2011年5月31日火曜日

木下杢太郎記念館


台風2号 雨風に弱い伊東線でどうなるかとおもいましたが、午前10時東京発の踊り子号は無事に伊東に到着、それでも土砂降りの中を駅から歩いて木下杢太郎記念館へ

今回は杢太郎の兄、太田圓三の特別展ということでしたが、思ったよりも淋しい展示で、結局、杢太郎の圧倒的な展示品の片隅に辛うじて、写真や図が少しならんでいました。圓三の特別展は数年前にやったとかで、その時のペーパーが貰えましたが、その時は今回よりは充実しているようでした。というわけで圓三については、ヨーロッパ滞在中に夫人が出した手紙程度でこれまで調べたもの以上のものは何もありませんでした。

また、改めて杢太郎の仕事の中で本の装丁が目をひきました。逆に東北大学時代の展示が弱いという点にも気づきました。

杢太郎をあれだけ尊敬していた加藤周一について何も展示がないのは問題だと館員には言っておきました。

2011年5月26日木曜日

地震後の職場


 震災の日にはこのような積み上げ状態ではなかったので、本がなだれ落ちることはなかったのですが、あの日から気分が変わって片付ける気がしないのです。参考に読んでいる本、書き物で参照している本がどんどん積み重なっていき、どうしようもありません。
 
 毎朝、出来るだけ早く起きてこのソファーで本や資料を読んで要点をEVERNOTEに書き込み、これが7時までの朝の日課です。

 これが私のホームオフィスの一つのコーナーで、原稿そのものはデスクトップのPCに向かって書いていることが多いのです。

2011年5月21日土曜日

今、社会と変えるチャンス


SAS東京総会、そうあの頃の職域を越え、専門を越えて集まった若者は42年目の今年、この大災害を契機にあの頃の目標だった、社会を変革してより多様で自由な生き方が出来るようにしようという思いが蘇って、大いに盛り上がり、このチャンスを生かそうと。

そう、政治家にも政府にも頼らない自分たちの社会を作ろうと。

全国大会を東北でやろう、そして、入っていけないところに行って現場を見てみよう。雪氷研究所という、危険と隣り合わせの仕事をしている研究者が全国大会委員長を引き受けました。

2011年5月6日金曜日

引き続き超多忙につき



 元日本皮膚科学会会長夫妻のあと、元日本工学会の会長夫妻の一泊と次はレイモンドの弟子の建築家の最新作を見て、アップル銀座店の幹部になった友達とiPad2の件、今朝はエコミュージアムを中国の都市計画に使おうという人の来訪と休みなしです。

 このレイモンド風の別荘はさすがレイモンド直系の最後のお弟子さんならではの作品で、彼の軽井沢11作目の自信作です。施主が若く、建築家が自由に作れたという、そここに材料と建築上、デザイン上の工夫がされた素晴らしい作品に仕上がっています。

2011年5月4日水曜日

”株式会社”ボランティア不動産


 連休の軽井沢、この夏を軽井沢に疎開しようという東京の人たちが別荘を借りる、別荘を買うという希望者が殺到、われわれの友達の中にもそのような人たちがいて、連日、東京から見に来ます。毎日その付き合いがあって、1日もゆっくり出来ません。車のないわれわれ交通弱者が渋滞の中を動くのは容易なことではありません。

 その中でこの写真のお店は朝6時半から午後2時までの営業で、大繁盛のお店です。アメリカの国立公園の中にあるレストランと同じメニューとか、珍しく美味しく量があるのですごい人気のようです。ずいぶん不便なところで車がなければ行けません。でも、朝6時前に並んでも入れないというので、友達がタイミングをはかって連れて行ってくれました。

 というわけで、原稿の一行も書けないパニックです。疲れが顔面に来ています。