日

春の大阪



今年3回目か、4回目かの大阪。いつもほとんどトンボ返りなのですが、東京となんとなく雰囲気が違って気分転換になります。道端で見るものも何となく違います。夕方に会議があって、会議の後食事をして、コーヒーを飲むともう夜中近くなります。次の日にはもう一件ぐらいは打ち合わせがあって、それで帰ります。

一昨夜の会も(財)日本ナショナルトラストとの問題を検討して、かなりの時間を取られ結局会場の関西学院大学梅田キャンパスの教室の使用時間一杯ぎりぎりまで話し合いがつづきました。社会的にも法的にも認知されている組織が不思議な対応をするもので、幹事会としても困惑しているのですが、世界の中の日本のように、この時期靖国神社に行く国会議員がいることを考えると、北朝鮮同様、井の中の蛙とは恐ろしいものです。

われわれの組織としても今後はヴォーリズ建築を保有している大学を組織化して連盟を作るなど新しい方向を探らなければならないでしょう。



2013年4月21日日曜日

インターのバザー



聖心インターナショナルスクールでのバザーです。お昼時間を目指して歩いて行きました。寒い日でマフラーをしっかりしてジャンパー姿です。ガーデンヒルズの横を降りて行くと広尾に出る前にインターがあります。にぎやかな音楽が聞こえてきます。

駐車場のところにも模擬店がたくさん出てきますが、ここではなく校舎に登っていってキャンパスをのぞくと、すごい人だかりです。インターですから、外国人だらけというより、日本人も外人も皆一緒になって楽しさがあふれてきます。

うちの奥さんの「幼い難民を考える会(CYR)」のコーナーが見つかりません。キャンパスでうろうろしていると中国人の友達が見つけてくれました。しばらくしたドイツの友達もやって来て、本館地下のお目当てのコーナーに行き、その後、みんなでお昼を立ち食いですませ、阿波踊りなどの踊りや音楽の余興などを楽しみ、おしゃべりをして解散です。

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2013年4月20日土曜日

今年1回目のヴィラデスト


今年になってから初めてヴィラデストに行きました。ワイナリーのレストランが10周年ということで何か記念品が貰えるとのことでした。しかし、10周年という割りには平日のこともあってまあまあでした。記念品というのは小さなキノコの形をしたブリオッシュのようなものでしたが、食事のときにおまけで出たハムはなかなかのものでした。

玉さんの奧さんと妹さんが東京に行くというので、それでは一緒に車で上田駅から乗ろうということになり、出発時間の夕方まで庭でゆっくりすることにしました。デッキでゆるりとしていると玉さんがバケツを持って向こうの方に歩いて行きます。写真に撮ってみると、なんだかミレーの「種を播く人」のような感じに写りました。後で聞くと、山羊のための水を運んでいたそうです。〔写真を拡大してご覧下さい)

今回はわれわれも軽井沢には戻らず、東京に戻りました。彼女達は恵比寿、われわれは澁谷でラッシュアワーの山手線も一緒に楽しくおしゃべりをしながら戻りました。

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2013年4月15日月曜日

軽井沢は近現代史の宝庫なのに何故


別荘地の路地にみつけた蕗の薹です。早速今晩の味噌汁に入れようととってきました。

風は冷たかったのですが、日向は暖かく気持ちのよい日になりました。午後一番に冬の間、雪や氷で役に立たないのでしまって置いた雨樋を夏向きにとりつけました。

作業をしていると車で軽井沢町の文化財委員を一緒にやっている町の有力者が通りかかって寄ってくれました。彼は軽井沢は近現代史の宝庫だといっている軽井沢西側の人格者で、今後の方針を検討しました。

13日〜今日までは、ほとんど「軽井沢のまちづくり」に関する相談や会談に明け暮れてゆっくりする暇もありませんでした。明日は玉さんのヴィラデストで昼を食べてから東京へ。

2013年4月9日火曜日

フィリピン独立の英雄と日本と私



日比谷公園にあるこの像のところへ又行きました。お墓参りのようなもので、私の曾祖父が建てた東京ホテルのあった場所です。前にも書いたと思いますが、このホテルに
1888年、明治21年にフィリピン独立の英雄、ホセ・リサール博士が投宿したのです。フィリピンの人たちにとってはホセ・リサールの短い人生の足跡は世界中どこでも大切に記念しています。それほど、ホセ・リサールはフィリピン人にとって大切な人なのです。

曾祖父が建てた「東京ホテル」は、その頃、お雇い外国人やこの前にあった鹿鳴館などにやってくる外国人専用のホテルでした。勿論、西洋式の設え、西洋式の料理、西洋式のサービスを提供していたようです。イメージとしては横浜のニューグランドホテルや軽井沢の万平ホテルなどのようだったと思います。

曾祖父は横浜から東京にやってきてホテルを始めたのですが、横浜でも明治の時代に郵便局を始めるなど新しい仕事に積極的に関わっていったようです。

2013年4月7日日曜日

建築事務所モデル小説



松家仁之著「火山のふもとで」は建築事務所が夏の間、設計コンペの準備のために建築家の山の家に行く。所員は今年採用されたばかりの新人の「僕」入れて、山に来ているのは男6人、女性2人だ。先ず、この場所は北軽井沢の学者村の中か近くがモデルになっている。建築家は「先生」と呼ばれる吉村順三がモデルだという。「僕」の恋人になるのは「先生」の姪になる女性で彼女の親の別荘は旧軽にある。そして、「先生」のコンペのライバルになるのは丹下健三がモデルになる。

「先生」の山の家はどちらかというとレイモンドの「夏の家」か「新スタジオ」がモデルのような気がする。物語はコンペのテーマである”国立現代図書館”設計の日々が展開される。所長と所員による設計の考え方のやりとりなどかなり建築事務所の情景はそれらしく書かれていて、おそらく建築家が読んでも違和感がないだろう。

そして、エピソードとなる野上弥生子がモデルと思われる女性や千ヶ滝西区か大日向の方面にかなりの多くの農場をもっている「先生」と同年配の女性などはそれなりにうまく書かれている。

ただ、結末は全く素人が玄人の物書きを真似る陳腐な手法で書かれていてどうしようもない。コンペが結局,丹下健三がモデルになる人物が一等になるのだが、これは予想されるので当然としても、他のまとめ方はもう少しましな方法があっただろう。小説として考えるなら、夏の家を閉めて終わりにするか、「僕」と先生の「姪」などとのエピソードをそれぞれうまくまとめるか,余韻を残しておくかどちらかにするべきだろう。

「先生」をライトの弟子に設定したことは無理があり、これはすなおにレイモンドの弟子にした方が良かっただろう。アスプルンドの扱いは「僕」にひきつけてきれいに処理されていてこれは良かったと思う。