2010年3月31日水曜日
懐かしき茗渓堂、懐かしき近藤等先生
仕事で論文を書くために軽井沢の本棚からノーベル経済学賞のハイエクが書いた名著「奴隷への道」を取り出しました。すると本の栞が出てきました。これは「本の雑誌」で有名な沢野ひとしがデザインした4種類の栞のひとつです。なつかしい茗渓堂書店で出していたものです。今から20年近く前、お茶の水にあったこの本屋によく通ったものです。あの本屋は最近見かけないがつぶれてしまったのだろうか。さっそくインターネットで調べてみると、なんと
健在でした。ただ、店舗は道路から見えるところではなく、なんと楽器屋の3階で、山の本の専門店になっていました。そして、丁度、私がフランス語を習った近藤等先生の「わが回想のアルプス」のサイン本が売っていると書いてありました。早速、行ってみました。見つけた楽器屋に入って、楽器の商談している店の人の脇を通り抜けて、そのまま奥の階段を登るとすぐ店のカウンターです。「近藤先生の本、まだ、ありますか」「そちらです」と目の前に平積みしている先生の登頂姿らしい表紙の本がありました。どうも、店の人は昔店頭にいたおやじさんの息子さんのようです。何となく似ていました。話していてはっきりしました。そして、本のカバーをしてもらうと、今も20年前と変わらない沢野ひとしのデザイン、栞も前のまま。「近藤先生も89歳になられましたが、ここの階段もちゃんと登って来られて、お元気ですよ」「本の雑誌」の最新刊をおまけにつけてくれました。寒い日なのに心が温かくなりました。
2010年3月30日火曜日
高度経済成長の名残
2010年3月29日月曜日
Farmer's Market
2010年3月27日土曜日
八分か九分か
2010年3月26日金曜日
7分か8分か
2010年3月25日木曜日
一昨日の桜
2010年3月24日水曜日
軽井沢の古代
昨日、関西に住んでいる友達の縄文のイラストレーターから嬉しい本が届きました。彼女が送ってくれたのは「佐久の古代遺産図鑑」という本です。この本は小学生に配布される本だそうです。長野県の佐久は軽井沢の南と境を接している地域でこのあたりからは旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安の時代の遺産が出土しています。私が今回、雑誌KURAで取材しているのもこの地域で、集落の古老から話を聞くとこの図鑑の世界が眼前にイメージできるので面白いことこのうえもありません。古代の人たちにとって、この佐久平が軽井沢の浅間山の麓に広がっていて今よりずっと住みやすかったのか知れません。彼らが何を食べ、どんな言葉をしゃべっていたのか、興味は尽きないでしょう。
2010年3月13日土曜日
先週、今週
一昨日の雪でこの状態です。先週、ようやく雪が消え、ブーツを運動靴に履き替えて自転車に乗って浅間山を撮影に行けたのですが、今週はまたブーツです。しかも、積雪量が今年最高で重い雪がどさっとやってきました。いつもは家のまわりの雪かきをしてくれる管理人の石川おじさんも今回は雪かきをあきらめて戻っていきました。私が玄関のところをスコップで道だけつけておきました。タクシーも国道から中には入れないので困ります。暖炉の薪を上にあげるのも大仕事で、疲れてしまって、午後は本を読む気にもなれませんでした。昨日は東京で追分にも良く来られていた建築学の鈴木成文先生が急死されたお通夜で、護国寺に行き、寒い中長い時間並んで身体が芯から冷えました。もっとも、その後、建築の仲間とおでんで飲んで暖まったのですが、体力の回復に時間が必要です。
2010年3月12日金曜日
愛知県美術館
2010年3月9日火曜日
春、冬、春、冬
軽井沢の天気は3月がもっとも落ち着かないと言えるでしょう。緑の苔が朝日に輝いてやれやれ春だと思うと、次の朝起きてみるとこの有様です。しかし、春の雪はすぐ溶けるので、また次の日になると緑が見えるのです。そのかわり道はどろどろびちゃびちゃで車がすぐ汚くなるのが大変なようです。こちらは雪のブーツをはきっぱなしです。毎日、いのししが出現するようで、雪の日の朝は足跡が直線でやってきて、家を一回りして行きます。雪が消えると、家をひとまわりして、ところどころ苔をひっくり返して行きます。明け方に気配を感じるのですが、寒くて起きる元気もなく、いのしし本体を見たことがありません。写真に撮れればすごいのですが。すごい写真といえばうちの事務局長のサックス演奏があがっているので見てやって下さい。http://actio.blog73.fc2.com/ ほんの数ヶ月の練習でここまでやるとは立派です。自転車、写真、お遍路、と多趣味、多彩です。
2010年3月7日日曜日
ご神体は石
これぞ神道の神髄です。石を拝む。いいですねえ。ここは軽井沢のもっとも古い地域、由井の集落にある、烏明神です。土地の古老に話を聞きました。烏は熊野神社の八咫烏と同じ、那智の大社と関連があるらしいという。むかしからイボ取り神社といわれ、また目の治療をするといわれるが実はイボウという男根を意味することと、目は女で、この両方で生産の神とされるというのです。ここも西国観世音巡り、33カ所のスタートの神社というのですが、もちろん関西のものとは違うし、信濃観世音巡りにも入っていません。古老が持参してきた幾つかの地図をみてみると、古代からの地名の変化、集落の離合集散の経緯は人々の営みの変化をたどる貴重な資料です。神社はそのなかで常にひとびとのよりどころになっていたということです。
2010年3月5日金曜日
2010年3月2日火曜日
確定申告
2010年3月1日月曜日
おまかせ亭15周年
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