2010年10月25日月曜日

軽井沢高原の日々(8)


話を戦後の軽井沢の夏に進める前に、何故あのような昔、千ヶ滝に別荘をもつことになったのかを書いておく必要があるだろう。もちろん、私の生まれる前の話だから正確なことはわからない、祖母や母から聞いた話から類推したものである。昭和の初めの頃、先代の堤康次郎が軽井沢の西にある当時沓掛といった駅から北にある山林に目を着けて、そこを広く買収し別荘地を開発し始めて間もない頃である。その堤康次郎の公私共に兄貴分で後に親戚にもなった永井柳太郎がいた。この人は早大からオックスフォード大学を経て早大教授になり、後に代議士になって逓信大臣や鉄道大臣などを勤めた。彼は大正デモクラシーの一翼を担って婦人参政権の獲得などに力を尽くした。当然、堤康次郎は永井柳太郎に千ヶ滝の別荘地を世話したのであろう。そして、永井柳太郎の次代夫人と私の祖母は女子学院の同級生の仲であった。また、次代夫人は婦人運動の草分けの一人として日本婦人矯風会で活躍、祖母もその仲間になっていた。こうした関係があって、祖母は軽井沢で次代夫人と婦人問題を語り合う必要もあって別荘を購入したと思われる。ただし、祖母が自ら別荘地を買い、別荘を建てたのではなく、既に親戚が建てていたものを譲り受けたという話もあるので、その点ははっきりしない。ただ、祖母はこの関係の夫人達の集まりに頻繁に出かけ、ときどきは私もお伴させられた。そのことを次に話そう。

0 件のコメント: