2012年8月2日木曜日
8月
例年、軽井沢を避暑地として”発見”してくれたカナダ人宣教師、アレクサンダー・クロフト・ショーを記念する式典が、ショー記念礼拝堂となっている教会で行われます。
その日の朝、ショーの胸像をきれいにしようとこの教会の司祭がバケツの水で洗っているところです。
海外から日本に布教のために派遣された宣教師達も高温多湿の東京や大阪で夏を過ごすことは大変だったようで、夏を休養することが認められていたようです。彼らの本国である欧米からアジア、アフリカ、中南米という地域に派遣されるということは大変勇気のいることとされていた時代でもありました。
また、日本では現在でも全く定着していない”避暑”という生活様式もパンやジャムやソーセージなどとともに、こうした宣教師達によってもたらされたもので、軽井沢はその代名詞になっているのです。
昨日も、このショー祭のあと、古い時代の軽井沢を知っている両親はハンガリー生まれのアメリカ人と1時間ほど話したのですが、”避暑”を当たり前だと思っている彼らの生活感はかなり違います。これについては私の別のブログ「迷・隠居志願」で語りましょう。
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