2010年6月30日水曜日

スタミナ納豆


先日、納豆+チーズ+ラー油の組み合わせを作って見ましたが、昨晩は納豆+挽肉+タバスコなどなどを作って見ました。しかし、どうも甘みが出てしまい、夏には向かないですね。結局、あつあつご飯に乗せて、お醤油を掛けて食べました。まあ、おいしかったのですが、納豆+青ネギ+醤油で夏の伝統的な夕飯でよいようです。ちょっとした手間で料理するのはこのごろのはやりかも知れませんが、手間を掛けるなら挽肉はゆっくり、きれいなオムレツを作りたくなりました。台所で一仕事してシャワーを浴びてビールか白ワインなど、それは夢のまた夢、余裕がありません。

2010年6月27日日曜日

日本テレワーク学会研究大会


学会の研究発表の3つの会場のうちわれわれの発表が行われる部屋の準備風景です。畳の部屋に急遽テーブルと椅子を入れた宴会場です。
今年の学会は福島県いわきにあるハワイアンセンターが会場でした。いわきはテレワークセンターが早くから実績を積んできたところです。東京の上野からでも3時間ほどかかりますし、用事があって日帰りの身には辛いところです。会場に当てられたところは観光客でごった返していて、学会を開催するには如何にも場違いの感じでしたが、2日ゆっくり過ごすメンバーは良い週末になったのかも知れません。学会員にはさすがにiPadの利用者がいて、尚美大学の発表ではiPad+プロジェクターのプレゼンが行われていました。これは最近の超軽量のプロジェクターとの組み合わせでいよいよ使い手がよくなりそうです。しかし、この会場そのものは
Wi-Fiも入らず、通信環境は最低でした。

2010年6月25日金曜日

京都駅ビル



京都駅ビルのてっぺんに上がって東側から西側まで空中回廊を歩きました。実は京都駅のホテルグランビアで待ち合わせて、そのまま外に出て上にエスカレーターで登っていくと西側のいろいろな店が各階にあるエスカレーターと違って何も見当たりません。でも、せっかくだから一番上まで行きましょうといわれて行って見ると、うまい具合にカフェがありました。13時半で未だ食事をしていなかったので食べようとすると、軽いお昼はもう終わりましたとのことでケーキセットにしました。しかし、1時間も話すとお腹が空いて、西側のレストラン街で何か食べようということになり、屋上を東から西に渡ることにしました。まさに空中回廊です。天気が良くてすごい眺めです。それにしても、夕方からはホテルグランビアでヴォーリズネットワークの企画委員会で、9時近い新幹線で東京にもどるという京都の町に一歩もでない情けない一日でした。

2010年6月21日月曜日

取材


軽井沢を横切っている新幹線南側は農業地帯であることを良く知っている町民以外の人は少ないかも知れません。次号の対象地域はそうした過去に農業地帯だったところで、現在は文化、スポーツの中心地区になっている塩沢に取材に行きました。カメラマンが撮っているのは、この地域にも伝わる村内の家をワラ鉄砲でたたいてまわるものです。詳しくはKURAの8月号をご覧下さい。7月号は20日に発売されました。なかなか面白い話題だと思います。

2010年6月20日日曜日

増税ではなく、法人税減税が先


この鳥は何でしょう。お昼前に江戸原ペンションに財政学の先生を訪ねました。経済界では(特に金融界)では有名な慶応の加藤ゼミ出身者が集まって研究会を始めたとのことです。そうそうたるメンバーのようです。9月末か10月のはじめに軽井沢でその集まりをやるので、そのときに出てこいという話です。それから5時間、昼ご飯も抜きで話し続けそうな先生の様子をのぞいていた江戸原ペンションのご主人が心配して極上のつけ麺とおにぎり+卵焼きを差し入れてくれなんとか4時までもちました。日本の財政は増税する必要はない、アメリカ国債の利息、国内銀行への貸し付けの金利など財務省が公表しない数字がいろいろある。確かに専門家筋はそれがわかっているから円がこれだけ買われるわけです。これで増税などしたら、中小企業から低所得者層へのダメージが大きくなるというのです。話は経済学の総復習に入りました、アダム・スミス、リカード、ケインズ、シュンペーター、マーシャルそしてミュルダール。先生の7月の集まりは真鶴の仲間の別荘でフリードマンをやるそうです。

2010年6月17日木曜日

都市型保健所発祥の地


引き続き聖路加、築地明石町周辺の調査を続けています。「タイムドーム明石」という施設の
入っているビルは中央区保健所です。ここはいわば東京の保健所の始まりのところです。昭和10年(1935)東京市特別衛生地区保健館としてスタート、12年(1937)ロックフェラー寄金による庁舎竣工、19年(1944)東京都立中央保健所という経歴です。このロックフェラー基金からの寄付というところが、日本の公衆衛生普及のための活動があった証拠です。もちろん聖路加病院との関係もあります。

2010年6月12日土曜日

お弁当は深川飯


本場、深川図書館の帰りに深川飯をおいしく食べたのに味をしめて、軽井沢行きのお昼のために
東京駅で深川飯弁当を買いました。あさりが良くやや甘く煮てあって、本場のものに劣らぬうまさでした。暖かいベランダに出てゆっくり食べました。軽井沢も日向は暑く紫外線も強かったのですが、夕方になるとセーターが必要で、ヒーターも少し使いました。しばらく留守にすると室内の方が温度が低い状態です。

2010年6月11日金曜日

方向音痴


ついていない日というのはこういうものでしょうか。朝、目黒駅で山手線に一歩で乗り遅れ、次に来た電車は事故の影響で5分も時間調整で停車、いつもは田町から行く慶応大学に、地下鉄の三田からも行けるよなと、もっとも近いはずのNEC本社前の口から出て、そこに出ている案内図をしっかり見て、全く反対方向に歩いて気がついてみると芝の増上寺裏、もどろうとして第一京浜国道をまた逆に品川駅の方向に歩いて結局のところまたも三田駅に時間にして1時間近くも歩き、シャツはびっしょり、冷房の地下鉄でくしゃみの連続。慶応は午後に出直して田町から東門へ。仕事が終わって帰りは表参道に自転車が置いてあるので、田町に出ないで行けるかどうか。東門の前にバス停あり。行き先を見る暇もなくバスが滑り込んできて歩くよりはましと飛び乗って、なんとか虎ノ門に出た。虎ノ門から地下鉄銀座線で表参道に。今日は9時間外で動き回っていたことになり、嬉しいシャワー。

2010年6月7日月曜日

国際無線Wi-HiルーターFonが


これはiPadを持ち運んでいる自分の願望が岡本太郎の太陽につい乗り移ったというものです。
子供の城の前です。この隣は国連大学で、そこら中にFonがあっても良いはずだ思うからです。
おそらく、写真の次のステップは自分の願望を表現するとすればさしずめこれではないでしょうか。しかし、Fonを知らなければしゃれにも冗談にもなりません。夕方の靑山通りのこのあたりは
それなりに美しさに満ちていることもわかりました。

2010年6月6日日曜日

写真とは



ホンマタカシ「たのしい写真」よい子のための写真教室、平凡社、大変な本で子供のためのものとは思えません。売るためにこんなタイトルにしたのでしょうか。写真の歴史のところを読んだだけで興奮しました。「決定的瞬間」→ニューカラー→ポストモダン、写真家の事務局長はとっくに読んで越えているでしょうが、そこで、コラージュをやってみました。頭の中には詩人から言われた写真が何を表現するか、いつも心に引っ掛かっています。漫然と写真を撮り、漫然と日記の代わりに使うのではいつまでたっても脱皮出来ません。いろいろやってみなければなりません。  

2010年6月5日土曜日

サントリーホール


新日フィルの定期演奏会、夏前のひととき。開演前にアンデルセンでコーヒーとちょっと菓子パンをつまんでいると、前には新入社員のガイダンスか、幾つかのテーブルで和やかな話合いです。左側の噴水の勢いが良くなって6時半の開場です。フランスの指揮者とイスラエルの歌手とめったにないコミカルでエネルギッシュなパーフォーマンスでした。特にハイドンの2つの交響曲がこれほど面白く演奏されたのはかってないことでした。一緒に聞いていた某有名ピアニストも「ハイドンって奥が深いわねえ」と改めて感嘆の声をあげていました。

2010年6月2日水曜日

スカイ・ツリーに接近


今朝、錦糸町に取材に行くと事務局長に断りに行くと、そこはスカイ・ツリーの隣の駅だから間近に見える筈だから写真を撮っていらっしゃい、ブログ種になりますよと言われました。そう言えば彼もブログにあげていましたね。確かに取材先の法恩寺に向かうところで良く見えました。
しかし、下町は電線が縦横に走っていてきれいには撮れないのですが、今日は著者の私が現場にいるところを記録するということで、カメラは助手に任せて撮って貰いました。私は口カメ「そこで撮ったら」とか「あ、それを入れて撮って」など言ったのでどうでしょうか。

2010年6月1日火曜日

軽井沢、西武の栄枯盛衰


ここは戦前は音楽堂、戦後は西武百貨店軽井沢店、そして西武ショッピングセンターとして一時期ははやっていたところです。今はさび付いた建物が残っているだけです。前の広場を現在は隆盛な星野リゾートが駐車場に使っています。平家物語ではないですが、経済の限界に位置しているリゾートではどこでも勝者必衰がまざまざと見られます。今回のKURAの取材では、軽井沢グリーンホテル、観翠楼、軽井沢スケートセンターと廃墟ばかりでカメラマンもどうしたらいいか悩んでいました。宗教遺産はいいのですが産業遺産は辛いものがあります。