2007年7月31日火曜日

日本型民主主義


山道で70代と思われる一人歩きの婦人に会った。杖をついて、熊を警戒してか大きな音のする鈴を鳴らしながら歩いて行った。昭和以前の時代にこんな日本人を見かけることは滅多になかっただろう。日本社会が西欧型の民主主義を受容して、まがりなりにも社会を維持してきて、老人が一人で山道を歩くようになった。果たして彼女は何のために歩いているのだろう。多分、健康のためだろう。ゆっくり回りを見るわけでもなく、歌や絵をものにするためとも、蝶を追うのでもなく、ただ、ひたすらに歩いて行った。彼女は果たして幸福なのだろうか。西洋型民主主義は個人主義をベースにしている、そして、社会的にはその個人が連帯するコミュニティを前提としている。しかし、日本では、この3つのキーワードがひとつとしてない。「個人主義」「連帯」「コミュニティ」はない。そして、今や100年以上を経過して、どうやら日本人はそちらの方向には向かっていない。近世、あるいは近代日本社会にあった、この3つに代わるものも失っているので
「劣化する日本人」しか残らない状態だ。依然として、日本人は西洋型の民主主義を本当に自分のものとするのか、それとも、日本独自というより、西洋型より進んだ日本型民主主義を再構築していくかの選択を迫られている。ただし、もっとも注意すべきは、「美しい日本」だとか、「国家の品格」といった荒唐無稽な精神的なものではなく、むしろ全く精神性の無い日本の社会制度の先進性を再検討してみる必要性を言っているのである。

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