
青空にこの看板が目立っていました。戦後の復興から高度成長の時期、実に輝かしい組織でした。われわれも社会学の立場から、生産性向上のための組織の研究などを様々に行いました。組織的労働は日本のお家芸で、アメリカの自動車生産の現場の分業システムなど瞬く間に日本で消化されていきました。その旗振りの拠点の一つがこの日本生産性本部だったのです。
2009年6月まで軽井沢リゾートオフィスで書いてきたものをこちらのブログに引き継ぎますが、軽井沢にいるときだけではなく、東京のときも日記風に書かせてもらいます。私の視点として、何事にもとらわれることのないことは良いのですが、別の言い方をすれば視点が定まらないということもあります。足が地に着かない、浮遊感がうまく出せればと思います。
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