2008年2月4日月曜日

被害者意識が日本の発展を大幅に遅らせる


4人で本を読む集まりで、トーマス・フリードマンの「フラット化する社会」を読んできて議論することになっていました。今日がその日で、仲間の1人は前からこの原本、"The World is Flat"を読みかけていてたということですし、また、もう1人はこの本を読むために「日本歴史年表」を作ってきました。なかなか知的生産性が高いようです。もう一冊、読んでくる本として、「後藤新平」中公新書、これは私が出したものです。インターネット、検索エンジンの急速な進歩によって、世界が時間と空間を意識しなくて済むようになったということでフラット化ということが言えるのですですが、それが、どこまで、どのようにという議論はこれからになるのでしょう。やはり、彼のいうインドや中国の人口は圧倒的に大きいため、フラット化の対象はその国の何分の一に過ぎません。そして、フラット化の恩恵も被害も受けない部分が次第に少なくなるまでに10年位でしょうか。その中で日本はどうなるのか、いまやフラット化を妨げる要因が他国に比べて多くなる気配が濃厚です。中国餃子事件もそうですが、北朝鮮拉致問題も同様に、国民全体が被害者になり、それを防ぐためにありとあらゆる防衛策をとり、そのために自分たちの生活を大幅に制限されるのです。もともと、資源のない国で外国と平和の中で貿易で生きているのに、そのリスクを考慮しないなど国民自身がその責任を問われるべきなのです。首相はじめ政治家はマスコミに扇動される世論が怖くて国民にリスクを覚悟してほしいとは言えないのです。自給率を上げて安全を高めれば、高い食費を払うのは当然なのです。エネルギーにしても、資源のない国で遠くからエネルギーを買ってこなければならないのですから、車に乗る人は他の国より高い燃料費を払って当然ですし、最悪の場合、車に乗るのを我慢しなければならないのです。日本で安全に暮らそうと思うなら、理想的には3千万、わるくても7千万の人口しか養えないでしょう。現在がたまたま異常なほど好条件であるだけなのです。

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