2011年3月26日土曜日

評議委員会


 赤羽駅前です。午後5時30分、ここで迎えの車を待ちました。3月も終わりというのに寒い夕方です。友達に頼まれてある財団の評議員になりました。
 赤羽に行くのに埼京線に乗りました。池袋より先のことになるとよくわかりません。赤羽駅で南口に降りてしまいました。言われていたのは北口でした。またもや東西南北がわからなくなり、30分もガードに沿って歩いたり、ガードをくぐったり、どうしてこう方向音痴なのか自分で自分が嫌になります。お陰で赤羽駅が少し分かりました。しかし、次回の会議まで覚えているかどうか不安です。
 

2011年3月21日月曜日

メディア・センター


 西町インターナショナル・スクールにあるメディア・センターです。小学生、中学生にIT教育をする場所として、父兄の寄付によって建てられた3階、地下1階の建物で、プロジェクターとスクリーンが各階2組ずつ、パソコンはMacが数台置かれています。そして、主として英語の図書がこれも父兄の寄付で本棚にびっしりはいっています。

 私のお目当てはこの建物の隣に接して建っているヴォーリズ建築の「松方ハウス」で、そちらを校長先生のご好意で一部屋ずつ、丁寧に見せて頂いたあと、こちらもついでに見せて頂いたのです。いずれの建物も今回の地震の影響はありませんでした。

2011年3月18日金曜日

江戸の守り神 ネコの玉ちゃん




 このような状態では拝みたくなるものがほしい気持ちになります。一昨日新宿に出た時に住友ビルの前にあって、都庁を向いているネコの像を改めて見つめました。太田道灌を道案内をして命を助けたという玉ちゃんです。

 この日も住友ビルの47階にいるとかなりの余震があり、個室で話をしていたわれわれを心配して従業員が飛んできました。11日このビルにいた人達はエレベーターが停止したので大変だったと言っていました。
 高僧ビルも横揺れが長く続くと隣同士のビルの揺れ方が次第に同方向でなくなり、ビルとビルが上の階でぶっつかる恐れがあるそうです。これも考えなければならない課題になりそうです。

2011年3月12日土曜日

地震の翌日



今日も余震が続いています。国連大学前の国連旗が半旗になっていますした。国連総長はさすがにお隣の国の人らしく、日本語でお見舞いを述べていましたが、放送はBBCで日本の放送には
なかなか現れませんでした。そして、スーパーではレトルトのカレーなどは売り切れ、インスタントラーメンも売り切れ、玉子などは入荷せず。今日は買い込みの人が大勢。もう少し買い込んでおけばよかったかと思っています。

節電、節水が呼び掛けられていますので、何よりよいのは早寝早起きですね。

大地震


2011年3月11日午後2時46分の北陸・東北大地震発生。事務所に行ってみるとバインダーやら書類や本が散乱、事務局長の机の引き出しが出てしまっていました。まあ、それでも大したことはありませんでした。それにしてもタイミングよく、午後に外の仕事がなく、出ていなかったのが幸いでした。もっとも本に囲まれている場所はひどいもので、本が宙を飛ぶのを見ました。直にあたれば本も凶器になるわけです。張飛の像の刀が抜けて飛んでいました。これも危ないですね。しかし、自然の力には人間は全く無力です。自然の災害について研究することは最も必要な仕事かもしれません。

2011年3月9日水曜日

春・冬・春・冬



軽井沢は三寒四温というか、寒寒で、零下12度から〜15度になりますが、雪が降る方がやや暖かいのです。この週末にアメリカに在住していて、近くの千ヶ滝西区に別荘のある友達がやってきて、江戸原ペンションに泊まって3年ほど使っていない別荘をチェックしました。幸い、それほど汚くなっていることもなく、何かの鳥か虫の巣のようなものが作られていましたが中はもぬけの殻でした。かなり大きな別荘なので、手を入れるのも大がかりになる可能性もあるようです。丘の中腹という感じで見晴らしもよく、春の信州を体中に感じました。

軽井沢ナショナルトラストの理事会もありました。副会長兼事務局長が町長になったので、今後は町と協力しながら環境改善に努力することになります。