2015年7月25日土曜日
軽井沢の変遷、鶴見俊輔の死
この前の道は固有林に面しています。この道は旧草津街道です。昔はこの場所から浅間山が美しい姿を見せていました。戦後の植林で落葉松の林になって浅間の姿は消えました。植生、気候も大いに変わって、涼しい草原を風が渡る「上信越高原・軽井沢」は様変わりしました。今は逆にこの林によってなんとか涼しさを保っているという状況です。今日も気温は31.6度まであがりました。
午後、散歩しようと思いましたが、近所を歩くのがやっとでした。軽井沢にも縁のあった鶴見俊輔が亡くなったので、これで憲法九条の会の発起人はまたも重要な人物を失ったのです。93才という大往生ではありますが、存在感だけでも重要な人物でありました。
たまたま憲法九条の会の事務局長の小森陽一さんに一昨日会ったばかりでした。鶴見俊輔の残したものをどう考えるか、これからのわれわれの課題です。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿