2013年7月22日月曜日

避暑の新しい形



出来るだけ静かに暮らそうという考えでいますが、これがなかなか難しいのです。本当の避暑生活は祖母の時代だったのですが、その時はなんといってもお手伝いさんがいました。別荘の構造で吉武先生が最初に指摘されたのも、別荘建築には「女中部屋」というものが不可欠だったということです。

炊事洗濯、買い物をしなくていいという生活はいまわれわれが考えているよりずっと時間があり、それ以上に気分的に余裕がある生活だったような気がします。われわれは今なんだかんだといっても家事にかかわらなければなりませんし、連れ合いが家事をしていれば、なにか手伝わなければならないという恐怖感に絶えず苛まれることになります。

あの時代のお手伝いさんに対するわれわれの気持ちは2つの面から自由でした。まず、松田教授の社会学が教えるところの本質的考察であれば、階級社会での上下関係があり、お手伝いさんに気を使う必要はあるなせんでした。また、機能的考察でいけば、お手伝いさんの仕事が家事であり、われわれは家事をすることはむしろ彼女たちの領分を侵すことで、むしろ許されないことでした。

戦後になっても祖母にはお手伝いさんが死ぬまでいましたが、戦前と違って祖母もお手伝いさんに少し気をつかって手伝うようなこともずいぶんありました。それでも、われわれ孫にまで気を使わせることはありませんでした。

現在はいくらお金を出せたとしても、あの頃のような状況にはならないでしょう。新しい避暑のライフスタイルが必要ですが、ただ、都会の日常が移行するのでは何の文化も生まれてこないでしょう。テレワークのように新しい社会システムを考えなければなりません。

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