2010年9月22日水曜日

高原の日々(4)終戦まで


とにかく、ここに来ると空襲の恐怖はなくなり、皆ほっとしていた。東京では灯火管制があったが、千ヶ滝では部屋の電灯の傘に黒い布をかけることもなく、サイレンの音がすることもなく、夜はまったくシーンとしていた。今、思っても夜のあれほどの静けさは二度とないだろう。あまり明るくない裸電球の下で寝る前に祖母も母も私も本を読んだ。そのページをめくる音だけが、その静けさを破るのだった。何年か後には蛾の羽音がしたり、虫の音が耳につくようになったが、あの時には全く音がしなかった。そのときに読んだ本のタイトルを思い出せないが、世界の名作だったことは間違いない。本が好きになったのはその時からである。乳飲み子だった弟は隣の部屋の籐のベッドに寝かされていたが、ぐずることもなくいつも静かに寝ていて皆から静かな赤ん坊ですねと言われていた。ただ、一度だけそれこそ火のつくように泣き出したことがあった。皆、驚いてベッドの部屋に駆け寄ったところ、弟は血まみれになって泣いていた。なんと、ネズミが手の指をかじったのだった。多分、私も驚いて泣いただろうと思う。それから何が起こったのかは全くわからない。医者など近くにいるわけもなく、戦争中の田舎で病院に行くことが出来るわけもなく、多分、看護婦の心得があった母が消毒をし、血を止めてなんとか急場をしのいだのだろう。ネズミが媒介する病気は潜伏期間が長いものがあるで、その時は非常に心配したらしい。それを除けば皆焼け出された身の上で、皆がなにかと顔をつき合わせて話をしていたのを覚えている。雰囲気は人が多かったこともあって親密なものであったようだ。本当は毎日の食事をどう確保するか大変だったのだろうが、子供の私はおだやかに過ごしあの終戦の日を迎えた。

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