2019年3月9日土曜日

渋沢さんと私

この本は渋沢さん本人から貰ったものではありません。渋沢彰さんの遠縁になる友達が、私にまわしてくれたものです。もう、古い話です。
渋沢さんは執筆時にはもう私のことを忘れていたのでしょう。軽井沢会テニス部、例の天皇、皇后のコートで、私は彼とどのくらいテニスをしたか、かなりやったような気がします。
毎年、秋になり、別荘の友達は次第に東京に引き揚げて、午後3時にもなればコートに西から長い影が出来ます。そして、10面もあるコートでプレイしているのはわれわれだけのことがよくありました。

軽井沢の9月半ばの気候は10年も前にはぐっと気温が低くなり、短パンで、セーターで、肌寒さを感じるようになっていました。夏の盛りの混雑を嫌って、秋に入ってからテニスにやってくるのは、羽仁説子、五郎さんがその代表格だったでしょうか。渋沢さんのこの本には忘れることなく書かれています。その横に渋沢さんのパートナーとしてダブルスを組んでいたのが私なのです。残念ながら、テニスが下手ということもあって、多くの場合はパートナーの記憶には残らないのです。

渋沢さんとはテニスのあとも2人で町の通りを歩いた記憶もあります。多分、デリカテッセンが当時はレストランをやっていたので、そこに食事かお茶に行っていたのだと思います。

せっかくなので、もう少しこの本について書いておきましょう。

2019年3月7日木曜日

六本木、「文喫」

元の六本木、青山ブックセンターの後、そのままの構造を使って、本屋と喫茶店が一緒になったという「文喫」、少し話題になったので、行って見ることにしました。
入場料が1,500円というのが味噌で、果たしてそれだけの価値があるかということです。
先ず、サービスのコーヒーと煎茶、煎茶をたのんでみましたが、ぬるくてまずい。スペースはなかなか、さまざまなテーブルとチェア、ソファ、これはどちらかといえば、今はやりのワーキングスペースという感じで、好きなところを選べばなかなか使い勝手がいい。ただし、本屋だから打ち合わせは迷惑になるので出来ない感じです。
図書、3万冊、これはどうしようもありませんでした。3万冊がこれほど少ないとは、信じられません。よほど、本屋と趣味が合わなければ、3万冊どころか、100冊いかないでしょう。
これでは、1,500円、場所代としても高すぎます。もう一度は行かないでしょう。やはり、集めている本に方向性を出して、その方向性にあった客を呼ぶ必要があるのかもしれません。

2019年3月4日月曜日

日・仏知識人同士の結婚の所産は?


何年か前の夏の終わり、しなの鉄道の中軽井沢の駅の待合室でなだ。いなだ、娘とおぼしき女性と前にこしかけていた。そらから亡くなったのは2,3年たっていただろうか。彼は2013年まで生きたのだから、5年前の話になる。その後、軽井沢高原文庫で彼の記念展示が行われたことは記憶にある。軽井沢のフランス語世界との関連はそれなりにあった。

彼と娘達の成長の記録はおりおり本が出版されていた。また、精神科医としての話もあり、更に思想的なものもあった。しかし、彼とフランス人の夫人との知的な世界がどうだったのかと今更ながら興味をもったのは、今読んでいる、フランス・ドルヌと小林康夫の「日本語の森を歩いて」のせいだ。日本人とフランス人の知的な組み合わせによって
何が生まれるか、これを研究したものがあるだろうか。

われわれ日本人同士で結婚した者には想像もつかない世界が広がっていくだろう。知識人同士が日本とフランスという違った土壌で育って、その知的な麺で寄り添い、又ぶつかり合うことの面白さは尋常なものではないはずだ。

多くは一時資料は少ないだろうから、著作の中からさぐるしかなく、しかもどちらの言語を使って書かれるとすれば、われわれは日本語の文献を深読みするしかないだろう。