この本は渋沢さん本人から貰ったものではありません。渋沢彰さんの遠縁になる友達が、私にまわしてくれたものです。もう、古い話です。
渋沢さんは執筆時にはもう私のことを忘れていたのでしょう。軽井沢会テニス部、例の天皇、皇后のコートで、私は彼とどのくらいテニスをしたか、かなりやったような気がします。
毎年、秋になり、別荘の友達は次第に東京に引き揚げて、午後3時にもなればコートに西から長い影が出来ます。そして、10面もあるコートでプレイしているのはわれわれだけのことがよくありました。
軽井沢の9月半ばの気候は10年も前にはぐっと気温が低くなり、短パンで、セーターで、肌寒さを感じるようになっていました。夏の盛りの混雑を嫌って、秋に入ってからテニスにやってくるのは、羽仁説子、五郎さんがその代表格だったでしょうか。渋沢さんのこの本には忘れることなく書かれています。その横に渋沢さんのパートナーとしてダブルスを組んでいたのが私なのです。残念ながら、テニスが下手ということもあって、多くの場合はパートナーの記憶には残らないのです。
渋沢さんとはテニスのあとも2人で町の通りを歩いた記憶もあります。多分、デリカテッセンが当時はレストランをやっていたので、そこに食事かお茶に行っていたのだと思います。
せっかくなので、もう少しこの本について書いておきましょう。
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