2013年8月3日土曜日

軽井沢のあじさいと鬼ぐるみ


季節が違う軽井沢の植物です。鬼ぐるみは珍しいかも知れません。実が少なくて食べるのは大変です。

このところの絶不調で身近なものに目が行きます。息切れ、発熱、消化不良、たちくらみ、食欲不振、味がわからない、声がかすれるなどと全身に来ました。
友達のお医者さんは皮膚科なのですが、昨日、脈をとってもらったら早いということで、これは東京に戻ったら彼のクリニックの内科の
医者を世話してくれることになりました。

少し涼しくなったら東京に戻って診てもらいましょう。それまで持ちこたえられるかどうかわかりませんが、加齢による寿命となれば延命をはからずに天命を
待つことができれば幸いです。

これまで人生の岐路で大いに選択を誤ったので、これで寿命となっても問題はないのですが、件の友達の医者も「いざとなるとそううまくもいかなぞ」と脅かすのでそれが心配です。

取りあえず、長年付き合っている親切な中国の友達が送ってくれた漢方を飲んでみることにします。

2013年7月22日月曜日

避暑の新しい形



出来るだけ静かに暮らそうという考えでいますが、これがなかなか難しいのです。本当の避暑生活は祖母の時代だったのですが、その時はなんといってもお手伝いさんがいました。別荘の構造で吉武先生が最初に指摘されたのも、別荘建築には「女中部屋」というものが不可欠だったということです。

炊事洗濯、買い物をしなくていいという生活はいまわれわれが考えているよりずっと時間があり、それ以上に気分的に余裕がある生活だったような気がします。われわれは今なんだかんだといっても家事にかかわらなければなりませんし、連れ合いが家事をしていれば、なにか手伝わなければならないという恐怖感に絶えず苛まれることになります。

あの時代のお手伝いさんに対するわれわれの気持ちは2つの面から自由でした。まず、松田教授の社会学が教えるところの本質的考察であれば、階級社会での上下関係があり、お手伝いさんに気を使う必要はあるなせんでした。また、機能的考察でいけば、お手伝いさんの仕事が家事であり、われわれは家事をすることはむしろ彼女たちの領分を侵すことで、むしろ許されないことでした。

戦後になっても祖母にはお手伝いさんが死ぬまでいましたが、戦前と違って祖母もお手伝いさんに少し気をつかって手伝うようなこともずいぶんありました。それでも、われわれ孫にまで気を使わせることはありませんでした。

現在はいくらお金を出せたとしても、あの頃のような状況にはならないでしょう。新しい避暑のライフスタイルが必要ですが、ただ、都会の日常が移行するのでは何の文化も生まれてこないでしょう。テレワークのように新しい社会システムを考えなければなりません。

2013年7月15日月曜日

超長編を緑陰で


大学と会社で後輩が(後でわかった)信濃追分で古本屋「追分コロニー」を始めてもう4年はすぎたでしょうか。彼に軽井沢を舞台にした本を頼んでおいたところ、この春だったかに、佐々木基一の「停まれるときの合間に」という本を探してくれました。本文700ページを超す2段組の分厚い本で、そのうち読もうと取りあえず引き取って持って帰りました。

今回、酷暑の東京から軽井沢に戻って、本小屋を開けて、例によっていろいろな本に触っていたところ、この本が見つかりかりました。なにせ厚いので、読むのはまたの機会にしようと本をもとのボックスに戻そうとしたのですが、ボックスが縮んでしまってなかなか戻せません。そこで、じゃあ、思い切って開いてみて、読めそうだったら挑戦してみようと思いました。

すると、やはり浅間山麓の風景から話は入っていくので、なんとなく引き込まれて読み始めました。読む場所も本小屋の前のベンチにしてなんとかスタートしました。
果たして読み通せるか、もちろん精神力の弱い自分に自信はありません。

涼しい、そよ風も吹く、緑の中で読み終えなければ、申し訳ないという心境です。

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2013年7月9日火曜日

今年、2度目の北海道



先週末は北海道・北見でテレワーク学会があり、論文は出さなかったものの、コメントを出したりして参加、その後、小樽、札幌、経由で昨夕、8日〔月)夕刻に帰京。

昨日は札幌の友達に以前から頼んでいた、イサム・ノグチ最後の仕事、札幌郊外のモレ沼公園を見せて貰い、また、ホクレンがやっていて大評判の「くるるの杜」で
昼食をしました。

イサム・ノグチは死期を意識していたのか、この公園はエジプト王の墓、ピラミッドと天皇の墓、古墳の組み合わせで出来ていて広大な敷地が沼に囲まれているのです。
月曜日とはいいながら、家族連れが自転車を借りて走り回っていました。残念ながら北海道といっても昨日は暑すぎて、ゆっくり散策とはいきませんでした。

「くるるの杜」のレストランは2時過ぎに行ったのに食べられたのは3時で、ものすごい盛況です。北海道中の食材があらゆる料理になっているのです。バイキングスタイルですが、おいしいものがあふれていて、直ぐお腹いっぱいになってしまいました。

2013年6月24日月曜日

ヴォーリズ建築文化全国ネットワーク in 京都



22日の土曜日に京都でヴォーリズ建築文化全国ネットワークの全国大会をやりました。今年で7回目です。京都にもたくさんのヴォーリズ建築があります。この建物は京都復活教会の中です。

この教会は聖公会で外見はイギリスの田舎町でよく見かける四角いゴチック風の鐘楼があります。神父さんに頼んでわけもなく鐘を鳴らして貰いましたが、肝心の鐘そのものが見えず不思議でした。

その他ヴォーリズ建築で日本基督教団の京都御幸町教会、救世軍京都小隊と教会の建物が有り、それを見学してから、これもヴォーリズ建築の鴨川縁にある東華菜館で懇親会をやりました。

2013年6月9日日曜日

金王様の鳥居改修工事


なにやら夜中にものものしい工事がはじまり、大鳥居が!夜中の人通りがないときに撤去、昨日の昼間には礎石が見えました。

なにしろ、積極的な神社で、ハードの改良工事は絶え間なくつづいています。

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2013年6月3日月曜日

一休


日本ナショナルトラスト協会の総会があって大門に行きました。最近は貸し会議室でこのような会議が行われることが多く、行く場所が定まらないのが面倒です。

土曜日の夕方とあって、それ程人通りが多い感じはありませんでしたが、大門の交差点近くの飲み屋は満員で、店員がウエイティングの人たちから予約注文をとっているほどでした。ちょっとひっかけるには良い場所、良い時間です。

なんだか地下鉄の乗り換えでエスカレーターにばかり乗っていたような気分になって戻りました。

2013年6月2日日曜日

油屋プロジェクト


信濃追分の油屋旅館が廃業してから5年以上経ち、隣りに店をもっている古書店「追分コロニー」が音頭をとって油屋を活用して、画廊、カフェ、道具屋、中古レコード店などが入り、去年からスタート、今年の連休前から本格的スタートです。

昨日は初めてのNPOの理事会、総会があり、監査を務めているので朝から追分に出掛けました。去年、われわれが詩画展をやった画廊に席が設けられていて、珍しく形式ばった会議です。理事長になっている追分コロニーの主人も緊張気味です。

議事も順調に進みましたが、最後に地元の代表から、元から住んでいる住民にもっとわかりやすくして貰いたいとの苦言が出ました。理事のアーティスト達は、分かる人はどこからでも来る、分からない人に来て貰っても仕方がないという本年もあり、今後の方向性が考えどころでしょう。

2013年5月27日月曜日

智美術館のすごいキュレーター



虎ノ門にある智美術館の庭です。ホテルオークラのある山に登らなければならないので、虎ノ門から歩くのはとても無理です。自転車でフランスからイタリアに走っている友達のことを考えるとそんなことも言えませんが、このところの体力と気力ではとても真似は出来ません。

そこで、やっと確保したルートはメトロの南北線に乗って六本木一丁目駅で降りてそこから長い長いエスカレーターを乗り継いで、泉ガーデンの上に出て、スエーデン大使館の前からオークラを目指して,少し下ればいいという道です。

この美術館には友達の奧さんのすごいキュレーターがいて、彼女が出てくると、こちらの教養がとてもついていかれないので、チケットを頂いて行くのですが、受付で彼女を
呼んで貰うかどうかいつも悩みます。

呼んで貰って、彼女がいないとか、来客中だと、案外ほっとして、自分達だけで見て急いで帰ります。この日は篠田桃紅という作家の展覧会でしたが、幸いなことの彼女の作品が家にあるので、なんとか対応することが出来ました。こんなことは滅多にないのです。

昔、銀座に画廊をもっていた佐谷和彦さんはいい友達で、会えば日本の現代美術界の問題点をわいわい話し合う仲でしたが、彼も亡くなって伝説の人となってしまい、彼女に話すと佐谷さんと友達だったということだけで驚かれてしまいました。

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2013年5月21日火曜日

ヴォーリズ設計、武蔵豊岡教会


副都心線が西武線とつながったというので、今回、ヴォーリズ関連の展覧会があるという入間市に行くことにしました。入間市など聞いたこともないから勿論行ったこともないのでありますが、とにかく副都心線に乗れば黙っていてもこの入間市に着くということです。

ところが、路線図を見ると確かにつながったのですが、途中に線が別れているところもあり、普通から急行まで種類も様々で、先ず、澁谷で乗り間違えればとんでもないところにつれていかれてしまうのです。

西武線に入ると、アナウンスが、どこどこで急行待ちとか、どこどこへは次の電車が先に行くとか、そんなこと言われたってどうしようもありません。飯能行きの急行に乗ったのですが、これだともしかすると入間市は通過してしまうかも知れません。仕方なく、所沢で鈍行に乗り換えて大事をとることにしました。

入間市駅についてみると、今度はヴォーリズの教会と展覧会のあるデパートとはかなり離れているようです。痛風で痛む足ではとうてい歩けません。タクシーに乗って両方に行って貰うことにしました。

取りあえず、両方見て、主催している軽井沢ナショナルトラストの仲間に敬意を表して、もう13時近くなりましたが、例によってこのデパートから駅まではタクシーは通りません。日曜で昼食を食べるところもなく、足を引きずって歩いて駅に着いてみると、電車は行ったばかりです。仕方なく駅で待っていと、すべての電車は池袋行きで、これは
副都心線とはつながっていないのです。副都心線の池袋は別のところに有り、つながっているところは小竹向原駅なのです。結局,帰りは3つ乗り換えて澁谷に着いたら3時になっていました。

ヒカリエでお昼にしようとしたのですが、もちろん、日曜日、日本中の中年女性が押し寄せていて、食べるところがありません。仕方なく地下の食品売り場でサンドイッチを買ってうちに戻って食べることになりました。

おかげで、痛風は更に痛くなり、副都心線ー西武線の複雑さで便秘になり、立ち上がれなくなりました。



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2013年5月18日土曜日

スエーデンと日本の創造性教育


昨夕、スエーデン大使館で「スエーデン人と日本人の創造性について」と題する講演会があり、北海道東海大の川崎名誉教授とラルス・ヴァリエ駐日スエーデン大使、イケヤの人事部長とが話しをしました。冒頭の川崎教授のプレゼンで私の名前と「友達本位制」という言葉が紹介されて驚きましたが、彼はこの言葉が気に入ってくれてくれているらしいのです。


何故スエーデン人が創造性に富むかということで,スエーデン大使は「必要があって考える」と言われましたが、「必要は発明の母」ではないが、問題は自分にとって「何が必要か」かを考えることが案外問題なのかも知れません。例えば今では広まっているテレワークは私が「会社に行かないで済むには何が必要か」からスタートしました。私の中に強く会社に行きたくない、ならどうすれば良いかという強い思いがあったのです。

「自分は何が必要か」は言い換えれば「何がほしいか」、お金で買えないとすれば、それを得るにはどうすれば良いか。そこにアイディアが出てくる源があるのでしょう。

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2013年5月13日月曜日

日曜日の神宮外苑


銀杏の木の緑がすくすくと青空に向かっている並木道を通って絵画館前の広場に出ます。

久しぶりに自転車に乗って神宮外苑のテニスクラブに行きました。テニスをするつもりはありませんでしたが、折角の天気の良い日曜日、すこし暑いという感じでしたが、それでも外苑周辺を散歩するにはもってこいの日和です。自転車をクラブに預けてしばしの散策を楽しみました。車が通らないので中には道の端でお弁当を食べているグループもいました。もちろん、いつものように、ランニングの人、サイクリングの人、フリスビーを投げる人がいます。

第一球場は六大学で早稻田の応援部の学生でしょうか、新聞を配っていました。今日のカードは2試合目に早ー立戦があるようです。第二球場の方は4つのコーナーがすべて使われて大人から少年野球までやっていて声援が響いています。

自転車のところに戻って、昼食は青山一丁目のブックカフェー246でゆっくりと済ませました。

大阪駅北ヤード


大阪駅の南側は以前はJRの車庫など広大な土地が利用されていた。これを大阪市やURが再開発事業に取り組んでようやくこの4月にオープンにこぎ着けた。現在、市の都市計画局長になっている佐藤君のプロジェクトとして、いつも話を聞かされていたし、彼がこのためにURに出向しているときも、ここを訪ねて話をきいた。

10日に佐藤君に主としてこの写真にある真ん中のナッレジ広場を中心に案内してもらいました。特に市のコーナーであるナレッジキャピタルタワーにある、イノベーションハブで昼食をして、この場所の趣旨をききました。

この部分のコンセプトは志木サテライトオフィスで実験したもののうち、職住近接という部分を除いてサテライトオフィスの考え方のすべてが入っているといってよいとおもいます。

この模型のある場所から後ろを振り返ると大阪駅です。

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2013年5月5日日曜日

連休風景


軽井沢の連休は知りあいが集合して、どこの別荘にも友達が家族連れでやってきています。それがあって集まって食事をすることになります。今回も3晚は夕食会の集まり、その他にお昼を一緒にということもありました。お茶の時間にも誰ががやってきました。

連休も終わりに近づいた今日は午前中とランチは建築やら軽井沢町の長期計画などについて筑波大学の先生と現場検証やら打ち合わせ、午後、家に戻って屋根の掃除です。
体重が少し軽い奥さんに屋根に登って貰いました。

それでも、天気が良く毎日のように写真撮影と散歩は出来ています。人がたくさん来ている割にはうまい具合に人に会わずに歩けました。なにしろ、坂道を歩けば息切れがするし、脚が重くなり楽しく歩けるような若さがありません。犬があちこちで止まってくれるのが救いです。

隣の先生から近著を頂きました。対談ですが、なかなかきわどいタイトルで面白そうです。このところ憲法論議も活発になり様々な議論が出ていますが、これはよく考えているとか、社会、世界を良くわかっていると思われるものはありません。

議論に参加したい気もしますが、昔一緒に仕事をした人物が「そんなことはわかりきっている、ばかばかしいから俳句でもひねっているのさ」とせせら笑っていることを思うと、参戦する気を失ってしまいます。

2013年5月1日水曜日

究極のエコハウス、松田山荘


この4月27日から一晩泊まりで友達夫妻を彼等自慢の八ヶ岳山荘にお邪魔しました。八ヶ岳山麓といっても別荘地はあちこちにあり、彼等のところは住所で言うと山梨県北杜市須玉町下津金です。長坂インター、中央線、長坂駅から車で15分ほどでしょうか。

彼等の家は南側前面ガラス張りです。南西に甲斐駒の鳳凰三山が間近に見えます。北川に小窓が切ってあり、こちらからは八ヶ岳の主峰、赤岳が見えます。西側は谷になっているので、西側に作られたお風呂からはお湯につかりながら夕日が沈むのを眺めることができました。

OMソーラーという外気を循環させて季節の高温、低温を利用するシステムは吉村順三の弟子の奥村昭雄さんが開発したもので、これを主として使いながら、気象学者の友達が工夫を加えたもので、冬はほとんど燃料費ゼロだそうです。その他、生ゴミ、トイレはコンポストを利用、水は井戸で、将来的にはエネルギー消費ゼロ住宅を目指した改良を重ねるそうです。

ただ、私のように総てに虚弱体質な者としては、林の中に佇んでいる軽井沢の家の方が楽なような気がします。

2013年4月24日水曜日

春の大阪



今年3回目か、4回目かの大阪。いつもほとんどトンボ返りなのですが、東京となんとなく雰囲気が違って気分転換になります。道端で見るものも何となく違います。夕方に会議があって、会議の後食事をして、コーヒーを飲むともう夜中近くなります。次の日にはもう一件ぐらいは打ち合わせがあって、それで帰ります。

一昨夜の会も(財)日本ナショナルトラストとの問題を検討して、かなりの時間を取られ結局会場の関西学院大学梅田キャンパスの教室の使用時間一杯ぎりぎりまで話し合いがつづきました。社会的にも法的にも認知されている組織が不思議な対応をするもので、幹事会としても困惑しているのですが、世界の中の日本のように、この時期靖国神社に行く国会議員がいることを考えると、北朝鮮同様、井の中の蛙とは恐ろしいものです。

われわれの組織としても今後はヴォーリズ建築を保有している大学を組織化して連盟を作るなど新しい方向を探らなければならないでしょう。



2013年4月21日日曜日

インターのバザー



聖心インターナショナルスクールでのバザーです。お昼時間を目指して歩いて行きました。寒い日でマフラーをしっかりしてジャンパー姿です。ガーデンヒルズの横を降りて行くと広尾に出る前にインターがあります。にぎやかな音楽が聞こえてきます。

駐車場のところにも模擬店がたくさん出てきますが、ここではなく校舎に登っていってキャンパスをのぞくと、すごい人だかりです。インターですから、外国人だらけというより、日本人も外人も皆一緒になって楽しさがあふれてきます。

うちの奥さんの「幼い難民を考える会(CYR)」のコーナーが見つかりません。キャンパスでうろうろしていると中国人の友達が見つけてくれました。しばらくしたドイツの友達もやって来て、本館地下のお目当てのコーナーに行き、その後、みんなでお昼を立ち食いですませ、阿波踊りなどの踊りや音楽の余興などを楽しみ、おしゃべりをして解散です。

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2013年4月20日土曜日

今年1回目のヴィラデスト


今年になってから初めてヴィラデストに行きました。ワイナリーのレストランが10周年ということで何か記念品が貰えるとのことでした。しかし、10周年という割りには平日のこともあってまあまあでした。記念品というのは小さなキノコの形をしたブリオッシュのようなものでしたが、食事のときにおまけで出たハムはなかなかのものでした。

玉さんの奧さんと妹さんが東京に行くというので、それでは一緒に車で上田駅から乗ろうということになり、出発時間の夕方まで庭でゆっくりすることにしました。デッキでゆるりとしていると玉さんがバケツを持って向こうの方に歩いて行きます。写真に撮ってみると、なんだかミレーの「種を播く人」のような感じに写りました。後で聞くと、山羊のための水を運んでいたそうです。〔写真を拡大してご覧下さい)

今回はわれわれも軽井沢には戻らず、東京に戻りました。彼女達は恵比寿、われわれは澁谷でラッシュアワーの山手線も一緒に楽しくおしゃべりをしながら戻りました。

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2013年4月15日月曜日

軽井沢は近現代史の宝庫なのに何故


別荘地の路地にみつけた蕗の薹です。早速今晩の味噌汁に入れようととってきました。

風は冷たかったのですが、日向は暖かく気持ちのよい日になりました。午後一番に冬の間、雪や氷で役に立たないのでしまって置いた雨樋を夏向きにとりつけました。

作業をしていると車で軽井沢町の文化財委員を一緒にやっている町の有力者が通りかかって寄ってくれました。彼は軽井沢は近現代史の宝庫だといっている軽井沢西側の人格者で、今後の方針を検討しました。

13日〜今日までは、ほとんど「軽井沢のまちづくり」に関する相談や会談に明け暮れてゆっくりする暇もありませんでした。明日は玉さんのヴィラデストで昼を食べてから東京へ。

2013年4月9日火曜日

フィリピン独立の英雄と日本と私



日比谷公園にあるこの像のところへ又行きました。お墓参りのようなもので、私の曾祖父が建てた東京ホテルのあった場所です。前にも書いたと思いますが、このホテルに
1888年、明治21年にフィリピン独立の英雄、ホセ・リサール博士が投宿したのです。フィリピンの人たちにとってはホセ・リサールの短い人生の足跡は世界中どこでも大切に記念しています。それほど、ホセ・リサールはフィリピン人にとって大切な人なのです。

曾祖父が建てた「東京ホテル」は、その頃、お雇い外国人やこの前にあった鹿鳴館などにやってくる外国人専用のホテルでした。勿論、西洋式の設え、西洋式の料理、西洋式のサービスを提供していたようです。イメージとしては横浜のニューグランドホテルや軽井沢の万平ホテルなどのようだったと思います。

曾祖父は横浜から東京にやってきてホテルを始めたのですが、横浜でも明治の時代に郵便局を始めるなど新しい仕事に積極的に関わっていったようです。

2013年4月7日日曜日

建築事務所モデル小説



松家仁之著「火山のふもとで」は建築事務所が夏の間、設計コンペの準備のために建築家の山の家に行く。所員は今年採用されたばかりの新人の「僕」入れて、山に来ているのは男6人、女性2人だ。先ず、この場所は北軽井沢の学者村の中か近くがモデルになっている。建築家は「先生」と呼ばれる吉村順三がモデルだという。「僕」の恋人になるのは「先生」の姪になる女性で彼女の親の別荘は旧軽にある。そして、「先生」のコンペのライバルになるのは丹下健三がモデルになる。

「先生」の山の家はどちらかというとレイモンドの「夏の家」か「新スタジオ」がモデルのような気がする。物語はコンペのテーマである”国立現代図書館”設計の日々が展開される。所長と所員による設計の考え方のやりとりなどかなり建築事務所の情景はそれらしく書かれていて、おそらく建築家が読んでも違和感がないだろう。

そして、エピソードとなる野上弥生子がモデルと思われる女性や千ヶ滝西区か大日向の方面にかなりの多くの農場をもっている「先生」と同年配の女性などはそれなりにうまく書かれている。

ただ、結末は全く素人が玄人の物書きを真似る陳腐な手法で書かれていてどうしようもない。コンペが結局,丹下健三がモデルになる人物が一等になるのだが、これは予想されるので当然としても、他のまとめ方はもう少しましな方法があっただろう。小説として考えるなら、夏の家を閉めて終わりにするか、「僕」と先生の「姪」などとのエピソードをそれぞれうまくまとめるか,余韻を残しておくかどちらかにするべきだろう。

「先生」をライトの弟子に設定したことは無理があり、これはすなおにレイモンドの弟子にした方が良かっただろう。アスプルンドの扱いは「僕」にひきつけてきれいに処理されていてこれは良かったと思う。

2013年3月31日日曜日

春はそこまで


今日は冷たい雨の軽井沢です。家周辺の雪はすっかり消えて春の準備になっています。もう1ヶ月で連休で夏のシーズンに入りますが、江戸原ペンションの別館、音楽スタジオの周りを見ると冬のシーズンが終わったという感じがします。

雨の日曜日、こちらはぼーっとして、ちょっとテレビを見たりしているうちに昼が過ぎてしまいました。イースターサンデイで、うちの奥さんは軽井沢の町のカトリックき教会に行きました。町でお昼のサンドイッチを買ってきて貰って1時過ぎに遅いお昼です。教会には軽井沢在住の友達達が来ていたらしく、イースター・エッグを54年をこの教会で過ごしているカルロス神父から頂いてきました。

3時前にゴミ出しで外に出ましたが、寒い、寒い。それでも今週は近くの別荘が開いて、車がちらほら見られましたし、レストランの多い、ハルニレテラスなどは駐車場が満車になっていましたので、やはりシーズンの先駆けでしょうか。

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