2013年7月22日月曜日

避暑の新しい形



出来るだけ静かに暮らそうという考えでいますが、これがなかなか難しいのです。本当の避暑生活は祖母の時代だったのですが、その時はなんといってもお手伝いさんがいました。別荘の構造で吉武先生が最初に指摘されたのも、別荘建築には「女中部屋」というものが不可欠だったということです。

炊事洗濯、買い物をしなくていいという生活はいまわれわれが考えているよりずっと時間があり、それ以上に気分的に余裕がある生活だったような気がします。われわれは今なんだかんだといっても家事にかかわらなければなりませんし、連れ合いが家事をしていれば、なにか手伝わなければならないという恐怖感に絶えず苛まれることになります。

あの時代のお手伝いさんに対するわれわれの気持ちは2つの面から自由でした。まず、松田教授の社会学が教えるところの本質的考察であれば、階級社会での上下関係があり、お手伝いさんに気を使う必要はあるなせんでした。また、機能的考察でいけば、お手伝いさんの仕事が家事であり、われわれは家事をすることはむしろ彼女たちの領分を侵すことで、むしろ許されないことでした。

戦後になっても祖母にはお手伝いさんが死ぬまでいましたが、戦前と違って祖母もお手伝いさんに少し気をつかって手伝うようなこともずいぶんありました。それでも、われわれ孫にまで気を使わせることはありませんでした。

現在はいくらお金を出せたとしても、あの頃のような状況にはならないでしょう。新しい避暑のライフスタイルが必要ですが、ただ、都会の日常が移行するのでは何の文化も生まれてこないでしょう。テレワークのように新しい社会システムを考えなければなりません。

2013年7月15日月曜日

超長編を緑陰で


大学と会社で後輩が(後でわかった)信濃追分で古本屋「追分コロニー」を始めてもう4年はすぎたでしょうか。彼に軽井沢を舞台にした本を頼んでおいたところ、この春だったかに、佐々木基一の「停まれるときの合間に」という本を探してくれました。本文700ページを超す2段組の分厚い本で、そのうち読もうと取りあえず引き取って持って帰りました。

今回、酷暑の東京から軽井沢に戻って、本小屋を開けて、例によっていろいろな本に触っていたところ、この本が見つかりかりました。なにせ厚いので、読むのはまたの機会にしようと本をもとのボックスに戻そうとしたのですが、ボックスが縮んでしまってなかなか戻せません。そこで、じゃあ、思い切って開いてみて、読めそうだったら挑戦してみようと思いました。

すると、やはり浅間山麓の風景から話は入っていくので、なんとなく引き込まれて読み始めました。読む場所も本小屋の前のベンチにしてなんとかスタートしました。
果たして読み通せるか、もちろん精神力の弱い自分に自信はありません。

涼しい、そよ風も吹く、緑の中で読み終えなければ、申し訳ないという心境です。

Twitter「つぶやく」ボタン

2013年7月9日火曜日

今年、2度目の北海道



先週末は北海道・北見でテレワーク学会があり、論文は出さなかったものの、コメントを出したりして参加、その後、小樽、札幌、経由で昨夕、8日〔月)夕刻に帰京。

昨日は札幌の友達に以前から頼んでいた、イサム・ノグチ最後の仕事、札幌郊外のモレ沼公園を見せて貰い、また、ホクレンがやっていて大評判の「くるるの杜」で
昼食をしました。

イサム・ノグチは死期を意識していたのか、この公園はエジプト王の墓、ピラミッドと天皇の墓、古墳の組み合わせで出来ていて広大な敷地が沼に囲まれているのです。
月曜日とはいいながら、家族連れが自転車を借りて走り回っていました。残念ながら北海道といっても昨日は暑すぎて、ゆっくり散策とはいきませんでした。

「くるるの杜」のレストランは2時過ぎに行ったのに食べられたのは3時で、ものすごい盛況です。北海道中の食材があらゆる料理になっているのです。バイキングスタイルですが、おいしいものがあふれていて、直ぐお腹いっぱいになってしまいました。