2007年1月26日金曜日

われわれにとってのイラク

この写真はウイーンから2時間ほどチェコの国境に向かった走ったところにある小さな村の墓地である。ここに、われわれが家族ぐるみで長い間付き合っていた友達とそのお母さんの墓がある。その友達のことについては、また書くときがあるだろう。ウイーン大学を出て、新しい心身統合の医療に取り組んで苦労していたのだが・・・・。
一昨日、イラクの友達と夕食を一緒にした。彼女は日本人の男性と結婚して日本に住んでいるのだが、彼女の母親は一人でバグダッドに暮らしている。娘であるわれわれの友達は母親を日本に呼び寄せようとしているのだが、明日をも知れぬバグダッドにとどまっている。それは、この激しい戦乱の中でお互いに助け合って、心から信頼し合って暮らしている人々を捨てていくことは決して出来ないからなのだ。その気持ちはイラクのコミュニティに生きてきた娘には痛いほどわかっているので、どうしようもない。その母親と一緒に暮らしていた弟はある日、どこかへ連れて行かれて殺されたという。われわれはその弟には会っていないが、その話をきいて、どう慰めて良いかわからない。また、家族の誰かが必ず殺されているようなバグダッドの人達は、その悲しみを自分の中に閉じこめておかなければならないのかも知れない。自分だけ泣くわけにもいかないほど、死は身近な日常なのだ。われわれは彼女を通じてバグダッドは外国の話しではない。しかし、何も出来ない。せめて彼女にわれわれが友達だということを忘れないでほしいと繰り返すしかない。(つづく)

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