2008年4月6日日曜日

ダイライ・ラマ


中国のチベット問題はアメリカや西ヨーロッパの国々で人権問題とされ、中国では国内の治安を乱す問題とされている。勿論、遠いチベットで本当に何が起こったかは、この目で見ていないのだからわからない。ただ、マスコミ報道を聞いて勝手に判断しなければならない。オリンピックを控えて必死な中国にとって国内に争乱が起こるのは大変困ることであり、そこを狙われたわけである。ダライ・ラマが仮にこの時期を狙って騒動を起こす指示をしたか、指示までしなくてもそれに賛成したとすれば、彼を評価していた私としては辛い。ダライ・ラマはあくまで非暴力で、これはガンジーと同じ考えだと思っていた。彼は平和についてかなり人間の心理を研究し、暴力に走る人間の性行をどうすればいいか考えてきたと思う。ただ、仏教の僧侶が暴力を用いるというのは日本でも歴史的にあったことだから、僧侶が基本的に平和の心をもっているわけではない。ダライ・ラマがどのように考えていたのか、どのように人びとを指導していたのか。彼はガンジーに比べると何か軽い、明るく社交的で、アメリカや西ヨーロッパでもてているが、非暴力・平和主義を全面に出さなければならない。暴力で独立を勝ち取ることが出来るかも知れないが、中国を相手にどれほどの犠牲を人びとに強いるかわからない。この事件でも中国、チベット両サイドともボスの顔色をみる手下の幹部がボスが考えているよりも暴力を振るうということである。そして常に一般の人びとが巻き込まれて被害に遭うということである。
ボスが2人、リングに上がって雌雄を決するというのなら、ひとびとは見ていればすむが、ボスは最後まで直接対決しないのである。私も安保反対のデモで国会へ行ったことがあるが、あの時もボスは宣伝車かトラックかの上にのってメガホンで「行け、行け、突撃」などと扇動し、われわれは最前列で放水を浴び、機動隊の堅い靴に蹴り上げられたのである。

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