2012年12月26日水曜日

レイモンドー吉村順三


青少年音楽協会でクリスマスコンサートがありました。麻布の美術館の裏にある協会の建物はレイモンド設計による木造の建物です。2階の座席はわれわれ吉村順三建築にからむ竹中などの関係者が偶然にも集められた感じでした。コンサートの後、青少年音楽協会の理事などとわれわれとの会談が行われました。

テーマはこの協会が所有している吉村順三設計による軽井沢のハーモニーハウスの維持保存に関する問題です。協会としてはこの建物を有効に活用出来ず、財政難から手放そうという考えが出ていました。われわれはこの建物が吉村順三の設計の中でも数少ない公開できる建物であることも含め、貴重なものでありなんとか保存していきたい、協力できることは出来るだけしたいということを話しました。

協会としても、そのわれわれの趣旨も理解し、少し考えていきたいという話になりました。われわれとしても軽井沢のこのような歴史的な或いは建築的文化遺産を守には民間の努力には限界があり、制度的なものを考えていかなければならないと思います。

2012年12月15日土曜日

ヴォーリズ建築の保存 



軽井沢の町の中心から徒歩で15分ほどのところに宣教師だったアームストロングさんの夏の居所であった建物は大正7年(1918)にヴォーリズが作った建物です。現在、アームストロングさんが創立した富山にある幼稚園の所有になっています。しかし、最近の情勢の中で幼稚園としても維持が困難でこの5年間使われず、老朽化が進んでいました。

今回、ヴォーリズ建築を再評価し保存していこうという関係者の協力もあり、また、この幼稚園の園長さんの園児達のためにも利用していこうということで、軽井沢のナショナルトラストの人々も協力することになりました。

軽井沢側からは建築家、工務店、ヴォーリズ建築を研究している大学教授、家具などを扱う軽井沢彫りの店主などが集まって、富山から来られた園長とヴォーリズの町、近江八幡の建築家を迎え、修理の段取りなどを協議しました。

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2012年12月10日月曜日

ちらちら雪


軽井沢の天気は関東平野の端っこで東京の天気とだいたいは同じですが、寒気が北から降りてくると場合によっては長野などがある北信(北信州、軽井沢は信州中部で緯度的には松本とだいたい同じです)と近い気候になって雪が降ります。

昨日も今日も時にはちらちら雪が降り、少し続くとこの写真のような状態になりますが、止むと、しばらくしてこの程度の雪は消えていきます。まだ、根雪になる状態ではありません。

風向きによってはかなり雪が舞う状態になりますが、そのような時は必ず毛糸で編んだ暖かい帽子を被らなければなりません。耳が冷たく痛くなります。

われわれのように軽井沢、東京を行ったり来たりする生活では冬の温度管理が何より大変です。12月〜3月はしっかりと暖房が要りますから、わが家のように夏仕様の家では,床暖がない、窓が二重になっていない、1階から3階の屋根裏まで吹き抜けになっている、など三重苦といっていいでしょう。

しかし、暖炉が十分に火力があがるとぬくぬくと本当に気持ちの良い暖かさになり、これはオイル・ヒーターだけでは全く感じられない暖かさです。しかし、暖炉が完全燃焼するまでに通常では3時間以上掛かりますので、じっくり家にいるときでなければうまくつかえず、正に不完全燃焼で終わる日が多いのです。

大抵、朝9時から10時のバスに乗り町に出ることが多いので、その時は暖炉を使いません。午後3時頃帰ってきて暖炉に火を入れて午後6時頃にやっと暖かくなり、夕食を食べて8時には薪をくべるのを止めてしまわないとベッドに入っても燃えていてムダになります。つまり、午後一杯家にいるときだけがこの暖炉の暖かさを満喫できるのです。
午後は江戸原ペンションにコーヒーを飲みに行くことも多いので、結局暖炉を楽しむ日はめったにありません。

2012年12月7日金曜日

軽井沢の・・・・


強い地震がありました、渋谷にいれば震度4,軽井沢で震度3、感じはそれ以上。米原の写真家から見舞いのメッセージ、折り返し電話をしました。このところ生活費を稼がなければならないので軽井沢には来られないとのこと。

今朝、渋谷の家に泊まっているペルーの日系3世の御夫妻が明日帰国するので、見送れないので挨拶。
それから10時過ぎの新幹線で軽井沢へ。快晴だが雪が残っていて寒さはきついようです。

今日は一人で来たので、管理人のおじさんにちょっとしたお菓子を買ってきたのを渡して、留守の間に工事が入ったり、急に寒くなったので、水回りをチェックして貰ったお礼を言いました。

さて、この通り、部屋をあたためるのには相当時間が掛かります。問題は薪の火付き具合です。新しい薪はなかなか燃えないので、最初は古く乾いた薪を使うのがこつなのですが、今日は良い薪が見当たらず、折角暖炉の灰をかき出したのに、途中で消えそうになり、仕方なく、外から別の薪と、細い枯れ枝を集めてきて火力をあげました。
今はもう午後8時、完全燃焼しているので、どんな新しい薪でも燃えます。

暖炉が2階にあるので、薪をここまで持ち上げるの大変です。先月、友達の建築家につけてもらった手動ウインチを
初めて使いました。快調、快調。

やっと部屋が暖かくなり、お風呂に入って、これでベッドに入って少し本を読めばよく寝られるでしょう。

2012年12月6日木曜日

選挙ポスター


選挙ポスターが貼られて、総選挙の様子です。金王八幡神社の塀のところに立て看用の大きなボードが立てられました。その前に都知事選のボードが立てられたのですが、バカに大きく候補者が24名も貼れるような大きさです。こちらは5枚貼ってありました。選挙管理委員会も予測が難しいのでしょう。つまらない候補者ばかりで都知事もどうしようもありません。面白くないので前の都知事は国政に戻ろうとしているのでしょう。都知事に選挙公約して貰いたいのは、カラスの駆除です。

衆議院の方は、小選挙区制なので、これほどたくさんの党ができるとは思わなかったので7つのコマしか貼れない小さいボードです。こちらの候補者は5人貼っています。

それにしても真っ青な冬の空に黄色や赤に色づいた初冬のおだやかな日和に、何か場違いな選挙ポスターが貼られているのは面白くもないものです。

今日は南風が吹いていて、時折、その風に落ち葉が舞っています。作務衣を着た外人がその落ち葉を掃いています。俳句になる光景でしょうか。

2012年12月1日土曜日

Agora17への道


大学時代の文学部の仲間でクラス雑誌を毎年1冊出していますが、今年もなんとか出来そうです。製本屋に出すまでに
何回か印刷して、校正もやってようやく50冊分の印刷をします。この写真にある4冊はいずれも試し刷りしたものです。

毎年、原稿の募集は5月の連休を目処に集めているのですが、実際には夏休みが明けたころようやく集まり始め、今年もぎりぎり11月の初めになんとかまとまり、編集に入りました。

それから1ヶ月、すっかりベテランになった編集者が原稿に取り組んで月末に印刷を終えるスケジュールです。今年も11月29日の夕方に完成しました。

内容は多岐に渡っています、日々の事柄を面白く書いた随筆や旅行記、少し固い社会時評、今回はありませんが小説が載ることもあります。書評も載せています。また、特集として、今回はタバコをつい始めた切っ掛けとやめた切っ掛けで、これは案外面白くアンケート形式で元号が集まりました。

約1週間か10日の間に編集長の友達の製本屋さんが親切に、年末の忙しい合間をぬってたった50冊を作ってくれて
これを「てわたし会」と称してクラスの仲間に集まって貰って配ります。今年は13日を予定しています。

例年の行事のようになりましたが、これはなかなか楽しい行事です。

2012年11月25日日曜日

久しぶりの代官山

渋谷の家から渋谷と青山表参道は徒歩で10分程で行くのですが、代官山と恵比寿も同じ程度で行けると思いますが、やはり、馴染み度が少ないせいか、あまり行くことがありません。今日は代官山に久しぶりで行ったのですが、今年初めてのような気がします。

これも奥さんが友達の展覧会が代官山ヒルズであったので、お昼を代官山にしようということになったせいです。これも久しぶりにEatalyで食べようと言うことになりました。イタリアに行ったときTorinoで本店に行って、その時に東京に出店すると言われて東京に戻ってから何回か行きました。

日曜日のせいもあるのか、店内は大混雑で、結構人気が続いているようです。30分ほど掛かると言われたのが午後2時15分頃でした。ついワインとオリーブ500円などにつられて結構食べてしまいました。またも、夜はお茶漬けなど、節約しなければなりません。

帰りに自転車屋に寄って、昨日紀ノ国屋の前でなくなった自転車をあきらめて新しいものを買うことにしました。この自転車屋はプロや趣味で自転車に乗る人のための店なので、ママチャリの安い物は売っていません。それでもアフターサービスのことを考えると、ここで買った方がいいので、ここでも2万円掛かって、この店で最も安い車を買いました。

自転車はマスコミなどでもバッシングにあっていて、エコライフの象徴として自転車道などが整備されているヨーロッパに比べると、日本の道路政策、交通政策の遅れが目立ちます。

2012年11月23日金曜日

住友クラブでの読書会

今月はいつもの洋室が予約が入っていたので和室でフランス料理のランチとなりました。ところが掛け軸が部屋の一方に、その反対側には窓があり東京の半分が見渡せます。

そこで、どちらが上座になるのか、普通は掛け軸を眺める側がお客になり、反対側は主人側になります。窓からの素晴らしい景色が眺められる側が上座ではないかとか、結論がでないので、いつもの洋室の並びの通りにしました。例によって掛け軸に書いてあることは読めず、解説のカードが置いてあって、それによると、これは住友の何代目かの当主が手に入れたもののようです。

今日読んでくる本は①社会を変えるには(小熊英二)講談社現代新書,②ボローニャ紀行(井上ひさし)文春文庫
③フランス革命史・白水社文庫クセジュ

やはりボローニャ紀行はいい本で、イタリアの都市国家のコミュニティの良さが皆によくわかったようですが、わかり過ぎて、議論にならなかったのは残念でした。一方で、フランス革命史は翻訳の日本語がよくなくて、結局よくわからないままで、前に読んだ「フランス革命の肖像」集英社新書ヴィジュアル版をもう一度読んだ方がいいということになりました。期待の「社会を変える」はやはり肝心の”社会を変えるには”とか”どうすれば社会を変えられるか」についてはデモとか話し合いということしか書かれていませんでした。結局、哲学史、社会学史などを横断的にまとめたものとしては読み応えがあったということでしょうか。 

2012年11月17日土曜日

雨がひどくなる前に


今日は思ったより雨がひどく、早めにスーパーに行って良かったようです。思ったように仕事がはかどらず、そのままお昼になってしまいました。

マルちゃんの半生ラーメンを買ってきて、これを加工してそれなりのものにします。ネギ、焼き豚、半熟玉子というのが今日の具ですが、お湯をわかしながら、この中に玉子を入れたり、適当にネギを入れて下ごしらえを一緒にしてしまうのがコツといえばコツです。

なんといっても栄養、おいしさ、価格とバランスさせると外で食べるよりはかなり良いという感じです。なんといっても原価100円になりませんからね。

最近はとにかくいろいろ工夫することが面白くできるのは料理の世界が手っ取り早いということです。しかし、この頭を他にまわせないかというのが課題です。

2012年11月11日日曜日

大同芸術院



昨夕に工学院の建築学部創設記念シンポジュウムがあり、そこで磯崎新と藤森照信両氏の対談がありました。テーマは茶室ということでしたが、先ず藤森さんが自分の設計のいくつかの面白い茶室のスライドを見せた後、次に磯崎さんが現在とりかかっているプロジェクトのうち、中国の中原逐鹿の都市計画と大同の芸術院の建築、アメリカの砂漠の個人に頼まれた住居でした。(写真は磯崎さんの大同芸術院の模型と最近の現場の状況)

そこで、藤森さんが写してきた千利休の待庵の茶室の内部から話が始まり、坂倉準三からミースが梁の構造を習ってアメリカ人ではじめて縦横の構造をコンクリートで作ることが出来た。つまり、日本の建築にはこの梁を使う横の構造があった。ラーメン構造のはじまる話になった。

それから日本の影響を受けたオランダの紫烟荘から堀口捨巳に話が移り、彼が本当に関心があったのは庭で部屋に続いていく庭ということだったと。

また、待庵に戻って、千利休の身長と目線、秀吉の身長と目線、背の低い秀吉は床の間に座ったとか、そこで人体の話になり、レオナルドのリトリビュースの人体図の正方形になる。そこから立方体の磯崎空間の話になるが、なんといっても圧巻は彼のマリア・デル・フィオーレのあのドームで身体が震えたという。私もこれだけは自分の経験もあって聞いて鳥肌が立った。

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2012年11月4日日曜日

冬支度


うちからバスに乗って旧軽井沢の町に出ます。連休の日曜日のせいか、紅葉のせいか、街は真夏にも増しての大混雑です。

仕事の話で寄った古美術商の三度屋さんは「お寒くなりましたねえと」、店のガラス戸を閉めてお客が入らないようにしてお茶とお茶菓子を用意してくれましたが、こちらは営業妨害になっているのではないかとひやひやしながらの打ち合わせでした。大分、話は進んでいるようで、組織作りのため、すでに代書屋に頼んだそうです。

軽井沢彫りのシバザキ商店に寄ると、「急に寒くなりましたねえ」と渋柿をくれました。焼酎を使って1週間で渋を抜くそうです。それでは焼酎も買っていこうかと「山屋」に寄りましたが、いつもの友達が店に出ていないのでやめました。渋柿を東京に宅急便で送って、東京で渋を抜きましょう。

お昼はラーメンのみよし屋さんに行きました。今日も浅漬けをもらいました。ここでもおかみさんが、「旧に寒くなりましたねえ」

どこでも夏が異常に暑かったこともあって、「寒い、寒い」というはなしです。

家に戻って、薪割りです。管理人のおじさんが通りかかって、いろいろコツを教えてくれます。言う通りにするとなるほど、うまく割れるものです。しかし、今年切った木は暖炉に入れてみましたが、なかなか燃えません。この薪を入れると他の薪が燃えにくくなるので困ります。来年まで干しておいた方がいいよういです。

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2012年11月3日土曜日

軽井沢からの客人


FaceBookの利用が役にたちました。軽井沢で世話になっている、軽井沢彫りの「シバザキ」の若主人が、渋谷東急本店で開催中の鎌倉彫の展示を見るため軽井沢駅を出発するという記事が出ていました。発信した時間を見ると2時間前となっています。

とすると、うちから東急本店まで歩いて、うまく行けば彼が到着して展示をじっくり見ていてくれれば会える可能性があります。取りあえず急いで行って見ることにしました。デパートに到着してエスカレーターに乗って催し物会場の8階で、彼が歩いているのが見えました。なかなかうまく行きました。

鎌倉彫もなかなか面白いものでした。彼はそれこをFCで知り合っていた作家と話したりして仕事をした後、私は彼をうちに誘いました。うちの手前の人気の映画「天地明察」の舞台になっている金王八幡神社を案内しました。このごろはなかなかの観光コースでお客さんも多くなっている神社です。

その後、うちでしばらく話して、夕食にも誘いました。実は今日は別の会合がオペラシティであったのですが、それは遠来の客のためにキャンセルし、広尾にあるチェコ料理に連れて行きましたが、そのチェコ料理屋はつぶれていて、フランス料理屋が開店していました。仕方なく、フレンチで我慢してもらいました。

なかなか面白い半日になりました。

2012年10月29日月曜日

六本木まで歩く


北風が強い日でしたが、六本木まで歩くことにしました。國學院を通り、少し回り道をしましたが、この道の途中で昔からの家が2箇所も建て替えでしょうか、解体工事をしていました。そのうち1箇所は何回か行ったことのある和風レストランでした。あまり流行っていないようで、やっている日が少ないような気がしていましたが、やはり駄目だったようです。

久しぶりに歩いてみると、少し景色が変わっていました。日赤の前の通りの店も変わっているようです。どうも良くなっているようには見えません。

六本木でABC書店に入ると、この店の本の並べ方もすっかり変わっていました。今まで中央にあった思想、哲学、歴史などは奥の方に押しやられて、実用本が取って代わっていました。これも劣化時代の象徴でしょうか。
こちらも劣化して植草甚一の「コラージュ日記」を買ってしまいました。

これだけ歩いてもFUELは1,500、今日もゴールの2,000には届かないようです。歩数も8,500歩で10,000歩でした。

2012年10月27日土曜日

札幌・小樽



先週の神戸、六甲に続いて今週は北海道です。今回は札幌で仲間との会合が2回、小樽ではいつもの会長のゲストとして漁協で開催された勉強会に出て、普通では食べられない、鉄砲エビ、ソイの煮付けなど海の幸を思う存分ご馳走になりました。

その後、市内に戻って「レンガ横町」でもう一杯飲むことになりました。せいぜい6,7人のカウンターで女主人が一人できりもりしています。ここは餃子がおいしいというので、これを食べることにしました。

今回はホテルノルドに泊まって翌朝は札幌の集まりの前に少し時間があったので、定番の運河の横を歩いて写真を撮ってきました。会長の話によると今年は運河に船を浮かべて遊覧するという企画が当たって賑わったそうです。しかし、この船遊びは規制が多くて乗船中の飲み食いが認められなかったそうです。

2012年10月24日水曜日

メジロ飛び込む





メジロは季語になっているかどうかわかりませんが、秋の小鳥というわけではないでしょう。窓を開けて掃除をしていたら飛び込んできました。遊びに来たのはいいのですが、なかなか戻れないらしく天井と上の太い補強材との間をとびまわっています。

追い出してやろうということになり、テーブルの上に椅子を乗せてその上に上がって、長い棒を振り回して追いかけますが上には行くのですが下にはいかないのです。蛍光灯をつけたり、手を叩いて音を出したりしてもうまくいきません。

午前中、2時間ばかりいろいろやってみましたが、諦めて、窓を開け放しにし、階下で昼食をして、戻ってみるとなんのことはない、もういなくなっていました。無事に外に出たのでしょう。

メジロはなかなか可愛い鳥です。口を開けてキーキー叫んでいましたが、これも愛嬌がありました。

2012年10月20日土曜日

高六ならず高七だったてんぷら屋



一昨日、この日は小雨模様でしたが、クラス雑誌「Agora」のための写真を撮りに大学に行きました。大学の後輩を誘って先ずは夏目坂のてんぷら屋を目指しました。在学中、9年も早稻田にいたのに夏目坂を知りませんでした。この町に育った後輩はこの辺りを知り尽くしていて、お陰でこのてんぷら屋に行くことができたのはもう6年前でしたか。

私が思っていたのはこのお店はすぐ坂の途中でしたが、実際はもっと若松町寄りでした。なかなか見つからないのであきらめかけたところ彼が「高六?」という店名をうろ覚えに覚えていたお陰で更に歩いていって「高七」を見つけました。

もう結構客が入っていましたが、座敷の奥に通されて今日のサービス定食は天ぷら定食にあなご天ぷらがついているものです。ここでビールを飲まなければと瓶ビールを一本頼むと、前に来たときもいたようなおばさんと娘さんの間のような女性が先ずビールのお供にと先にあなごをもってきてくれました。天つゆかアンデスの塩かどちらかで食べる、あつあつのこの穴子の天ぷらとビールはうまかった。

この店を思い出したのは、早稻田で1年間研究生活をしていて先月パリに帰ったフランス人の友達が、自分が部屋を借りていた夏目坂のてんぷら屋で学生と送別会をしたという話をしていて、「そうだ、あの店に違いない」と思ったからでした。この写真をパリにいる彼女に見て貰いましょう。

2012年10月16日火曜日

朝の銀座


今朝は来年の手帳と海外の友達に送るカレンダーを買う目的で、銀座の伊東屋へ行きました。10時7分過ぎに地下鉄の駅から銀座通りに出ると、すこしひんやりして気持ちのいい感じです。通りにも人が少なく、人をよけることなく歩くことが出来ます。

伊東屋の中もまだ空いています。カレンダーの特設売り場もお客は3,4人といったところです。必要なものがなく手帳の売り場に行くと、お目当てのユーロカレンダー1013の手帳の中身がありました。この時間では店員も余裕があって、親切に応対してくれます。

教文館に寄って、目下書いている本の参考になる築地や銀座に関する本を探しました。この教文館にはさすがに地元ですから、この辺りの本があります。進士五十八の「日比谷公園」を見てみたが、東京ホテルや日比谷ホテルのことは何一つふれていない、それだけでがっかりした。進士先生と言えば昔、地域交流センターで何度か会った事がある。

帰りの地下鉄のつり広告、週刊現代がまた「中国に日本は勝つ」というバカなタイトルの記事を書いている。日本人は13億と1億3千万との差も広さの差も全くわからない。マスコミの影響は恐ろしい、人々の想像力をどんどん衰えさせていく。日本人は民主主義の使い方がわからないので、結局、また戦争に追い込まれるかも知れない。

2012年10月14日日曜日

ガーナ→軽井沢

一昨日の晩は軽井沢駅から本通りを歩いて7,8分のところにある、ブラジル料理とコーヒーの店、ナチュラル・カフェイーナでライブがありました。ガーナのドラマー、テテの様々なガーナの民族打楽器の演奏です。大変な音量で迫力満点。

夕食をテテと同じテーブルで出来たので、いろいろな話が聞けました。それこと東北をはじめ様々なところでの公演をほぼ毎日のようにやっているそうです。特に学校公演に力を入れてこどもたちにガーナの音楽と文化を紹介するように
努力しているそうです。

ガーナはポルトガル、フランスなどの後、最後はイギリスの植民地になって1950年代に独立し、黒人の大統領になって、白人を追い出し、黒人だけの国家になったのですが、残念なことに権力者が海外からの援助で私服をこやしなかなか国が豊にならないという悩みを抱えているとテテは頭を振って実状を嘆いています。

また、中国、韓国から援助といってたくさんひとが入ってきているようですが、日本人のように真面目ではないという話もしていました。

ガーナは昔は金の輸出で、現在は「ガーナ・チョコレート」のカカオが有力産品です。そして、野口英世が黄熱病を発見し、この地で亡くなったので、いまでもガーナ人が尊敬していると熱く語ってくれました。

2012年10月9日火曜日

芸術の秋

銀座は歩行者天国、道端の芸術家に人だかりです。昨日は天気も良く、たまっていた友達の展覧会を3つハシゴしてなんとか義理を果たしました。幸い作家の友達に会うこともできてまずまずの収穫でした。

上野は大変な人手で、ツタンカーメン展が一番の人気で大行列、次が動物園というところでしょうか。われわれの目指した東京都美術館も団体展とメトロポリタン美術館展でにぎわっていました。

日展と同じで応募者がメチャ多いので、とても全部は見ていられません。友達の絵を探すので名札ばかり見ていて、肝心の作品を見ていないので失礼かと思いますが仕方ありません。

最後は銀座の画廊に出て、かなり愛想を振りまいて、松屋の地下で夜のおかずにシュウマイなど買って帰りました。

2012年10月3日水曜日

新東京駅舎


東京駅はカメラマン、見物人がたくさん来ています。なかなか面白い光景です。外人の報道か、本職のカメラマンか
三脚を立てて撮影準備、三脚がカシャーンと中央の脚が落ちて、まわりが驚いて彼は苦笑いという情景もありました。
どこが一番良く見えるかというのは議論の的ですが、横300メートルという幅ですから、なかなか大変です。私の情報では丸の内ホテルのエレベーターで上るというのが一つの推薦スポットだと聞いています。

建築家達の集まりでも土台に使われていた松杭がこれまで駅舎を支えていたことに話題が集中しました。辰野金吾がコンクリートではなく、レンガを使ったことも話題になりました。

この日は雑誌「Agora」の表紙の紙を発注しました。馬喰横山町にある小泉新之助商店という紙屋です。こういう専門の老舗の店で注文するのは何か誇らしい気がするものです。馬喰町などは東京の古いところなので、問屋がたくさんあり品物はかなり安いようです。

この後に東京駅に行ったのですが、駅前のビルの中にある丸善四階に出ていた松丸本舗が先月30日で終了していて驚きました。たしか3年間、営業的にあまり芳しくなかったんでしょうか。しかし、本好きには素晴らしい広告塔になっていたと思いましたが。

2012年9月24日月曜日

ドイツのパン


軽井沢に来てくれたドイツ人の友達が手作りのパンを持ってきてくれました。これ、大変重いパンで中身がびっしりで如何にもドイツパンです。バターをたっぷり塗って味わい深い美味しいパンです。ソーセージもデリカテッセンの厚みのあるものが良く合います。

ドイツの家庭に泊まっていると最初のうちはご馳走のつもりで、夜は結構いろいろなものがでるのですが、長く滞在していると日常に戻って、夕ご飯は簡単なアーベンブロートとといってこのようなパンとハム、ソーセージだけ、ビールを飲んでそれだけになることがあります。

この友達は軽井沢の家には何度も泊まっていて、仕事の疲れを癒すために来るので、ゆっくり寝かせてやります。彼女は親も友達でお客というより身内のような付き合いなので、うちの日常の食事で全く問題ありません。今回のハイライトはやはりサンマの塩焼きでした。

2012年9月16日日曜日

「無法松の一生」三船敏郎、高峯秀子

以前強い日差しが身体にぴりぴりきます。紫外線の強い軽井沢銀座です。誰が考えたか通りの街路樹を全部切って、店に人が入ってくるようにしたのでしょう。悪名高い商店街の誰かが儲かりさえすればよいと言うことだったのでしょう。特に店舗だけ借りて商売をしようという他所から来る商売人は軽井沢が儲かりそうだというだけでくるのですから、いらないものは総て取り払っていこうという話です。

そういう人はこのブログも読まないでしょうし、街路樹を植えようという気持ちも起こさないでしょう。そこへ本通りから少し路地を入ったところにある道具屋さんの三度屋さんが「軽井沢名画サロン三の日会」という催しを、軽井沢観光会館でやっています。この日は「無法松の一生」、主として黒澤、御船プロの作品を中心にした上映です。最近もBSで黒澤映画を全作品上映していますが、いまだに映画らしい映画で皆に感動を与えます。

三度屋さんは元はレキッとした映画制作のスタッフですから、こうした作品を制作したときの裏話を面白く話してくれます。三度屋さんの奥さんが入り口で切符を売っていて、丁寧に「お忙しい貴重名お時間を割いて来て下さってありがとうございます」と言葉を掛けてくれます。チケットは1000円です。来月は「七人の侍」、11月は「隠し砦の三悪人」が上映されます。

自分の経験を活かして軽井沢に文化を与えようとするこういう立派な軽井沢人がいるのにと思わざるを得ません。

2012年9月11日火曜日

秋祭り




渋谷の家を出て軽井沢に向かう前にお祭りの準備を眺めました。今年も肝心のお祭りの日には東京に戻りません。良く考えて見ると、例年、まだ暑いので秋祭りという気分になりません。9月15日前後はお月見もあってよさそうなのですが、こう暑いと面白くありません。

この日も朝から太陽ががんがんで幟もせいぜい頑張っているぜというところで写真にでも撮ってくれよといっているようです。

提灯も前の晩に見てみると節電のせいか、全部に明かりが灯っていません。これも面白くありません。

そして、「天地明察」の幟です。この金王八幡神社が舞台になるので見に行きたいのですが、宮崎あおいだからねえ。
彼女が出ると何かみな同じような映画に見えてしまう。可愛いタイプかも知れないが、昔の言葉でいえば、かまととではないか。

2012年9月9日日曜日

「幽霊」朗読劇


祖母の別荘だった玄関に捕虫網がそのまま立てかけてあります。毎年の夏、別荘の玄関に入ると懐かしいカビくさいにおいがします。この匂いがなければ千ヶ滝ではありません。少年の間、蝶々を追いかけ回していました。お隣の田村さんの幸ちゃんは大学生で色白のほっそりしたイケメンの青年で、彼が蝶々を捕る先生でした。

丁度、今日の坂本さんか、山本さんか、岩崎さんか、白いシャツ、白いズボンを吊って、幸ちゃんが「おーい、温彦ちゃん、いくぞ」と言う声がお隣の別荘から聞こえて来そうな感じがしました。北杜夫の文章は何度も読んでいるのでそれは聞いているのか聞いていないのか、耳に心地よく響くのですが、頭の中はあの少年の日々なのです。

舞台にいる4人が立っている人、椅子に腰掛けている人の具合でなんだかチェーホフの部屋ですね。急に朝子さんがアルカジーナになっていたりしてもそのまま芝居になっていても、演出をしていれば、如何様にもイメージがふくらむでしょう。

この朗読劇を見る前に素晴らしいドビュシーの展覧会を見ましたが、その感想は改めて、このブログにするか、雑誌に載せるか致しましょう。

2012年9月5日水曜日

オーラルヒストリーの現場

昨日は久しぶりに緊張に満ちた一日でした。オーラルヒストリーのインタビューです。早めのお昼を先生のお宅で食べてから3人で出発です。インタビューするわれわれ3人の役割分担は決まっています。

こうした世界的な人物を相手にする場合はオーラルヒストリーの基本に則って、自分の役割をきっちり果たさなければなりません。しかも相手の関心をそらさずに、こちらが聞きたいことを聞かなければなりません。

ガラスが前面にはめ込まれ、後ろに専門の関係書籍の2重になった書棚、夏ですが、お茶のお湯をわかすストーブが片隅にあります。それでも室内の温度は快適です。吹き抜けの天井は非常に高く、この部屋で孵化したという蝶々が舞っています。明かりはすべて間接照明で夕方になってこの明るさはウイーンのゲミュートリッヒ・カイトの状況にわれわれを包み込みます。これこそ得がたい時間です。

これはジャーナリズムのインタビューとは違います。聴衆が問題なのではありません。時代の証言を得ることが問題なのです。これは学問なのです。その為に自分の出番に猛烈な集中力が必要です。主導する先生ともう一人の先生との絶対のチームワークです。特に「間」の取り方の巧拙によって聞けるはずのテーマを落とす心配があるのです。一般的には少し自分が出るところをずらすことが求められます。

私がこの道に手を染めたのは慶応の先生だった幼馴染みが「デジタル・アーカイブ」の仕事を始めたときからですから実際はもう30年近くなるわけです。いつの間にかライフワークになっているようです。

仕事を通じて人のつながりを確認する猛烈に面白い仕事です。これに情熱を掛けないわけにはいきません。

2012年9月2日日曜日

葉山リゾートオフィス再興又は再考

雨の一日、現在、午後5時に家の古い別荘を手前に空を見上げたところ。薄暗くなりつつあり、今は雨は上がっていますがもう一雨来るかというところ。気温は20度をそろそろ下回るかどうかというところ。湿度がかなりあるので薄ら寒いという感じはありません。

今日はお昼前に葉山の住人で草津の別荘マンションに来ている友達が帰りに寄って相談です。彼は50才になったばかりですから、このようなダイナミックな生活をしていることは素晴らしいことです。葉山の町長が友人らしく、もともと葉山芸術祭の実行委員の中核である彼を相談相手にもしているようです。

葉山の一つのテーマは空き屋対策です。住宅地の中に空き屋が増えていると言うことです。こうした場所は海にも近くなく、かといって昔からの住人の住んでいる地区や別荘のあった地域と違って、葉山らしい良いところではなさそうです。そうなると、葉山町が町として良くなければなかなか借り手や買い手はつかないでしょう。

そこで、テレワーク利用したリゾートオフィスを彼が提案しているということです。テレワークタウンにするには町は行政として何をすべきか。

その前に面白い人が来て貰えるかどうか。サロンが出来るか。など行政ではどうにもならないこともあります。もちろん「人を誘致する」ことにお金を出した昔とは違い、今はだれも自分に能力がないと知っていても、能力があると称される人には嫉妬がまとわりつくので、町の誘致ではなく、「葉山に私を刺激してくれるような場と人がいるか」ということになります。

2012年8月31日金曜日

玉さんの睡眠用椅子


玉さんの家に珍し椅子がありました。脚を上げて使う椅子です。腕を乗せるアームから脚を乗せるアームが連続してついているのです。玉さんの説明によるとタイの骨董品店に置いてあったものだそうです。おばあさんが腰掛けていたものですが、おばあさんは勘弁して貰って椅子だけ買ってきたようです。

さすが、タイですね。暑い日差しを避けて、日影で脚を伸ばして腰掛けると甘い熱帯の植物の香りに包まれて、いつの間にかうとうとと桃源郷に誘われるという豪華な椅子というわけです。

私も試してみましたが、玉さんが今晩はここで寝てくれていいよ、と言ってくれないので、とりあえず数秒で、夢をみるには至りませんでした。

2012年8月30日木曜日

玉さん夫妻山羊を飼う


8月半ばにヴィラデストに行ったときに玉さんから山羊を飼ったという話を聞いていましたが、一昨日行ったところ
その山羊に出合いました。これで、生後5ヶ月弱でまだまだ大きくなるそうです。見たところはなかなか可愛いという感じで大きな石の上に駆け上ってみたりしていました。メーメーと鳴くのもご愛敬です。

食事が終わった後、玉さんの家の行ってお茶を飲みながら、その山羊談義となりました。「山羊の飼い方」なる本も備えていましたが、このような本も5,6冊は出ているそうです。

先ず、性質として高いところに登りたがるのですが、これは臆病で遠くを見て外敵が来ないかを確かめたいということのようです。また、山羊は嗅覚より視覚が良いとのことで、何でも見て確かめるようです。また、相当バカなこともあって、良く見えないビニールなどを食べて死ぬことが多いようです。また、毒草も見分けられないので、それを食べて死ぬこともあるようです。

やはり自由を求めてオオカミに食われた「スガンさんの山羊」のことを思い出しますね。

2012年8月28日火曜日

引き続き


一昨日の16日にトム・ハール展が終わり、片づけ、打ち上げをし、その後、夏の終わりの音楽祭で、江戸原ペンションのジャズ・コンサート。昨日はゼミの仲間で追分の別荘にやってきた友達が星野まで来たからとうちに寄ってくれたので、お隣さんも呼んでお茶の会。

その友達は大学の先生をやっているのですが、どうも教授になったのはいいが、理事長、学長と大学の生き残りのための方策を考える立場になったらしいのです。研究もろくにできない忙しさで先の見通しが立たないようです。彼女はこの環境から抜け出せないと研究者として確立できないので、自由な精神を忘れないようにと偉そうに忠告しました。

天皇、皇后がささやかな夏休み、軽井沢から草津に向かう道路を警備する警察官です。午前中に移動されたようで、ヘリコプターが飛び回っていました。

2012年8月25日土曜日

積乱雲そして夕焼け



午後2時頃にはあらゆる方向に積乱雲が発生、今日は雨が降るかと思いました。しかし、軽井沢国際音楽祭のコンサートが終わった午後6時、外に出てみると浅間山のシルエットに夕焼けになっていました。これで雨はありません。

いつも混んでいる軽井沢駅近くの鉄板焼きのニシハタに行ってみると、馴染みの店のせいか、普段は使わない奥のカウンターを空けてくれました。ここで、私は生ビールを飲んで、ハンバーグを奥さんはキャベツ巻きを食べました。

このキャベツ巻きは中身が非常に詰まっている特製で、その作り方についておやじさんにいろいろ聞いてみました。やはり10個を一度にいれる大鍋でゆっくり火が回るまで煮ることだそうで、やはり、自宅で作ることが出来ないところがポイントです。食べに来る甲斐があります。

2012年8月23日木曜日

美女軍団コンサート


昨夜、近くの江戸原ペンションの音楽室、クリエイティブ・コンプレックスで、学芸大学と尚美学園の大学生のクラリネット・コンサートがあった。両大学でクラリネットを教えている先生が江戸原ペンションで恒例の夏の合宿の仕上げのコンサートです。

先生の話のように別に女子大学でもないのに、専攻の男子の学生は絶滅危惧種になっているほど少ないらしく、今回も合宿に参加しているのはイケメンの4年生一人。

この先生の方針でしょう。音楽は楽しくやらなければ意味がない、どんな種類の音楽でも良い音楽なら弾いてしまおうということで、演歌からクラシックまで自由自在の演奏。先生に編曲の力も必要とさせれるのですからやる方は大変でしょう。また、クラリネットを吹くだけではなく、歌も歌い、踊りも踊るという楽しいコンサート。

お客さんの1才半になるという娘さんがのりにのって手拍子と踊りで会場を大いに盛り上げてくれました。

その後、家に戻って、となりの奥さんを誘って、玉村ワインの白、赤をボトル2本空けてしまいました。

2012年8月22日水曜日

音楽家の新世界


昨日、長い知り合いの尚美学園でクラリネットを教えている田中さんが学生を引き連れて軽井沢の観光会館でミニ・コンサートをやりました。しかし、町には人が溢れているのに、会場で聴きに来た人はせいぜい15人程度で、それも1時間弱の演奏時間なのに、それすらゆっくり楽しむことができずに帰っていきます。

演奏終了後、その先生と話しました。クラシック音楽を聴く聴衆がどんどんいなくなる。彼もN響のコンサートに行って驚いたそうです。ほとんどの聴衆が高齢者、杖をついたり、酸素吸入器をつけた人達がやってくるのです。

彼は聴衆を作る努力をするのを半ばあきらめて、音楽をする人達が自活するためのシステムを作ることを考え始めているといいます。それは自分達で小規模な風力発電を作って売電してファンドを作っていこうというものです。もう少し詳しいことを聞かないとわかりませんが、音楽家の新しい世界が開けるかも知れません。

2012年8月19日日曜日

塩沢湖の花火


花火の写真はそのものを撮るとどこの花火かいつの花火かもわかりません。写真の上手な事務局長の先生が浴衣姿の子供たちや周りの景色を一緒に撮っても、これが隅田川か多摩川か、はたまた長岡、大曲といったものかも、解説がついて、なるほどと思うものです。
この写真などは軽井沢の塩沢湖の花火ですが、近くで見られるので迫力があってそれはそれで大変楽しいものです。軽井沢は3箇所で手軽に毎日のようにやっています。そうなると「川開き」という肩書きがほしくなりますね。

子供の頃、親に連れられて隅田川の川開きに行ったときは、先ず料亭にあがって浴衣に着替え、その料亭の確保している桟敷に行って、花火をみた記憶があって、これはやはり情緒があっていいものです。

昨日はお盆休み後半のスタートでしたが、朝7時のバスで町に出て朝食を町のパン屋で済ませ、フランス人率いる早稻田の建築の学生にレイモンドの建築を見せ、お昼を食べる暇がないので駅近くの馴染みのカフェにサンドイッチを作っておいて貰って、信濃鉄道に飛び乗って一旦家に戻り、隣りと近くの別荘に来ている2組の先生とオーラルヒストリーの打ち合わせをし、それが終わって、またタクシーを呼んで、塩沢湖に行って、午前中のフランス人の先生と早稻田の学生と南山大学の職員と合流してガーデンパーティつきの花火大会。町長を呼び出して一緒に花火を見ることに。

そしてそのフランス人の友達を連れて、家に戻ってレイモンドが葉山の別荘で付き合っていた現在90才のイギリス人の話をききました。

2012年8月16日木曜日

ビラデストの夕食


昨日は山から下りる車は大渋滞、近くでまた事故が1件、軽井沢の救急車が出払って一昨日は御代田からきたが、昨日は佐久から出動。そんな中、歩いて中軽井沢の駅に行きました。麓の方になるに従って気温と湿気が高くなって汗をかいてしまいます。途中でハルニレの和菓子屋に寄って、玉さんへのおみやげを買って、駅前通の印章店で朱肉も買いました。なにせお客がいないのか、店をやっているのかやっていないかの状態で、こちらで店の中を探しておかみさんに
「これいくら」と聞く有様です。おかみさんに領収書を頼んだのですが、「この頃字が出てこなくて」と「洋風館」と
書いてくれたのを「陽風館」に直してもらいました。それでも字は大変上手でしたのでほめてあげました。

さて、8月15日、ビラデストの夕食です。玉さんの夫人に8人分の席を無理に頼んでの会食です。4組の夫婦、われわれ以外はすべて大学教授夫妻。昨日のメニューの作り方が実に上手く出来ていて、前菜と主菜のチョイスがあるのですが、結局、魚の前菜と信州牛の主催、しかも信州牛は1000円増しをとらざるを得ないようになっています。玉さんもやってきて、われながらこの陰謀メニューに大笑いでした。

ビラデストに4時頃着いて玉さんにシードルを飲ませてもらいながら談笑していたとき、かなりひどい雨になりましたが、6時頃に食事とするときには雨があがってこのような情景になりました。