2007年7月31日火曜日

日本型民主主義


山道で70代と思われる一人歩きの婦人に会った。杖をついて、熊を警戒してか大きな音のする鈴を鳴らしながら歩いて行った。昭和以前の時代にこんな日本人を見かけることは滅多になかっただろう。日本社会が西欧型の民主主義を受容して、まがりなりにも社会を維持してきて、老人が一人で山道を歩くようになった。果たして彼女は何のために歩いているのだろう。多分、健康のためだろう。ゆっくり回りを見るわけでもなく、歌や絵をものにするためとも、蝶を追うのでもなく、ただ、ひたすらに歩いて行った。彼女は果たして幸福なのだろうか。西洋型民主主義は個人主義をベースにしている、そして、社会的にはその個人が連帯するコミュニティを前提としている。しかし、日本では、この3つのキーワードがひとつとしてない。「個人主義」「連帯」「コミュニティ」はない。そして、今や100年以上を経過して、どうやら日本人はそちらの方向には向かっていない。近世、あるいは近代日本社会にあった、この3つに代わるものも失っているので
「劣化する日本人」しか残らない状態だ。依然として、日本人は西洋型の民主主義を本当に自分のものとするのか、それとも、日本独自というより、西洋型より進んだ日本型民主主義を再構築していくかの選択を迫られている。ただし、もっとも注意すべきは、「美しい日本」だとか、「国家の品格」といった荒唐無稽な精神的なものではなく、むしろ全く精神性の無い日本の社会制度の先進性を再検討してみる必要性を言っているのである。

2007年7月29日日曜日

日本社会と民主主義


昨日、参議院選挙投票前日、信濃鉄道中軽井沢から自転車で走っていると、かなり広い畑を持った農家の前にこのような柱が立っていた。
これは、どういうことを意味しているのだろう。「自分が自分で自分の代表を選ぶ正しい選挙」と読める。多分、この辺りの選挙で何か問題が起こったのに違いない。この農家の主の土屋三四郎さんという人が、遂に我慢しきれなくなって、このスローガンを立てたのかも知れない。日本人の中で「自分が自分で自分の代表を選ぶ」ことが出来る人が何人いるだろうか。例えば明治、大正、昭和と女性が選挙権を求めて、多くの女性が活動してきて、現在は男とまったく平等の選挙権をもつようになった。現在の女性はあれだけの苦労の末勝ち取った筈の選挙権を生かすことをしているだろうか。一体全体、日本の半数はいる女性が何をしているのだろうか。自分の生んだ子供が殺される戦争を手をこまねいて認めるのだろうか。9条はともかくとして、戦争に反対するための最低限のさまざまな努力をしなければならない。

2007年7月13日金曜日

沖縄は分離独立を考えるか


これまでの教科書では沖縄戦最後の時点で日本軍が沖縄住民に自決を求めたことを記しているが、日本軍がそのようなことをしたことはないといって、教科書からその文言を削除しようとしている。沖縄の人たちは各地区でこれに反対の議決をしている。従軍慰安婦の問題と同じで正式な文書の証拠がないからだという。沖縄の人たちは立ち上がって独立を叫ぶべきだと思う。これほどひどい話はない。軍隊があの時点で正式な命令書のようなものを作ったとしても、敗戦の軍隊がそのような証拠になる文章を残す筈がない。軍隊としても、軍人としても、兵隊としても、敵に捕まるなという至上命令で動いていて、沖縄住民にもそれを求めたのは当然である。それをなかったことにしようとする日本政府の関係者は沖縄住民をどのようにおもっているのだろうか。敢えて、彼等を疎外しようとしているのであろうか。いやしくも国をまとめていかなければならない国の責任者達が、分裂を煽るようなことをするとは信じられない。他の国であれば国家反逆罪に問われかねない。国を分裂させるようなことを平気でする、首相や官僚がいる、これも日本人劣化の象徴か。