2011年2月27日日曜日

イノシシ・ミートソース


軽井沢の近くで獲れたイノシシだというが、そのスパゲティ・ミート・ソースなるものが,2週間前にオープンした聖パウロ教会に向かう道のフランス料理屋風の店で出されました。味は少しクセのあるイノシシの肉だと思いました。初めてのものでなかなか美味しく食べられました。

久しぶりに軽装で町を歩けた暖かい一日でした。町のあちこちに工事が行われています。軽井沢会テニスコート、軽井沢本通り、電柱地中化工事などです。

2011年2月24日木曜日

東京海洋大学


この建物は現在の東京海洋大学の入り口のところにある天体観測台です。ここで緯度、経度の精密な観測を行ったという,明治36年に作られたものです。

実は私の書いている本の聖路加の主人公やその友達が、学生時代の昭和5年前後に聖路加から隅田川を渡ってこの越中島にある当時の東京高等商船学校(東京海洋大学)に遊びに行っていたことがわかっています。昨日はその跡をたどって聖路加から歩いてみました。現在は橋が掛かっているので、渡し船を使わなくてよいわけですが、それでも1時間弱かかりました。そのころの商船学校には全国から体格の良い成績優秀な男子が集まっていたので、どうも、積極果敢な彼女達がボーイフレンドを求めて行っていたよう気がします。

われわれは大学図書館に入って当時の関係資料を当たり、東京港から隅田川にかけての資料などを見つけ、かなりの成果がありました。

2011年2月17日木曜日

築地の春



昨日は少し春めいて,いつもの仕事で聖路加看護大学に行く途中にお雛様が飾ってあるのを見つけました。
鶏屋さんの外壁に埋められているショーウインドウです。残念ながらここの鶏は未だ食べていないので何とも言えませんが良い感じでした。

この日はかなりの資料がみつかり収穫がありました。改築前の聖路加病院の平面図も正規ものが手に入りました。前に書いた原稿に間違いがないことが分かりほっとしました。やはり、正面から入ってチャペル前の廊下を右に曲がったところに厨房と食堂があり、記憶通りでした。また、正面玄関を入るとロビーがあり、この部分と続く廊下が改築時に取り払われたこともわかりました。これで2階のホールがダメになっていることが証明されました。

2011年2月13日日曜日

モノクロ


何をどう改良するのか、国連大学前の広場で工事があり、ファーマーズ・マーケットのスペースが3分の2ほどに狭くなり,出店が多くなっているのにスペースが狭くなり、せっかくランチをここで食べようと思ったのに無理なようです。それでも、サックスの生演奏はなかなかのものでしたので,しばらく聴いていました。

寒いので吹きっさらしで立って食べるのを断念。近くのカフェに行きました。アメリカ風に量の多い店です。その入り口の風景をモノクロで撮ってみました。モノクロは無機質な風景、ポートレイトなどには向きます。この写真も大きくすると芸術的に見えます。

2011年2月10日木曜日

乃木将軍旧宅


 乃木神社に集合することにしたので、少しの時間昔の遊び場だった乃木神社の左奧にある乃木さんの旧邸に久しぶりに寄ってみました。ちょうど天気が回復して明るい日差しが辺りを照らして気持ちの良い時間となりました。
 カメラをカラーからモノクロに変えて何枚か撮ることにしました。この写真は中国・旅順で日露の将軍が会見した水師営にあった棗の樹の孫の樹だそうです。そういえば、現地にも棗の樹があったとおもいます。
 
 この乃木さんの家と庭は大変きれいにされていて、手入れも行き届き、こうした説明板も常に新しくしてあって、これはよいことだと思いました。帰りに歩いた靑山一丁目に向かう歩道のさびた鉄の手すりなどを見て
改めて公共施設と人間やコミュニティの関係の難しさを感じました。財政が悪化している行政が担当する地域の整備がいよいよ整備が行き届かなくなり、町がさびれていくことになりそうです。

2011年2月4日金曜日

節分の豆まき


金王八幡神社の宮司のおばさんが元気に豆まきをやっています。「日本の季節のお祭りを祝うのはよいことです」と、このおばさん宮司(写真中央)になってから息を吹き返した神社です。われわれも季節季節でこの神社では何かイベントをやるだろうという思うようになり、行ってみようということになります。そのせいか、たくさんの人達が集まるようになりました。袋に入った豆を拾ってきて、家で「鬼はそと、福はうち」と下の階の人と一緒に撒きました。

2011年2月2日水曜日

かちどき橋資料館


”聖路加の時代”を書くための取材で「かちどき橋資料館」に行ってみたが、ひどく失望した。たしかに橋梁の専門家が見るのはいいだろう。なにしろ、開閉のからくりだけの展示で、肝心のその開閉があったときの情景やどのような船が通ったかすらわからない。しかも、そのような質問をしても係の女性もさることながら、館長とやらはこちらに背中を向けたままろくに返事もしない。橋は構造物だけを問題にするのではない、生活、文化を含んだ建築物なのである。豊かなイメージを育むはずの橋の展示がこれではどうしようもない。