2012年10月29日月曜日

六本木まで歩く


北風が強い日でしたが、六本木まで歩くことにしました。國學院を通り、少し回り道をしましたが、この道の途中で昔からの家が2箇所も建て替えでしょうか、解体工事をしていました。そのうち1箇所は何回か行ったことのある和風レストランでした。あまり流行っていないようで、やっている日が少ないような気がしていましたが、やはり駄目だったようです。

久しぶりに歩いてみると、少し景色が変わっていました。日赤の前の通りの店も変わっているようです。どうも良くなっているようには見えません。

六本木でABC書店に入ると、この店の本の並べ方もすっかり変わっていました。今まで中央にあった思想、哲学、歴史などは奥の方に押しやられて、実用本が取って代わっていました。これも劣化時代の象徴でしょうか。
こちらも劣化して植草甚一の「コラージュ日記」を買ってしまいました。

これだけ歩いてもFUELは1,500、今日もゴールの2,000には届かないようです。歩数も8,500歩で10,000歩でした。

2012年10月27日土曜日

札幌・小樽



先週の神戸、六甲に続いて今週は北海道です。今回は札幌で仲間との会合が2回、小樽ではいつもの会長のゲストとして漁協で開催された勉強会に出て、普通では食べられない、鉄砲エビ、ソイの煮付けなど海の幸を思う存分ご馳走になりました。

その後、市内に戻って「レンガ横町」でもう一杯飲むことになりました。せいぜい6,7人のカウンターで女主人が一人できりもりしています。ここは餃子がおいしいというので、これを食べることにしました。

今回はホテルノルドに泊まって翌朝は札幌の集まりの前に少し時間があったので、定番の運河の横を歩いて写真を撮ってきました。会長の話によると今年は運河に船を浮かべて遊覧するという企画が当たって賑わったそうです。しかし、この船遊びは規制が多くて乗船中の飲み食いが認められなかったそうです。

2012年10月24日水曜日

メジロ飛び込む





メジロは季語になっているかどうかわかりませんが、秋の小鳥というわけではないでしょう。窓を開けて掃除をしていたら飛び込んできました。遊びに来たのはいいのですが、なかなか戻れないらしく天井と上の太い補強材との間をとびまわっています。

追い出してやろうということになり、テーブルの上に椅子を乗せてその上に上がって、長い棒を振り回して追いかけますが上には行くのですが下にはいかないのです。蛍光灯をつけたり、手を叩いて音を出したりしてもうまくいきません。

午前中、2時間ばかりいろいろやってみましたが、諦めて、窓を開け放しにし、階下で昼食をして、戻ってみるとなんのことはない、もういなくなっていました。無事に外に出たのでしょう。

メジロはなかなか可愛い鳥です。口を開けてキーキー叫んでいましたが、これも愛嬌がありました。

2012年10月20日土曜日

高六ならず高七だったてんぷら屋



一昨日、この日は小雨模様でしたが、クラス雑誌「Agora」のための写真を撮りに大学に行きました。大学の後輩を誘って先ずは夏目坂のてんぷら屋を目指しました。在学中、9年も早稻田にいたのに夏目坂を知りませんでした。この町に育った後輩はこの辺りを知り尽くしていて、お陰でこのてんぷら屋に行くことができたのはもう6年前でしたか。

私が思っていたのはこのお店はすぐ坂の途中でしたが、実際はもっと若松町寄りでした。なかなか見つからないのであきらめかけたところ彼が「高六?」という店名をうろ覚えに覚えていたお陰で更に歩いていって「高七」を見つけました。

もう結構客が入っていましたが、座敷の奥に通されて今日のサービス定食は天ぷら定食にあなご天ぷらがついているものです。ここでビールを飲まなければと瓶ビールを一本頼むと、前に来たときもいたようなおばさんと娘さんの間のような女性が先ずビールのお供にと先にあなごをもってきてくれました。天つゆかアンデスの塩かどちらかで食べる、あつあつのこの穴子の天ぷらとビールはうまかった。

この店を思い出したのは、早稻田で1年間研究生活をしていて先月パリに帰ったフランス人の友達が、自分が部屋を借りていた夏目坂のてんぷら屋で学生と送別会をしたという話をしていて、「そうだ、あの店に違いない」と思ったからでした。この写真をパリにいる彼女に見て貰いましょう。

2012年10月16日火曜日

朝の銀座


今朝は来年の手帳と海外の友達に送るカレンダーを買う目的で、銀座の伊東屋へ行きました。10時7分過ぎに地下鉄の駅から銀座通りに出ると、すこしひんやりして気持ちのいい感じです。通りにも人が少なく、人をよけることなく歩くことが出来ます。

伊東屋の中もまだ空いています。カレンダーの特設売り場もお客は3,4人といったところです。必要なものがなく手帳の売り場に行くと、お目当てのユーロカレンダー1013の手帳の中身がありました。この時間では店員も余裕があって、親切に応対してくれます。

教文館に寄って、目下書いている本の参考になる築地や銀座に関する本を探しました。この教文館にはさすがに地元ですから、この辺りの本があります。進士五十八の「日比谷公園」を見てみたが、東京ホテルや日比谷ホテルのことは何一つふれていない、それだけでがっかりした。進士先生と言えば昔、地域交流センターで何度か会った事がある。

帰りの地下鉄のつり広告、週刊現代がまた「中国に日本は勝つ」というバカなタイトルの記事を書いている。日本人は13億と1億3千万との差も広さの差も全くわからない。マスコミの影響は恐ろしい、人々の想像力をどんどん衰えさせていく。日本人は民主主義の使い方がわからないので、結局、また戦争に追い込まれるかも知れない。

2012年10月14日日曜日

ガーナ→軽井沢

一昨日の晩は軽井沢駅から本通りを歩いて7,8分のところにある、ブラジル料理とコーヒーの店、ナチュラル・カフェイーナでライブがありました。ガーナのドラマー、テテの様々なガーナの民族打楽器の演奏です。大変な音量で迫力満点。

夕食をテテと同じテーブルで出来たので、いろいろな話が聞けました。それこと東北をはじめ様々なところでの公演をほぼ毎日のようにやっているそうです。特に学校公演に力を入れてこどもたちにガーナの音楽と文化を紹介するように
努力しているそうです。

ガーナはポルトガル、フランスなどの後、最後はイギリスの植民地になって1950年代に独立し、黒人の大統領になって、白人を追い出し、黒人だけの国家になったのですが、残念なことに権力者が海外からの援助で私服をこやしなかなか国が豊にならないという悩みを抱えているとテテは頭を振って実状を嘆いています。

また、中国、韓国から援助といってたくさんひとが入ってきているようですが、日本人のように真面目ではないという話もしていました。

ガーナは昔は金の輸出で、現在は「ガーナ・チョコレート」のカカオが有力産品です。そして、野口英世が黄熱病を発見し、この地で亡くなったので、いまでもガーナ人が尊敬していると熱く語ってくれました。

2012年10月9日火曜日

芸術の秋

銀座は歩行者天国、道端の芸術家に人だかりです。昨日は天気も良く、たまっていた友達の展覧会を3つハシゴしてなんとか義理を果たしました。幸い作家の友達に会うこともできてまずまずの収穫でした。

上野は大変な人手で、ツタンカーメン展が一番の人気で大行列、次が動物園というところでしょうか。われわれの目指した東京都美術館も団体展とメトロポリタン美術館展でにぎわっていました。

日展と同じで応募者がメチャ多いので、とても全部は見ていられません。友達の絵を探すので名札ばかり見ていて、肝心の作品を見ていないので失礼かと思いますが仕方ありません。

最後は銀座の画廊に出て、かなり愛想を振りまいて、松屋の地下で夜のおかずにシュウマイなど買って帰りました。

2012年10月3日水曜日

新東京駅舎


東京駅はカメラマン、見物人がたくさん来ています。なかなか面白い光景です。外人の報道か、本職のカメラマンか
三脚を立てて撮影準備、三脚がカシャーンと中央の脚が落ちて、まわりが驚いて彼は苦笑いという情景もありました。
どこが一番良く見えるかというのは議論の的ですが、横300メートルという幅ですから、なかなか大変です。私の情報では丸の内ホテルのエレベーターで上るというのが一つの推薦スポットだと聞いています。

建築家達の集まりでも土台に使われていた松杭がこれまで駅舎を支えていたことに話題が集中しました。辰野金吾がコンクリートではなく、レンガを使ったことも話題になりました。

この日は雑誌「Agora」の表紙の紙を発注しました。馬喰横山町にある小泉新之助商店という紙屋です。こういう専門の老舗の店で注文するのは何か誇らしい気がするものです。馬喰町などは東京の古いところなので、問屋がたくさんあり品物はかなり安いようです。

この後に東京駅に行ったのですが、駅前のビルの中にある丸善四階に出ていた松丸本舗が先月30日で終了していて驚きました。たしか3年間、営業的にあまり芳しくなかったんでしょうか。しかし、本好きには素晴らしい広告塔になっていたと思いましたが。