2008年9月14日日曜日
最早、組織とは言えない単なる集団の国、日本
日本の社会は集団や組織でしか動かない、個人は個人として存在し得ないという。個人の自立した社会は存在し得ないのではないかと言う学者もいる。言い方は遠慮がちである。本当は個人になりたくない、さびいしい、こわい、というだけのことである。猿の生態を観察研究している学者ならその理由がわかるのかもしれない。ある孤島に猿が集団で暮らしている、集団だから外敵から身を守ることも出来る。猿より進化した類人猿の研究によると個としての彼らは助け合う能力は備えていないらしいので、猿はもちろん、群れていても個として助け合うのではなく、「集団」であることが外敵から守られるだけである。これまで、日本人の集団で協力し合う、つまり「集団」から「組織」としての強みが強調されてきたが、現在、社会で問題にされている事象を見ると、むしろ、「組織」から「集団」にもどる退行現象が見られる。つまり、自分の集団を守る、儲からなければ潰れてしまうから、どれほど悪いことでもやる、これは最早「組織」とは言えない。
2008年8月11日月曜日
戦後の社会は理想的?
今年も、あと4日で終戦記念日を迎えます。NHKのハイビジョンなどで戦争体験が語られます。私自身はものごころついたのが戦争の後ですから、戦争そのものの体験はほとんど語れません。しかし、戦後の復興期の記憶はかなりあります。多分この昭和20年(1945)の8月15日から昭和35年(1960)の間は、経済的には日本の歴史の中でも最も苦しい期間でしたが、社会的には最も優れた時代だったような気がしています。つまり、日本人社会に自由と自立と責任があった期間でした。たしかに、治安も悪く、社会が混乱しているようにみえましたが、皆、自分の生活を立て直そうと必死でしたし、良いことも悪いことも自分の責任でしかやりようがなかったのです。政府にいろいろ要求をしてはいましたが、だれも政府にそんなに力があるとも思っていませんでしたから、今のようにやたらに政府や行政を頼ったり、文句をいったり、訴えたりすることはありませんでした。そんな暇があったら、今日のご飯の事を考えることが先でした。親も子供の面倒さえろくろく見ることも出来ませんでした。子供も早くから自分で自分を守ることを覚えました。子供ですら良いことも悪いことも自分に責任があると思っていましたから、悪いことをすればひどく叱られ、殴られることも仕方がないと思っていました。親に言いつけること自体、友達からばかにされるもとでした。自分で始末のできない弱虫な奴ということです。池の柵がなくて落ちておぼれたらそれはその子の責任で、親のせいでもなければ、いわんや行政の責任など全く考えられませんでした。個人があり、地域には制度的なものがなくても実態として自治があったのです。皆、ある程度は助け合わなければ生きていけなかったからです。戦争で親を亡くした子供達がたくさんいて、親がなくてもなんとか頑張って生きていたのです。親がかわいがらなければ子供が育たない、親の愛情がなければ精神的に不安定な子ができるなど、まったくの俗説に過ぎません、社会が人間を育てるのであって、ある意味では戦後復興期のような健全な社会が正常な人間を育てるのです。
2008年7月16日水曜日
都市の川
もともと都市の多くは川を基本に作られている。パリのセーヌ、ロンドンのテムズはその代表例であろう。東京の場合は大川と呼ばれた隅田川で、大阪が淀川となっている。都市の住人はこの川の近くに住み、この川を生活の友としてきた。都市住民の経済から文化まで川と結びついてきた。しかし、東京はどんどん広がり、隅田川からの距離は広がる一方である。そして、近くを流れる小さな川がささやかに都会人との出会いを待っている。この目黒川はその代表であろう。特に桜の時期には両岸に満開になった桜を多くの都会人が一生懸命に楽しんでいる。人々の顔にはこの桜の情景を必死で見ておこうという表情が見て取れる。川が都市にとってどのような役割を果たしているか検証がされているのだろうか。川が交通経済的な意味をもっていた時代には考える必要がなかった川の別の役割を認識しておく必要があった。人は川によって自分や建物の位置をはっきりさせることができる。景観は川によって決定される。そして、人は川の水によって癒される、川沿いを歩くことが気持ちがいい。川の流れを窓から眺められる部屋が喜ばれる。川沿いに家が建ち、川沿いにレストランがある。都市経済の発展過程で多くの川が埋め立てられたり、蓋をされ、道路にされた。そのために、どのような被害が都市住民に及んだかを研究したものがあるだろうか。ドイツではライン川が時々氾濫するのに堤防を作ろうとしない。日本と川の流れの速度が違うという人が多いが、それより、ライン川と人間の間に人工物を入れたくないドイツ人の自然感がある。私はスイスのバーゼルやドイツのザンクト・ゴア・ハウゼンの町で
ライン川に沿って何度も歩いて、ライン川が心を自由な気持ちにさせることを実感した。ライン川の場合は
そこを行き来する船の音も心に響く。
2008年6月22日日曜日
文化への無関心
日本人の政治家、実業家が文化に関心がないことはつとに知られている。もっとも、政治家ではなく、政治屋で、実業家ではなく、サラリーマンがたまたま社長になっているだけで一家をなす人物になっていないせいかもしれない。その理由についてはだれも詳しく調べたわけでもなく、研究されてもいないので、よくわからない。金持ちになった人から3代目ぐらいになると、文化人になってお金がなくなってしまうように思える。つまり、お金に心配がなくなってから文化に関心を持ち、文化に関心をもつとお金に関心がなくなってしまうという日本人の体力的な問題なのだろうか。昔の関西の旦那はもう少し資金力があったのか、文化に関心があるといっても自分が文化人になるよりは文化を育てて楽しむという意識だったのだろうか。
2008年5月18日日曜日
日本人を扇動する政治家
おそらく首相になりたい、そのためには何でもするという権力への野望をもつ政治家が何人かいる。勿論、その最たるものは小泉前首相だったし、そのために政治、外交、経済をがたがたにしてしまった。福田首相はそれを修復するのにやっとで、国民の人気はほとんどない。今、首相になりたい人は再軍備、核武装、親米、嫌中国を叫べば先ず確実に国民に支持される。政治家は国民を扇動して権力をつかもうとしている。日本のような極東の片隅ではヨーロッパの諸国のような国際感覚がもちようがないから、隣国を含めて日本を見る目を意識することがない。国民も同じである。他の国の興隆にアイデンティティを失いつつある、自信のなくなった日本人を「富国強兵」で釣り上げようという魂胆である。権力しか頭にない、教養がない、知識の乏しい、政治家の多くがこの国を滅ぼそうとしている。わずかに日本の営々と築いてきた歴史がなんとかわれわれの毎日を支えている。この状況を変えるために、悲惨な目にあって後悔する前に何か出来るであろうか。なんとかシュミレーションを国民に見せられないだろうか。
2008年4月13日日曜日
チベット
胡錦涛主席は国内問題だと言いました。国が分裂することは何より困ることだということです。日本でもし沖縄の人たちが独立を求めて暴動を起こしたらどうでしょう。日本政府はどう対処するでしょうか。そんなことはありえないと思っているか、思いたいのか。沖縄の人たちは基地を抱え、これはという産業もなく、いたしかたなく日本人になっているのかも知れません。沖縄の人たちにとって幸せな生活とは何なのか。チベットの人たちにとって幸せとは何なのか。独立すれば幸せになるのか。自分たちの文化を守り、自分たちの伝統にしたがった生活をして、しかし、経済的に貧しいと思うことがあればこれは矛盾です。漢人の生活を羨む、嫉妬するのならこれは矛盾です。経済的に貧しくてもいい、幸せは違うところにあるとすれば、チベット人はそのように宣言しなければなりません。もし、チベット人が近代的な経済発展を望むのであれば、独立の前に経済力とつけなければならないのです。グローバル化がどのような意味をもつのか、人権と矛盾することがあるのを知らなければなりません。
2008年4月6日日曜日
ダイライ・ラマ
中国のチベット問題はアメリカや西ヨーロッパの国々で人権問題とされ、中国では国内の治安を乱す問題とされている。勿論、遠いチベットで本当に何が起こったかは、この目で見ていないのだからわからない。ただ、マスコミ報道を聞いて勝手に判断しなければならない。オリンピックを控えて必死な中国にとって国内に争乱が起こるのは大変困ることであり、そこを狙われたわけである。ダライ・ラマが仮にこの時期を狙って騒動を起こす指示をしたか、指示までしなくてもそれに賛成したとすれば、彼を評価していた私としては辛い。ダライ・ラマはあくまで非暴力で、これはガンジーと同じ考えだと思っていた。彼は平和についてかなり人間の心理を研究し、暴力に走る人間の性行をどうすればいいか考えてきたと思う。ただ、仏教の僧侶が暴力を用いるというのは日本でも歴史的にあったことだから、僧侶が基本的に平和の心をもっているわけではない。ダライ・ラマがどのように考えていたのか、どのように人びとを指導していたのか。彼はガンジーに比べると何か軽い、明るく社交的で、アメリカや西ヨーロッパでもてているが、非暴力・平和主義を全面に出さなければならない。暴力で独立を勝ち取ることが出来るかも知れないが、中国を相手にどれほどの犠牲を人びとに強いるかわからない。この事件でも中国、チベット両サイドともボスの顔色をみる手下の幹部がボスが考えているよりも暴力を振るうということである。そして常に一般の人びとが巻き込まれて被害に遭うということである。
ボスが2人、リングに上がって雌雄を決するというのなら、ひとびとは見ていればすむが、ボスは最後まで直接対決しないのである。私も安保反対のデモで国会へ行ったことがあるが、あの時もボスは宣伝車かトラックかの上にのってメガホンで「行け、行け、突撃」などと扇動し、われわれは最前列で放水を浴び、機動隊の堅い靴に蹴り上げられたのである。
2008年3月16日日曜日
郵便局の劣化
伝統ある軽井沢町の郵便局は民営化前には土、日曜日、休日の郵便の受付を行っていた。軽井沢町の中央郵便局の役割を果たしてきた。ところが、今日、郵便を出そうと郵便局に行ってみると、写真のような張り紙がなされていた。仕方がないので、おみやげ屋に行って、おみやげを買ってそれと併せて書類を送らざるを得なかった。そのおみやげ屋も郵便局が不便になる一方で、サービスを低下はひどく「郵便料金後納」の申請をしたところ、以前の倍以上の日数がかかったと不平たらたらであった。先日も郵便貯金の最近の取引状況を教えてほしいと頼んだところ、通帳の記入しかできず、窓口では顧客の郵便貯金の取引状況はわからないという。銀行では当たり前の基本的な事務である。しかし郵便局ではそれが出来ないという。しかも必ず言い訳ををして、自分たちに責任はないと言い張る。われわれも出来る限り郵便局を利用しないように、他の通信方法へシフトしていかなければならない。
2008年3月8日土曜日
なまけもの時代
ホームレスのためにビッグ・イッシューが発行されている。現在は1部300円で売られている。私は渋谷方面で買うことが多いが、いつも買うのに苦労する。ビッグ・イッシューの発行に係わりがあったから協力しようという意志がなければ、とても毎号買う気にはならない。今日も買うつもりで、いつも売り手のホームレスが立っているところを見ると、誰もいない。たまたまトイレにでも行っているのかも知れないが、店員のいない店など、一度でもあれば客はもう一度足を運ぶのが嫌になる。ある日は午前中に行くと彼はいなかった。そこで、ある日彼に聞いてみると、馬鹿にしたように私の足元をみて、「午前中に来たって買う人がほとんどいないからね」、これが、生活に困ってホームレスになった人間の言うことか。これでは300円を彼等のためにと買う意味はない。無理に買いに行くことはない。ビッグ・イッシューは発行している人達が自分が役に立っているという自己満足のためのマスターベーションなのか。ある台湾から渡って来た人が荷車を引いて朝早くから夜遅くまで働いて、やっと小さな店を借りることが出来た話を聞いた。必死に働いて、必死にお客を作って生きようとするのが自立の道ではないのか。別に自立することもなく、生活保護+αで日々生きているホームレスを支援する必要があるのだろうか。
2008年2月11日月曜日
マスコミの哀れ
おそらくアジアの独立のために働いた人たち、フィリピンのホセ・リサール、インドのボーズ、中国の孫文は皆、日本にやってきて、日本人の友達が出来て、日本が好きで、それぞれの国が日本との友好を願った。しかし、日本はその期待を裏切った。その友達は決して裏切らなかったが、日本国家と日本の大衆が裏切った。それは日本に正しい情報が伝わらなかったからである。そして、その責任の大半はマスコミにある。そして、現在もマスコミの情報収集力の弱さが、日本の指導者と日本の大衆に正しいことが伝えられず、結局、国としての日本も、日本人も被害を受ける。現在は特に新聞記者をはじめジャーナリストの前にサラリーマンである。正しい報道より、上司は会社が評価する報道をする。日本人を扇動して地獄に送った彼らの先輩を忘れて、また、同じようなことをしようとしている。しかも、何ら罪の意識無く、かくも無邪気に。つぎつぎに隣国を悪者にして、自分たちを窮地に追い込んでいく。彼らにはわかっていないだけなのだ。
2008年2月4日月曜日
被害者意識が日本の発展を大幅に遅らせる
4人で本を読む集まりで、トーマス・フリードマンの「フラット化する社会」を読んできて議論することになっていました。今日がその日で、仲間の1人は前からこの原本、"The World is Flat"を読みかけていてたということですし、また、もう1人はこの本を読むために「日本歴史年表」を作ってきました。なかなか知的生産性が高いようです。もう一冊、読んでくる本として、「後藤新平」中公新書、これは私が出したものです。インターネット、検索エンジンの急速な進歩によって、世界が時間と空間を意識しなくて済むようになったということでフラット化ということが言えるのですですが、それが、どこまで、どのようにという議論はこれからになるのでしょう。やはり、彼のいうインドや中国の人口は圧倒的に大きいため、フラット化の対象はその国の何分の一に過ぎません。そして、フラット化の恩恵も被害も受けない部分が次第に少なくなるまでに10年位でしょうか。その中で日本はどうなるのか、いまやフラット化を妨げる要因が他国に比べて多くなる気配が濃厚です。中国餃子事件もそうですが、北朝鮮拉致問題も同様に、国民全体が被害者になり、それを防ぐためにありとあらゆる防衛策をとり、そのために自分たちの生活を大幅に制限されるのです。もともと、資源のない国で外国と平和の中で貿易で生きているのに、そのリスクを考慮しないなど国民自身がその責任を問われるべきなのです。首相はじめ政治家はマスコミに扇動される世論が怖くて国民にリスクを覚悟してほしいとは言えないのです。自給率を上げて安全を高めれば、高い食費を払うのは当然なのです。エネルギーにしても、資源のない国で遠くからエネルギーを買ってこなければならないのですから、車に乗る人は他の国より高い燃料費を払って当然ですし、最悪の場合、車に乗るのを我慢しなければならないのです。日本で安全に暮らそうと思うなら、理想的には3千万、わるくても7千万の人口しか養えないでしょう。現在がたまたま異常なほど好条件であるだけなのです。
2008年2月3日日曜日
大阪の地盤沈下
商都大阪であった頃を懐かしく思う人が多いと思います。ここ大阪証券取引所の隣のビルで証券業のIT化などを仕事にしている友達が新聞の株式欄を広げて、ここに出ている会社の株には「気配」しかついていない、実物取引はこんなに少ないのです、と淋しそうに言いました。大阪を出て海外で活躍している人達が大阪には帰ってこない、東京に行ってしまいます。大阪には仕事がないせいでしょう。大阪市の幹部をしている別の友達がこれはくやしそうに言います。東京以外の地方は総て同じ現象に悩まされています。これまで、政治家、官僚、学者すべての人達がこの東京一極集中現象に歯止めをかけようと努力してきたのですが、だれも成功していません。私も毎日考えていますが、おそらく、心理的なものでしょう。何か理由がはっきりしないが、東京に引きつけるものを感じる、地方にいると取り残されるような不安がある、東京は面白そうだ、自分の地方より可能性があるのではないかと思う、もちろん、大阪生まれの人は大阪にいれば生活はし易い、むしろ東京より豊に暮らせる、それでも東京に行きたくなるのです。そして、次第、次第に地盤沈下していくのです。ある先端になるものがあればいいのでしょうか。
2008年1月29日火曜日
後藤新平がわれわれに呼び掛ける
後藤新平という人物がどの程度知られているかはわからない。ほとんど知られていないだろう。戦争という忌まわしい体験の中で、近代の日本のリーダーたちは伊藤博文以下、ほとんど、われわれの視野からはずれてしまった。もちろん、多くのリーダーが良かれ悪しかれ、この戦争に関係し幾ばくかの責任を負わざるを得ないことは確かである。しかし、今のリーダーが彼等に比べて優れているとは、誰も思わないだろう。辛うじて、近代日本のリーダーとして評価されてきたのは政治家以外のリーダーで、福沢諭吉や渋沢栄一、野口英夫、北里柴三郎、夏目漱石、森鴎外などである。しかし、もちろん彼等は当時の政治家とはさまざまな係わりがあり、友人であったり、先輩後輩であったりした。特に少ないエリートがリードしていた近代日本では、エリートの間の関係はわれわれが考える以上に強いものがあった。われわれはそれを見ないふりをして彼等に学ぶことがなく、そのつけが現在の日本人にまわってきている。後藤新平はたしかに外務大臣、内務大臣もやったので、政治家と見られても仕方がないのだが、今振り返って彼の業績を考えてみると、日本人のリーダーの中で、もっとも「公」的人物だったと言える。勿論、私が言う「公」は、われわれみんなという意味である。
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