2009年10月30日金曜日
紅葉も終わり
軽井沢に戻ってみるとさすがに紅葉も終わりそうです。特に町より標高の高いうちの周辺は色が褪せてしまっています。隣近所も枯葉掃除のおじさん、おばさん、或いは業者のお兄さん達が別荘の庭に出動しています。今日は午後から雑誌の取材があるので、お昼に軽井沢に入り、おなじみのカフェ・コンヴェルサに行くと、「松岡さん、食べる、ボルシチを始めたの」「今年もそんな時期になったかね」今シーズン最初のボルシチはご飯で食べることにしました。まだ、味がしみこんでいなくて、いかにも若いボルシチです。でもスープには塩味がほどよく利いていておいしい。おいしい。一旦家に戻ってから、自転車で取材先へ。またまた貴重な話が一杯。とても2ページの紙面では足りません。「手記」にでもしなければならない感じです。
神社の吸収合併
昨日のお昼、食事の後、近くの神社に寄ってみると、境内のベンチにサラリーマンらしき人達が食事をしていました。私も丸の内に勤めていたときに同僚と皇居の公園の方に行きベンチのあるところで食べました。わびしいといえばわびしいのですが、みんなが同じように食べていればなんとなく気が楽でいいものです。気候も良くなって屋外で食べるのに相応しい日でもありました。この神社はそう大きくないのですが、いろいろ由緒があるらしく、やたらに石碑が建っていて、教養のある事務局長にはふさわしいところです。しかも、神社の前の掲示板にこの神社が南青山のお稲荷さんを吸収合併するという告知があり、われわれを大いに面白がらせてくれました。
2009年10月29日木曜日
裏手の超高層ビル
2009年10月28日水曜日
これは!?
2009年10月27日火曜日
KURA連載開始
2009年10月26日月曜日
ヴィラデスト悲しや
夏が終わってヴィラデストです。玉さんたちは元気にしていました。昨日は天気がイマイチで軽井沢では霧雨もありましたが、さすが、東御市辺りではなんとか曇り状態でした。アルプスまでは良く見えませんでしたが、近くの山は紅葉、遠くのやまは青くシルエットになっていました。われわらのK611の葡萄はもう収穫されていて、またも実っているところは見られませんでしたが、右隣の列ではまだ葡萄がたわわに実を付けていました。この写真をご覧下さい。
これまではなかった警告ボードです。ずいぶんマナーの悪い客が入るらしく、あちこちに
警告のメッセージボードが立つようになりました。残念ですが、このごろの日本人のマナーには本当にがっくりします。せっかくのヴィラデストの雰囲気がこれでいくらかこわれます。
昔「公衆道徳」と言っていたものを復活せざるを得ないところまできました。
2009年10月24日土曜日
軽井沢の紅葉
2009年10月23日金曜日
新日フィルの夜
友達夫妻と新日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会でした。ようやく涼しくなって夜風がヒンヤリとし、外で食事をするにはやや寒い、こういう時期が一番ですが、来月はもう寒くなってしまうでしょう。ルーマニア人によるルーマニアの作曲家によるルーマニアの音楽となると、なんともジプシーサウンドで、眼前に民族衣装を着た男女が踊る風景が彷彿とします。夕食は午後9時半になります。サントリーホールの反対側にある「オーバッカナール」がいつも行くレストランです。いつもはビールで乾杯ですが、寒いのでキールにしましたが、ちょっと甘いか。後は赤ワインにしました。ここでゆっくり飲んで、食べて11時になります。たいてい最後の客として帰ります。
2009年10月22日木曜日
コオロギ相撲、幡井杯
2009年10月20日火曜日
ドイツ・エッセンから
昨夕はドイツから日本に建築でインターンに来ている友達のお母さんがドイツから休暇でやってきたので、歓迎の夕食会をうちでやりました。お母さんは医学研究所のドクターです。生憎本人は風邪をひいてお母さんだけがやってきて、他の友達と6人になりました。彼女がお土産にくれたドイツのカレンダーです。このカレンダーには「文化の首都」というタイトルがついています。ここは彼女の町エッセンを含むルール地方、以前炭鉱と鉄鉱のドイツ工業の中心として有名な地帯でした。この産業遺産を残して現在につなげているところが、夕張との大きな違いです。同じような歴史をうまく生かせるところと生かせないところの差は人間の能力の差でしょうか。先ほどもスエーデン研究の先生から「野外ミュージアム」というか「自由空間ミュージアム」について金曜日に軽井沢で話合いたいという電話がありました。
食後サックスを買う
うちの事務所の仲間がお昼ご飯を食べてから、ちょっと楽器屋に寄ってみましょうかと言うのでついて行きました。渋谷駅の近くで、ビルの4階が中古サックスのフロアになっています。
中古は2種類あって、ひとつは年代物、もうひとつは一般的な中古サックスです。彼は黙ってウインドショッピングをするのかと思っていたら、店員に向かって話しかけました。「質問1」,「質問2」などとだんだん詳しくきいていきます。そんなに突っ込んで引っ込みがつくのかと危惧していると、案の定、「じゃ、これにするかな」などと言い出しました。ええ、本当に買っちゃうのかと、驚いて見ていると、あれよあれよ、「もうちょっと、まからないの」「何か付けてくれるの」などと言って遂に買ってしまいました。奥さんにプロポーズしたときも、「質問1」、「質問2」、「持参金ないの」、「車もってるの」などとといって「じゃあ、結婚してもらおうか」といって即決したのでしょうか。
2009年10月18日日曜日
Farmer's Market@UNU
2009年10月17日土曜日
コンドル先生
2009年10月16日金曜日
ムベなるかな
私達の先生のところで「ムベ」という果物が話題になりました。
「琵琶湖のほとりに位置する滋賀県近江八幡市の北津田町には古い伝説が残っている。蒲生野に狩りに出かけた天智天皇がこの地で、8人の男子を持つ健康な老夫婦に出会った。
「汝ら如何(いか)に斯(か)く長寿ぞ」と尋ねたところ、夫婦はこの地で取れる珍しい果物が無病長寿の霊果であり、毎年秋にこれを食するためと答えた。賞味した天皇は「むべなるかな」と得心して、「斯くの如き霊果は例年貢進せよ」と命じた。」日経新聞記事より
ムベは郁子という字だそうで、さすが、奥さんの名前が「郁子さん」の仕事場の同僚はムベも故事来歴も知っていました、う〜ん、ムベなるかな。
ヴォーリズの近江八幡は先月行ったばかりです。そして、昨日、ヤマダ電機で買い物をしたらおまけにもらったのが、これまたなんと近江八幡の新米でした。
昨日は原稿書きに集中してお昼時間に買い物をしただけでした。原稿の方は最後の一行がうまく書けず今日に持ち越しです。
2009年10月15日木曜日
熊谷守一
2009年10月13日火曜日
夕張
2009年10月9日金曜日
東京「犬棒」物語
四谷三丁目から少し歩いたところでの工事です。クリストのインスタレーションを思い出しますね。
銀座四丁目、ど真ん中に折りたたみ自転車がつないでありました。なるほど、これならまあいいでしょうね。
青山通り、表参道近くで、都会の雑草の撮影でしょうかね。学生が映画を作っているのかも知れません。
東京はほんの1時間も歩けばこれですから、面白いですよね。雑誌「東京人」の編集をやっている友達からメールが入って、今日お昼、食事をしようとしたら玉村さんらしき人を見かけ、その前の日だかにはホリエモン、その前は野田秀樹など連日、こちらが一方的に知っているだけの人を見かけたと、東京は面白いですねえ。「犬棒」ですね。私の「ゼミの学生」は天才的な「犬棒」でつぎつぎに人がリンクしていきます。これは多分前世が本当に「犬」だったのでしょうね。もっとも「犬棒」ではなく、本当は「犬吠」だということで最近後ろから付けてきた人を噛んで追い払ったとか・・・・。
2009年10月8日木曜日
台風18号
2009年10月7日水曜日
外国人の目に映った軽井沢疎開の日々
去年8月1日に軽井沢で会ったトム・ハーはハワイ在住のアメリカ人の写真家です。彼の両親はもともとはユダヤ系のハンガリー人で、ナチを逃れてパリ経由で日本にやってきて軽井沢で終戦を迎え、その前後4年間、軽井沢に居たのです。彼の両親を日本に誘ったのは有名なピアニストだった原智恵子、そして、パリ、軽井沢で友達だったのは、これまた有名な建築家、坂倉準三夫妻です。その原智恵子は後年、ガスパール・カサド・チェロ・コンクールを主催し、現在八王子市で続けられています。http://www.cassado-cello.jp/japanese/j_about01.html、また坂倉準三は今年没後40年を記念して軽井沢ではル・ヴァン美術館で展覧会が開かれています。http://www.levent.or.jp/ この写真はトムの父、フランシス・ハーの素晴らしい写真集、坂倉準三の展覧会の記念カタログ、そして、赤い本はトムが是非読むようにと紹介してくれた、彼の友達、アイザック・シャピロが最近出版した「EDOKKO」で、この人も軽井沢に疎開してその大変だった生活が生き生きと書かれていて大変興味深い本でした。
午後の境内
2009年10月5日月曜日
東京の生活はランチから
2009年10月4日日曜日
秋を感じる
軽井沢の家の管理人のおばさんは絵心のある人ですが、昨日はおおきななめこを両手に一杯もってきてくれ、今朝は「ちょと、秋を感じて頂こうと思って」とコスモスとワレモコウとゆでた栗をもって来てくれました。「ワレモコウはイノシシにちょっとたべられてしまって」ということです。花を花瓶にさし、甘い栗をいただいて、初秋の軽井沢を楽しみました。お昼前に自転車で町に下りて、知り合いの店を訪ねました。カフェ・イーナではブラジル人の奥さんに、リオ五輪決定のお祝いを言いました。「東京でもよかったの」ということですが、嬉しそうでした。ここで、喜ぶべき事に今月29日〜11月8日まで「追分コロニー」で開かれる、河村目呂二展のDMが置いてありました。「目呂二の追分猫日和」是非、見に来てください。
帰りは3時過ぎて気温が低下、坂道を自転車で登るとももの筋肉があと数分でつること確実という状況になりました。家で直ぐにお風呂に入ってバンテリンをすり込みました。これからは寒くなるので、自転車は気をつけなければなりません。
2009年10月3日土曜日
中秋の名月
2009年10月2日金曜日
今日の軽井沢駅
2009年10月1日木曜日
表参道散見
毎度の表参道スパイラルの風景です。先週、フランスの友達がここで何か彼女のボーイフレンドに買ったとかさわいでいましたが、ときどき和風のものが売っていたりするもので、そんなものを買ったのでしょう。今朝、歯医者さんが表参道に行った話をしてくれました。この先生はとにかく観察が鋭いので、紀ノ国屋に行ってみると団塊の世代までは夫婦とか、友達とか複数で買い物に来るが、それより下の年齢は一人で買い物をしているのがほとんど。表参道の南青山を一本入ると美容院が多いが、あれはどうやって共存しているのだろうかとか。その話を聞いたので、表参道に自転車を止めて少し観察してみると、どうもセレブの若夫人たちが青山学院の幼稚園か小学校かの子供を連れているのが目に付きます。それにしても、またスパイラルの前は行列です。何でしょうか。
秋の?「あけび」
残念ながら見せて頂いただけで、食べていないので、「秋の味覚」とは書けませんでした。でも、先生の浜松お墓参りのお土産のういろうは美味しく頂きました。軽井沢でもそろそろあけびが見られるかも知れません。場所はわかっているのですが、国有林の中なのですが、道に近いところにあるので、たいていは誰かにとられてしまいます。明日、軽井沢に行って見てみましょう。栗もとれるとおもいます。木によって豊作かどうか、庭も見てみましょう。庭の栗も留守をしている間にたいていとられてしまいます。軽井沢もめっきり人口が増えたので、栗やくるみがのどかに地面に広がって見えることがなくなってきました。同じような帽子をかぶり、同じような上っ張りを着て、同じようなトレーナーのズボンのようなものを履いた、同じような年齢の人達が他人の庭にはいって、栗、クルミ、キノコ、どんぐりを採っていきます。春になるとサクラソウなどの花も盗られてしまいます。猪や熊の方が許せると思うときもあります。人間のあさましさには限度がありません。
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