2009年9月30日水曜日

お茶の時間


昨日はIPEX(国際人材交流支援協力機構)の優秀書籍顕彰のための本を選ぶ作業をしました。私の担当は去年の4月から6月に出版された中国関係の書籍、約250点から良さそうな本を10冊前後選ぶことです。実際に読むのは選んでからなので、本のタイトル、著者、出版社、ネットで紹介されている簡単な内容やコメントを見て選びます。なかなかやっかいな仕事です。私より余程蓄積のある2人の理事と頭のいい理事の3人にバカにされないように頑張りました。その頭のいい理事が、悪戦苦闘している私を見て、お茶にしようといってくれました。すこし馬鹿笑いして、気分転換しました。

2009年9月29日火曜日

住友クラブで読書会


上品なカレーですね。これは新宿の三角ビルの47階にある住友クラブのカレーです。昨日は読書会の日で、このカレーライスの前に非常に美味しい一皿のフォアグラの前菜がありました。今回は夏休み明けで、読んできた2冊の本について議論した後、仲間の一人が早稲田のエクステンションで話を聞いてきた「宗教」についての報告がありました。日本人に宗教がいるかという問題提起で盛り上がりました。因みに次回までに読む本を参考までにあげておきましょう。
・勤勉の哲学              山本七平 祥伝社
・日本人とユダヤ人           山本七平 角川oneテーマ21 他あり
・自由論                 J・S・ミル 光文社古典新訳文庫 他あり
・それでも日本人は「戦争」を選んだ 加藤陽子 朝日出版社
・EDOKKO               ISAAC・SHAPIRO iuniverse 
最後の「江戸っ子」は私が最近読んだばかりで、ロシア系ユダヤ人の主人公が日本に逃げてきて日本で戦前、戦中、戦後を経験する話です。ある意味でこの時代の世界情勢が集約されているすごい話でもあり、日本人には最も欠けている世界を知る面白い本です。英語ですが、読む気があれば平易な英語で、全く問題ありません。アマゾンで買えます是非読んで下さい。

2009年9月28日月曜日

リトを買う

昨日は原稿の締切の関係で書いていたのですが、お昼は自由が丘に出て、ランチを食べた後、アトリエ21の版画の作品展に行きました。知り合いの女性の版画家が出品しているのです。抽象の心象をリトに託する作風で、本人もいっていましたが、むしろ海外で評価されているようです。ただ、お金がなくて海外から出品の招待があっても出せないのが悩みだといっていました。出されている二点のうちの一点、少し安くして貰って買いました。ここは画廊経由ではなく直接買ってもいいそうです。彼女の作品はこれまでもかなり買っていますが、全部並べてみる壁がありません。

2009年9月27日日曜日

フランスの友達

京都で世話になったフランスの友達が東京に出てきて家に泊まっていきました。今回の日本滞在はレイモンド研究の資料集めということで1ヶ月で、今度の火曜日の朝、パリに帰ります。京都に住んでいた頃と違って、すっかり垢抜けてシックなパリの女性になった感じで驚きました。これからの研究次第でパリと京都を往復してソルボンヌで教えることになりそうです。

2009年9月26日土曜日

月見の会


昨日朝、軽井沢の家を出る前にゴミ収集所に歩いて行きました。天気が良く、朝の日差しが木々の間に差し込んで明るく輝いていました。10時過ぎに東京に着いて、渋谷の東急の地下でお昼のための寿しの詰め合わせを買いました。午後から研究所の打合せで原宿のオフィスへ。所長と話をしているうちに、「月見の会」のメンバーが集まり始めて、そのまま会が始まりました。所長が現在手がけている吉武泰水先生が出された本の書評について重要な発表がありましたが、あとはワインを次々に空けながら秋の夜長を歓談のうちに過ごしました。この芦原義信設計の住宅の広間は庭に向かって窓が開けられ、蚊取り線香で蚊を入れないようすれば夜風が気持ちよく入ってきます。

2009年9月24日木曜日

内村鑑三の直筆


今日は雑誌の連載をする取材で星野さん(星野リゾートの監査役)に会いに行きました。長野から編集者とカメラマンがやってきて、私が文章を書くことになっています。星野さんは3代目星野嘉助の影響を最も強く受けて,多くの作家、文人と交友関係があった人です。お宅に行くと歴史的な遺産が山のようにあり、さながらミニ世界遺産のようです。今日、見せて頂いたのは内村鑑三が3代目の嘉助が若かりし頃に書いて渡した星野温泉の家訓ともいうべき、「成功の秘訣」十ヶ条です。この話は有名なのですが、本物を見た人はほとんどいないと思います。これだけでも大感激ですが、まだまだ貴重な話をたくさん聞くことが出来ました。

いまや伝説となって


昨日の朝、近所の別荘に滞在中のお友達が野いちごのジャムを持って寄ってくださいました。しばらく昔話をしていたのですが、伝説のレーサー福沢幸夫の話になりました。子供の頃、一緒にこの辺りで遊び回った彼が滞在していた家が近くにあります。彼はギリシア人でオペラ歌手だったお母さんと、かわいい妹と3人で来ていました。3人がそろって浅間山を眺めていた姿が思い出されます。この家は天皇陛下の友達の別荘だったのです。陛下は皇太子時代、よく遊びに来られていました。いまはこのように朽ちてきて、いつまで残るかわかりません。写真を撮って地図を残しておかなければなりません。福沢幸夫と遊んだわれわれは、ひどくわがままだった彼のことを覚えています。その後、お友達のお嬢さんも来てくださって、現代軽井沢の良いお菓子屋さんやレストランの話になりました。

2009年9月23日水曜日

夏が終わり

芦屋に住む友達一家が訪ねて来てくれ、楽しく2日、軽井沢で過ごして帰って行きました。これで、今年のシーズンが終わったという感じがしました。そこで、彼らが帰った後、少し薪を割って冬の用意をしたり、庭に長い間そのままにしておいた古材の整理など、少し汗を流しました。これから日に日に寒くなって、紅葉というか黄葉のゴールデン・オクトーバーを挟んで、木の葉が総て落ちて静けさが戻ってきます。

2009年9月22日火曜日

名古屋、近江、京都


19日の朝から名古屋(愛知県美術館キュレーター)、近江八幡(ヴォーリズネットワーク主唱者)、京都(フランスのレイモンド研究者)とまわって軽井沢に21日に戻ってきました。この写真は琵琶湖ですが、猛烈な強風のため波が立っていました。近江八幡の市内から琵琶湖畔をまわって前の前の市長が作ったという湖畔に面した絶好の場所にあるレストランです。ここで、懸案事項を話し会いましたが、なんといっても自然環境、人的資源に恵まれた近江の地です。ヴォーリズネットワークもここから発信されていくことが楽しみです。21,22日とこの辺りの気温が高く、歩き回るにはやや不適当でしたが、収穫は大きかったと思います。私の仕事は人に会うことですから、京都のフランス料理のレストランでオーナーシェフとカウンター越しに話したこともなかなか意義の深いことでした。 

2009年9月18日金曜日

「希望」がいらない「幸福」な2人の秀才



 午前中の理事会の後、中華麺を食べたところ量が多くてお腹が一杯になりました。散歩したかったのですが、日差しが強く暑かったので、事務所に戻ってお昼休みをすることにしました。話はテレビで見た東大の先生たちが「希望学」、「希望学会」を立ち上げているという話になりました。

 われわれにとって「希望」とは何か、第一、自分たちに「希望」があるのかと言っているうちに、私の仕事仲間は特段希望はなさそうだが問題なく幸せに暮らしていると気がつきました。彼は非常に頭がいいので、これまで仕事は楽々とこなし、逆に自分の能力を超えるものを鋭く見分け、それはやっても仕方がないと割り切るのです。手元に楽しいことを引きつけてカメラ、自転車、車などで遊び毎日を過ごします。このような人生を送るもう一人の友達がいることにも気がつきました。彼も頭がすごく良いので、仕事は楽々こなし、大抵の世間のことはばかばかしくなるらしく、一刀両断に切り捨てます。そして、iPhoneなどのおもちゃに凝るのです。2人とも大変親切で、自分たちのおもちゃについて詳しく教えてくれ、彼等の幸せを分けてくれます。

 希望はないが幸福と、希望はあるが不幸と、民主党政権は明らかに前者を選択しています。しかし、多くの日本人大衆は私の友達のように頭がよくないのです。自分の能力、欲望をコントロールできないのです。ドイツの友達がミュンヘンからお土産に持ってきてくれた持ってきてくれたこのチョコレートのチェス、白は幸福、黒(ブラウン)は希望のせめぎ合いです。ミュンヘンはナチ誕生の地です。ドイツ人に「希望」を与えて戦場に駆り立てたヒットラーを忘れることは出来ません。

2009年9月17日木曜日

優勝カップ

全く自分には縁がないのですが、「日本コオロギ相撲選手権大会」優勝杯というものを作る話が持ち上がって、カップを作ってくれる店を探していました。神保町を歩いていたら偶然に老舗がありました。戦前からある店で、大相撲の天皇賞のカップも作っているとか、見積もりを出して貰うことにしました。カップに彫って貰う字が手彫りになると1文字400円とか、機械彫りは安くて25円とかその程度です。カップそのものはピンキリですが、結構立派なものでわれわれが注文しているのは3万円強程度です。秋晴れの神保町で優勝カップを注文するのもなかなか気分のいいものです。

2009年9月16日水曜日

ランチ狂想(競争)曲

お昼の近所の風景です。サラリーマンがお昼の楽しみ、今日はどこのレストランにしようか。新しい店が出来たらしいよ。じゃあ、行ってみるか。この辺りのランチの平均は1000円弱というところです。新しいところは工夫をこらしているところが多く、昔からある地元の店は賃貸料がいらないので安くても工夫はなく愛想も悪くて平気で商売をやっています。駅から5分ほど離れているので、最激戦地ではなく生き残れるのです。駅から5分以内で食べるところは500円を境に激しい競争です。現在は駅前の大改造で工事関係者が食べるので、この値段で勝負です。

2009年9月14日月曜日

打合せの帰り


打合せを終えて7時前に渋谷警察署の横の歩道橋を歩いていると、人だかりがしています。どうやら渋谷署からだれか出てくるのか、報道陣も何組か、望遠レンズなどを構えていました。まあ、せっかくの涼しい気持ちの良い夕方に、こんなところで見ているのも面白くもないので、好奇心を捨てて家路に向かいました。東京です。いろいろ面白いことがあります。それにしても打合せの中身はかなり大変なものでした。サロンをもつということも、それなりに何かを考えなければなりません。今週、京都や近江に出張するまでにアイディアを出さなければなりません。所長に「考えてよ」と言われています。さて、どうしたものか。明け方、寝床で考えるのが一番でしょうか。

2009年9月13日日曜日

東京のディナー・パーティ


東京に戻ると仕事の中身は全く変わります。もちろん、話し合う人も変わります。裁判官、弁護士、医師、それにドイツから来た20代の学生や建築家、話の内容も変わります。現代ドイツの哲学者、ハーバーマスなど、一部私の社会学に関係するのでなんとかついていくことができますが、早い英語の応答では内容まで議論するのは困難になるので、その前で話題を変えなければなりません。せいぜいドイツの南北の政治風土の違いなどです。面白かったのはミュンヘンの中核の人々はむしろ左、そして、一般大衆は右、保守的だという。世界の古都に同じような現象がある。ウイットゲンシュタインのウィーンの建築、これこそ現代建築の源ではないかという話。様々な年代、様々な人、様々な考え、素晴らしいがシンプルなディナー、東京にいる以上これがなければ意味がありません。ちょっときざでしょうかねえ。

2009年9月12日土曜日

軽井沢を出発

新幹線のチケットを予約してないので朝一番に乗ればがらがらだろうと思って早起きすることにしました。軽井沢駅発6時33分乗車を逆算すると、中軽井沢発の軽井沢駅行きの信濃鉄道は6時18分です。とすれば5時30分前に家を出なければなりません。5時前に起床です。未だ、暗かったのですが、今日は気温は高く寒くありませんでした。駅まで歩くと汗をかいてしまいました。ところが信濃鉄道はがらがらで良かったのですが、新幹線がほぼ満員です。土曜の一番に東京方面に出掛ける人が大勢いるのです。それに、新幹線8両のうち自由席が半分の4両しかありません。平日だと5両か6両が自由席なのです。高崎に着くとまた沢山人が乗ってきて、ついに立っている人がかなりいます。普段下りる大宮でもほとんど下りません。東京へ東京へと行くのです。もっとも東京以遠へ行く人もいるでしょうが。
写真は今朝のハルニレテラスです。横を通りましたが8時にオープンするパン屋さんだけは明かりがついていました。

2009年9月11日金曜日

快晴の一日


昨日朝、家を出ると日陰は寒いくらいです。早朝の気温は5度を下回ったと思います。快晴でしたが、浅間を眺めても秋色はなく、空の蒼が深くなっている感じでしょうか。歩いて20分、中軽井沢の駅に近い、湯川のバス停近くにワインを売る店を開店する人を訪ねました。会社勤めでこちらに去年の7月に移住する前、イギリスに4年住んでいたそうです。軽井沢には海外勤務を経験した人がかなり来ているようです。彼は地元の人たちを中心に良いワインを飲んでもらい、ちょっとしたサロンを作りたいということです。午後ハルニレではこれまたスエーデンに住んでいた人がこちらにスエーデンの家具、照明器具、食器などを売る店を開いていました。
今日で私も軽井沢を引き揚げます。長期滞在は終わりです。このブログも通常のペースに戻り、時々ということになるかも知れません。

2009年9月9日水曜日

美術館は秋模様


お昼を食べた後の散歩にセゾン現代美術館に行きました。今日は歩いたのですが、崖を下りる最短ルートを通っても15分ほどは掛かかりました。曇っているのに浅間山はくっきり見え、崖の上から写真を撮ろうと構えましたが、どこもまだ木の葉が茂って上手く撮れません。ジャン・ティングリの地獄の門が作動している音が聞こえているので、大急ぎで先に2階に上がって、最後の5分ほどを見て、あとはおなじみ懐かしのジャクソン・ポロック、ジャスパー・ジョーンズ、フォンタナ、リキテンシュタイン、ウオーホル、マン・レイをじっくり眺めて、また2階の窓から外を眺めると秋の気配です。この窓からの眺めは北欧の秋です。写真が中から撮れないの残念です。こんなに近くにこんなに素晴らしい美術館があるのは最高の贅沢です。

2009年9月8日火曜日

立ち読み書見台を辻邦生が



今朝は早めに自転車で軽井沢高原文庫に行って「辻邦生展」をゆっくり見ました。これまで3回行っているのに人が多かったり、時間がなかったりしてゆっくり見られなかったからです。驚愕すべきは彼がなんと私と同じ理由で立ち読み書見台を作っていたことです。彼の遺品を集めたコーナーにそれがあったのです。喜ぶべきか悲しむべきかわかりません。副館長にその話をしたところ、なんでももう30年以上前に作っていたそうです。そして、「立って読書する机」−眠り防止用に辻が考案、となっているではありませんか。まあ、自分と辻邦生が同じことを考えたということは何か共通点があるのでしょう。この逸話は何かに書いておきましょう。

2009年9月7日月曜日

避暑の終わり、夏の終わり


お隣の別荘の友達と今年のお別れの挨拶です。9月に入るとそろそろ別荘を閉めて東京に引き揚げる時期です。こうやって垣根のないお隣の庭に行って立ち話をしながら、「今年もお世話になりました、また来年よろしく」と言います。そろそろ日も短くなり、朝晩は冷えるようになり、避暑地はまた静かになっていきます。(現在は永住者が避暑地に入り込み、われわれも年がら年中やってくるので、こうした「感傷」がなくなってきましたが、お隣は昔からのライフスタイルを守ってくれています)

2009年9月6日日曜日

別荘の解体

近くの別荘が解体、建て直しとのことですが、3日ほどトラックターが入って近所中をゆらす工事がつづいています。軽井沢はこのところ建て直し工事が非常に多いということです。しかし、ここのようにコンクリの建物を建て直すのはあまり多くありません。このうちはどこかの法人の所有だったこともあって、付き合いがなく、中に入ったことはありませんでした。こうして中身が廃棄物として積み上げられてみると、籐の椅子をはじめそれなりのものがあったわけです。法人ですから家具や備品に愛着があって残すこともなかったようですが、どう考えたらよいのでしょう。

2009年9月4日金曜日

エコミュージアムの予備調査

お昼過ぎに田崎美術館の近くにあるお宅を訪ねました。家から歩くと小1時間はかかりますし、雨はふりそうだし、どうしようかと思いましたが、思い切って電動アシスト自転車にのっていきました。10分ほどで着いてしまい、しばらく回りを走ってみました。お茶を飲むところが3軒ほどありましたが、2軒は閉まっていました。なにせ、もうほとんど人も通りません。お宅に入ってしばらく話をしていると、次々にこの町の歴史の証人のような人たちが出てきて、対応できずどうしていいかわかりません。そのうち、資料もどんどん出てきます。土地台帳や古い地図が机狭し、部屋せましと広げられました。これは宝物です。やはり、先日も自分の祖先を訪ねている人がやってきて、この地図を見せて貰ったそうです。そして、その場所が確認できたと喜んで帰っていったそうです。

2009年9月3日木曜日

下り坂と上り坂



昼食後、面白い坂道を歩きました。いわれのある坂を歩くツアーもあるやにきいていますが、ひとつひとつを読みながらゆっくり歩くのも悪くありません。目黒通りの代官山から青葉台は崖ぷっちにあり、どこも富士山をながめられるところだったのです。写真の2つの坂、上村坂、目切坂は目黒通りに向かって登るのですが、高級住宅地でもあるようです。さてこの坂をまわって昔確かセント・メリーと言っていたかと思うのですがアメリカン・スクールの前にあるパウンドケーキがおいしいお店で一休みし、それから研究所の所長のところへまわりました。かなり重要な話(http://max82.blog109.fc2.com/)を1時間ほどして、うちに戻りましたがご飯の仕込みには遅いので、インスタントご飯にし、中華の牛肉細切り炒めをかけて食べました。

2009年9月1日火曜日

九段から神保町へ


東京に戻ったので、先ず歯医者です。朝、9時に着くように半蔵門線に乗って行きます。長年の付き合いで、毎月1回行きます。治療に掛かる前に、しばらく世間話をする習慣になっています。たいてい「軽井沢に行かれていますか、あちらはどうですか、もう秋ですか」といったことを聞かれます。まあ、恐ろしい歯の治療の前にリラックスさせてくれるうまい方法です。9時半には無事に終わって外に出るとこの開放感は特別です。今日はNHKの語学のテキストを買いに神保町まで歩いて三省堂に行きました。ひさびさの東京の日差しです。日影を選んで歩きました。古本屋街の前を歩いていたら、軽井沢高原文庫の辻邦生展のポスターが貼ってありました。辻邦生を特にハンサムだったので、顔写真が目立つのです。