2010年11月11日木曜日
軽井沢高原の日々(9)
終戦までの日々を綴った第1部の最後に、この軽井沢、千ヶ滝の別荘のいきさつを書いておかなければならない。これはもちろん私は直接知らない話で、ほとんど母から聞いた話である。それは大正の終わりか昭和の初めで、西武の創始、堤康次郎がこの地を購入して別荘地販売を始めてすぐの話である。堤康次郎の兄貴分でもあった永井柳太郎からすべてがスタートする。彼は大隈重信に認められオックスフォードで学んで早稲田大学の教授になり、その後、逓信大臣などを勤めるのだが、彼自身も日本の女性の参政権の問題に取り組んだが、彼の夫人の次代さんは女性の地位向上のために活動した女性だった。私の祖母は次代さんの女子学院時代の同級生で活動に協力していた。その縁で誘われて堤康次郎が始めた別荘を購入したものと思われる。私の記憶では活動家の女性の集まりに祖母に連れられて何度か行ったが、それが戦前か戦後かもはっきりしない。ある日の午後、こうした集まりに行っている時に近くの家が火事になったことがあった。しかし、その席の誰もが動こうともせずに話し続けていた。わたしもただその家の茅葺きの屋根が焼け落ちるのをぼーっと見ていただけだった。永井さんの家はうちから徒歩で30分程登ったグリーンホテルという、やはり西武が建てたホテルで加藤周一の小説「ある晴れた日に」の舞台にもなったホテルのそばだった。祖母や母に連れられて行ったことはあるが、次代さんや祖母が亡くなった後は付き合いが少なくなっていた。永井柳太郎、次代さんの息子が永井道雄だが、娘さんの息子が、つまり永井柳太郎、次代の孫,永井道雄の甥が一時衆議院議員ものなった本職は農学博士の鮫島宗明であり、彼と私は別の縁で友達になって三代にわたる付き合いになった。
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