2010年1月31日日曜日

軽井沢検定


このところ浅間山にも雪が降っていません。よく見るとすこし溶けて山肌が見えています。気温が低いので、山の上はかりかりのアイスバーンでしょう。昨日は、軽井沢ナショナルトラストの新年会がありました。話題は「軽井沢検定」でもちきりです。教科書として作った本は2000部がほとんど完売でしょうか。近々行われる試験も応募者殺到だそうです。やはり軽井沢という名前は魅力があるのでしょう。軽井沢ナショナルトラストの仲間は教科書作成に協力した人たちで苦労話が尽きませんでした。

2010年1月29日金曜日

魚屋のランチ

うちから1分、通りを渡ると角に魚屋があります。おひるどきにここの横断歩道を渡ると妙なる焼き魚の煙が漂ってきて、空腹に応えます。昨日は事務局長はタイミング良く「昼や魚屋で買ってきて、ここで美味しいコーヒーを
いれましょう」と言ってくれました。事務所の窓を開けて魚屋の前に人だかりがし始めているのを確かめて買いに行きました。私は丸干し2本にご飯セットで570円、事務局長は昨夕丸干しだったので、今日は鰆の照り焼きにしようとか、これは630円でしたか。切り身は高いのです。これがうなぎを焼く煙だったら、窓をあけてご飯をたれだけで食べられるというわけです。

2010年1月26日火曜日

池袋芸術劇場


関係者が出演する義理もあり、池袋芸術劇場の新交響楽団の演奏会に行きました。曲目がバーンスタインのウエストサイドストーリーなどで会場はいつになく満員でした。会場の天井画は絹谷幸二の作品です。昔は銀行の絵画部をアルバイトで教えていた彼もイタリアで修行後、彼の地の光輝く色彩に新境地を拓き、画家として認められ、今年は芸大を退官する大御所です。これは若き彼自身でしょうか。糸の切れた凧なのでしょうか、前途洋々の時代を感じさせます。

2010年1月21日木曜日

軽井沢陶房


3月号のKURAの取材で軽井沢陶房を訪ねました。雪の中に高い煙突がたっているところが窯です。冬は作成中の土が凍るのがなにより心配だといいます。作業場には数え切れない程の作品が窯に入るのを待っています。精力的に制作にはげんでいるようです。陶芸家は自然の姿からインスピレーションを受けるというのです。自然の形は完璧だといいます。いくら真似しても自然の完成された姿に近づけないといいます。

2010年1月19日火曜日

寒い話


引き続き寒いお話し。軽井沢の聖パウロ教会から三笠通りに出てそのまま通りを横切って行くとすぐに小さな川があります。そこにゴルフ橋がかかっているのですが、ご覧のように川が真っ白に凍っています。この数年凍らなかったと思うのですが、今年はやはり寒いです。このゴルフ橋の名の由来はこの道が軽井沢では最も古い名門の「旧ゴルフクラブ」に向かう道に掛かっているからです。近くに別荘のある川端康成など執筆が一段落した午後など、このゴルフクラブでプレイしていたところです。勿論、それは夏の話です。こう寒いと騒がしい夏も恋しくなります。

2010年1月17日日曜日

零下15度



今朝は零下15度を超えたようです。今年、最低の気温です。下の部屋の窓のところは部屋の中の方に霜がおりていました。寝ていても頭が痛くなるような寒さです。寒さで目覚めてしまう明け方の5時にはヒーターを入れて改めて寝ることにします。ヒーターの音がやかましいなあと思っているうちに寝入ってしまい、気がついたら8時少し前になっていました。昨日は午後取材、取材先のご夫妻と夕食を一緒にして、家まで送って頂いて、車を降りたらがんがんの冷え込みで,木々の梢を通して空にはオリオン座がきらめいていました。光が瞬いているときは風があり、冷え込みが一段と強くなるのです。不凍結栓を抜いて水道を総て落とし、洗面の一カ所だけ水を細く流し放しにしておきます。首にはタオルと巻いて寝ます。幸い足裏にホカロンを当てていたので、足先は冷えることなくベッドに潜り込むことができました。

2010年1月15日金曜日

雪に囲まれたわが家で



10時半に軽井沢駅で丁度0度で、天気も良くそれほど寒くは感じませんでした。しかし、家が冷え切っていて、暖炉を温めて、ヒーターの温度が20度になるには4時間ほどかかりました。部屋のテーブルに捨て忘れたお茶はがんがんに氷っていていました。あやうく茶碗が割れるところでした。北側にある風呂場もがんがんに氷っていて、水を出してもすぐに凍り付いて水道は使えません。零下10度の日が続いたので仕方ありません。東京と往復生活は冬はかなり大変です。冬はホテルという人もいるのはそのせいでしょう。家が暖まるまで、足先の冷たいのはホカロンで、あとはコートを着たままで薪を外から暖炉まで10往復ほどしました。加藤周一の関係でどうしても鴎外を読まねばならず、立ち見書見台で読み、4時にはお風呂にはいって一度身体を温めて再度挑戦です。

2010年1月14日木曜日

夜の有楽町


パスポートの切り替え申請のため有楽町の交通会館に行く途中、数寄屋橋のソニービルの前を通りました。旭山動物園提供とか「雪と流氷の散歩道」が出来ていました。子どもたちがこの上に登って歩いていました。このところ気温も低く、風もあるので、雰囲気はよく出ていて、小さな子供の視線からは楽しいでしょう。

2010年1月12日火曜日

恵比寿の江戸時代

曇っていて寒いので遠くにも行かれず、自転車にも乗れず、ちょっと歩こうということで当てもなく歩いていくと、恵比寿駅のすぐ近くにひっそりと庚申塔というものが祭ってあるほこら状のものがありました。江戸時代の講のひとつで、夜中飲み食いして明かすという遊び講ではないかとおもいますが、夜寝ると死んでしまうというので、60日毎にまわってくる、庚申の日の供養塔です。この石像もなかなか優雅な姿をしています。休みの日にちょっとひとまわりするとこういう場所にぶつかりますが、最近の散策ブームでいろいろな人がお参りをするらしく、ここにも花とビールが供えられていました。

2010年1月11日月曜日

自転車スタイル

交差点で信号待ちをしていたらすーっと自転車に乗った男が横に来て止まりました。このスタイル決まっていますね。このタイヤの上部が赤い自転車も外車でいいのですが、このコートと帽子も裾の広がったズボンと靴と。よく見るとどうやらヨーロッパの若者でしょうか。こちらはジャンパーにママチャリというので比べようもありません。みんながこんなスタイルで自転車に乗っていたら、日本の交通事情も変わるかも知れません。

2010年1月9日土曜日

今年の仕事

水曜日辺りから次第に今年のというかこれからの仕事のコアとなる部分が見えてきました。私は人と話ながら自分の考えをまとめていくタイプなので、この2,3日に話し合った内容から見通しがついてきた感じです。話し相手になってくれた人達からいろいろヒントを貰いました。よく考えてみると、私自身もかなり面白い経験を面白い人達とやってきて、これは次世代にリレーしていく価値のあるものだと思いました。そして、私は日本の政策の変わり目にいて、その時の国土都市住宅政策、経済産業政策、農業政策、金融財政政策のリーダーだった人達と一番端の方でありましたが、一緒に仕事をしてその最後を看取り、次の時代の模索をしているところを見てきたのです。これをうまくまとめてみると非常にエキサイティングなものとなり、次の仕事の展望が開けそうです。

2010年1月8日金曜日

饅頭日和














お昼の後のお茶です。お正月ですから、すこしゆっくりしたいと差し入れがありました。
ひとつは栃木県は佐野の名物「味噌饅頭」です。佐野は両毛の名所とか東武鉄道の宣伝では「佐野ラーメン」と出ていますが、饅頭も名物のようです。どうも、食べ物に恵まれているところのようです。「笑い」も名物ということで、豊かな土地らしいのです。もう一つは虎ノ門の名物「虎マシュマロ」です。マシュマロの中にジャムとチョコレートとクリームが入ったもので正月限定のものです。ついでに正月の挨拶に昨日原宿の建築家の先生にもっていったものは、神田の銭形最中でした。これもしっかりあんこが入っていて値段もしっかりしていました。

2010年1月6日水曜日

転坂(ころびざか)

仕事始めは銀行まわりということもあり?赤坂へ出ました。約束の時間より少し早く着いて「氷川政談」の勝海舟の家があったという氷川公園の方に歩いていくと、その先に転坂(ころびざか)というのがあります。これは江戸時代道が悪く通行人がよく転んだという坂ですが、それほど急坂でもありません。しかし名前は素朴で気持ちがいいですね。私など良く「転びキリシタン」とかいわれて久しいのですが、これは教会に通わないキリスト教徒のことを明るくからかう言葉で、踏み絵で試された信者が踏み損なうふりをして転ぶというせっぱ詰まった話ではありません。

2010年1月5日火曜日

仕事始め1

NPO国際人材交流支援機構の方は今日が仕事始めです。事務局長を囲んで理事3人で挨拶してからお昼を一緒に食べました。正月の4日、レストランの多くはまだオープンしていません。中国人は働いているだろうと中華料理屋に行きましたが、やはり門前に列をなしていましたのであきらめて、次はネパールに行きました。やはり、やっていました。ここも満員のようで前に3人ならんでいましたが、ネパール人は融通無碍なのか、奧へ奧へと案内し、地下にある普段は宴会用の部屋に案内されました。スタフも普段は見かけない若いネパール人の学生のようです。「忙しそうですね」というと「日本語はあまりわかりません」と「busy?」「Very busy.」日本の福神漬けのかわりのような大根のカレー、芥子漬けのようなものがセットについているのですが、これが結構いけました。

2010年1月4日月曜日

北海道の雑誌「カイ」

友達から送られてきた北海道の雑誌「カイ」を読んでみました。古本とジャズの特集だったのですが、これはなかなか意味深ですね。「北海道」、「古本」、「ジャズ」というのは地域の今後の可能性を感じさせます。私の場合はこの3つにそれぞれ友達との関係が問題です。北海道は毎年小樽で待っていてくれる友達、古本は信濃追分の古本屋、ジャズは新宿のジャズ・バーの片隅で夜な夜な耳を傾けている友達です。この雑誌は信州の雑誌「KURA」に比べるとやや文化度が高いですね。季刊だからそれができるのでしょうか。読者が二極分解しているなかで、写真を多様して「見る」雑誌と文字を大切にして「読む」雑誌とが併存してうまく生き残ってくれるといいですね。

2010年1月3日日曜日

正月の青山通り

テレビでロード・オブ・ザ・リングを一挙に放映というのがあり、10時過ぎから見始めたのですが、日差しがテレビの画面を見難くし、集中力が2時間も続かず、お昼過ぎ昼食を兼ねてに外に出ることにしました。日向は暖かく、日影は寒いので、道を選んで歩きました。青山通りに出てブログ用に何か面白いものはないかとカメラを向けて気がつきました。これが東京というか日本で代表的な通りでしょうか。六本木ヒルズのビルが見えるところは、再開発のためビルが壊された跡でしょうか、一時駐車場に使われていますが、道路の反対側から見るとまるで焼け跡のようです。全くきれいではありません。街路樹を港区が切り倒してこの有様です。スタバやドトールが開いていましたが、サンマルクに入って少し固くなったビザパンとカフェオレにしました。ピーコックでお餅を買い増ししてぶらりぶらりと戻りました。

2010年1月2日土曜日

ウイーンフィル・ニューイヤー・コンサート


テレビで恒例のウインフィルのニューイヤー・コンサートです。今年は音楽番組は仕分けされたのか、予算が少なくなったのか、中継は教育テレビでひっそりとした放送です。これまでは総合で、ゲストを呼んで華やかに放送されたものですが。もっとも、地味な方がいいと話し合って、じっくり見ることが出来ました。85才のフランスの指揮者、ジョルジュ・プレートルで楽しい演奏でした。今年の呼び物はワルツの背景で踊る、ウイーンの歴史美術館でのバレエコスチュームのデザインが、オートクチュールの大御所、バレンティノで、しかもデザイン過程が放映されたことです。さすがバレンティノ、ロマンティック衣裳をきれいに仕上げていました。

2010年1月1日金曜日

あけましておめでとうございます。


地球の息吹を感じる桜島の噴火をバックにフランス語の新年おめでとうとしゃれてみました。今年はフランス語で何か1冊読むことを目標としましょうか。文学ものは難しいのでせいぜい映画のための会話の多いエリック・ロメール監督の原本、「四季の物語」でもと考えています。
近くの金王八幡で初詣をしましたが、寒くて芯まで冷えたので、御神酒(男)、お汁粉(女)を頂いた後、たき火にしばらく当たって戻りましたが、まだだめで、藤山一郎の愛唱歌のような懐かしい歌を聴きながら、インスタントラーメンを食べました。なにやらうちの後輩の事務局長のライフスタイルに似てきました。なにせ私学のノンキャリの鏡のような生活です。と今年も社会を斜めに見ながら笑って過ごしましょう。