2009年12月31日木曜日

大感傷旅行


この写真をよく見て下さい。後ろのほうに噴煙をあげている桜島が見えるでしょうか。この写真をクリックして拡大して下さい。実はこの写真を撮っている場所こそ約半世紀前、私の父が鹿児島県の農政部長をしていた頃、部長官舎のあった場所です。総ての建物、道路が変わってしまって、なかなか思い出さなかったのですが、ここからの桜島の景色が間違いなくここにわが家があったことを教えてくれました。折良く爆発があり確認しやすかったのです。勿論、全景は低い家の屋根だけで、桜島は中腹より上は良く見えたものです。私の友達の弟さんが鹿児島でパン屋と韓国料理店をやっていて、親切に古い地図をさがしたり、県庁などに問いあわせてくれて連れて行ってくれたのです。

2009年12月28日月曜日

家政計画学

前にブログで書いたカレンダー屋の写真を撮ろうと行ってみたところ、今日は日曜日でお休みでした。全くカメラを毎日携行していないとシャッターチャンスを逃してしまうのです。辛うじて印刷会社の前にポスターが貼ってありました。100円からという安さです。電球が切れたのでLED電球を買おうかと思いましたが近くのスーパーにはありませんでした。パルックボールとかいう長寿命のものを買って見ましたが家に戻ってつけてみると、使えませんでした。精密に生活しないとやっていけない時代になりましたから、逆にゆっくり考えて電球を買う生活を設計しなければなりません。建築計画学ならぬ家政計画学です。さて、3日ほど鹿児島に行きます。パソコンなど電子機器は持っていきません。お土産ブログをお楽しみに。

2009年12月27日日曜日

年末作業

日本に来て建築を勉強しているドイツ娘からメールが入って、世話になった人に年賀状を出しているのですが、住所のわからない人がいるので教えて下さいという。まだ、1年ちょっとの滞在ですが、すっかり日本に馴染んでいます。こちらは未だ外国の友達向けの日本のカレンダー送付の作業です。近くにカレンダー印刷屋があって店先に箱ごとならべて売っているのです。市価の7割ほどの値段でしょうか。これを入れる筒を文具屋で買ってきて、宛名ラベルを貼って、郵便局にもっていくのは結構な作業です。でも日本の美人画カレンダーを楽しみにしているフィージーに暮らしているスコットランド人の友達などいて、やめるわけにはいきません。

2009年12月25日金曜日

淋しいクリスマスイブ

クリスマスイブということでしたが奥方が職場のパーティだったので、1人でご飯を炊いて、それにレトルトの牛丼をかけて食べ、テレビでアガサ・クティーの「ミス・マーブル」を2時間半見たというのが実状です。このブログを見ている方から、「貴方の生活はセレブねえ」とのお言葉、実は見栄でよいところをお見せしているのですともいえず、これからは実状をできるだけ見ていただきましょうか。でも、なんだか未練が残るので、一昨日のお昼に行ったチェコ料理のグーラッシュの写真を小さく載せておきました。もともと、うちの近くにあった小さなお店が移転したので、行ってみたのです。

2009年12月24日木曜日

雑誌「KURA」1月号



信州の雑誌ですが、全国的にも販売されている「KURA」1月号が発売されました。11月号から2ページの記事を連載していますが、新年号は力を入れています。インタビューとなっていますが、文章はすべて私が書いています。写真はプロのカメラマンが撮ります。テーマは軽井沢のエコミュージアムづくりということで、いろいろな人に軽井沢のいろいろな地域で話をきいていきます。今回は信濃追分で古書店をやっている人物です。ニューヨークに10年いて銀行の為替ディーラーとして第一線に立っていた人が、静かな田舎の片隅で古本屋になっているというのは現代最大の皮肉としかいいようがありません。是非、お読み下さい。

2009年12月22日火曜日

軽井沢Webカメラ

旧軽井沢銀座の中程にある観光会館の屋根にWebカメラが設けられています。現在、ここからの映像で人通りがありません。年末の平日の午後4時ともなれば、さすが、中国からの観光客もいないようです。役場のページからカメラ設置の町内5箇所の映像を静止画、動画両方で見られます。冬、東京から行く場合、この映像で軽井沢の状況を確かめながら行くのですが、残念ながら別荘地内の場合は私有地ですからカメラが設置できません。しかし、雪の状況は道路付近と別荘地内では全く違いますので、これでわかるのは国道、県道、町道の公道だけとなります。この映像を見て安心してするのは危険です。別荘内の道はがんがんに凍っていて恐ろしいこともあります。われわれ歩き人間ははく靴を選ばなければなりません。江戸原ペンションの犬グレッチを連れているときにタイミング悪くひっぱられれば、そこで転倒することもあります。

2009年12月21日月曜日

ブラジル人のカレー



昨日のお昼は軽井沢の東雲の交差点にあるおなじみのカフェ・イーナに行きました。ご主人が「今度新しいメニューを出しました」どうですかと言うので、早速頂くことにしました。「フェジョアーダといって、ブラジル人は日本人がカレーをよく食べるようにこれを食べるの」とブラジル人の奥さんの説明をききながら食べました。なかなかおいしい。豆や肉がとことん煮込んであるこの黒紫のスープを左のご飯にかけ、ついでに緑の野菜、特別の薬味など全部まぜて食べるのです。

2009年12月20日日曜日

今年最後のヴィラデスト


ヴィラデストに着いたのが午後4時、写真を撮るのにぎりぎり間に合いましたが、太陽は北アルプスの雲間に沈んでしまい、寒々しい冬景色となりました。今年何回目でしょうか、たしか5回目か6回目でしょう。今年の営業は3月20日からスタート、24日クリスマスイブでクローズです。夕食を玉さん夫妻とわれわれ4人でゆっくり食べました。一昨日、玉さんがNHKで「さよならオリエント急行」の番組に出ていたところから話がはずみました。フランス語のオリエント急行の本を翻訳していたのが軽井沢だったのです。そこから軽井沢→東御市ヴィラデストのものがたりがスタートしたのです。

2009年12月18日金曜日

山は雪


正午で零下5度ほどです。思ったより寒いですね。軽井沢駅に着いたときには0度でしたが、山に上がってくると雪も激しく降っていて、部屋もなかなか暖かくなりません。厚いジャンパーを着て、ヒーターや暖炉を炊いていますが、なかなか温度が上がらず、手がかじかんでキーボードをやっとの思いで打っています。これ以上書けそうもないので、取りあえず下のベッドルームで過ごすことにします。

2009年12月17日木曜日

上野公園


寒くなりました。モーツアルト協会のコンサートの後、上野公園を通って、仲間の友達のやっている蓬莱閣に夕食を食べに行きました。
イルミネーションツリーが結構きれいに見えました。でも、よく見るとホームレスがあちこちに寝ています。今晩はこのままでは凍死する可能性があるのではないでしょうか。東武上野駅から地下鉄銀座線の上野駅につながる地下道は暖かく、ここで寝ている人達は大丈夫でしょう。中には高級品のカメラバッグを枕に、これも高級なコートを着て寝ている人もいました。どういうひとでしょうか。

2009年12月16日水曜日

エコツーリズム(吉武ゼミ)

今回はエコツーリズムというテーマではなしがありました。ガラバコス、小笠原と魅力的な地域に行く、このエコツーリズムは人気になっているようですが、環境の保全と観光の両立が難しい課題になっています。また、エコミュージアムとは兄弟なのですが、どちらも地域の人達自身が自分たちのプロジェクトとしていくことがなかなかできないところも同じ問題をかかえているわけです。エコツーリズムは自然だけでなく、その地域の人達の生活と文化を観光の対象にしていることも重要で、これも日本の観光ではうまく入らないところです。すべてが縦割りの社会の弊害がここにも出ています。講師の先生とこの問題に取り組むテーブルをつくれればと話ました。われわれのゼミの役割かも知れません。

2009年12月15日火曜日

ランチの値段


渋谷駅から2,3分、ビル、ビル、の谷間にこの風景が突如として見えるのです。ここだけは100年前の風景といってもおかしくないのです。どのような人が、どのように住んでいるのでしょうか。瓦をビニールテープで補修しているのはお金がないのか、もう、修繕する職人がいないのか、瓦屋根を保存することすら大変です。軽くランチを食べた後、事務局長が楽器屋へ寄りサックスの調整を頼む問いあわせをしてから、たまには違う道を通って事務所に帰ろうということになり、歩いてみると面白いことがわかります。それはランチの値段です。この辺りは駅の裏側で人通りはそれ程多くはありませんが、事務所はたくさんあり、800円台というめずらし値段です。うちの事務所までくると渋谷から10分、1000円が相場です。
駅のごく周辺で700円というところです。

2009年12月14日月曜日

大望年会

95才と99才のお医者さんご夫妻主催の忘年会ではない望年会が中華料理屋で盛大に開かれました。余興のフラダンスと先生の旧三校の「琵琶湖周航の歌」を先生自身、幣衣破帽のコスプレで現れ、万座の拍手に迎えられて歌われました。先生は旧制三校ではなく、旧制大阪高校のはずですが関西のよしみでしょう。フラダンスも正調らしく、先生の歌も正調で本来は太鼓の伴奏で歌うものだそうです。われわれは端の方でワインを2本、大いに笑って盛り上がりました。

2009年12月13日日曜日

軽井沢の陶芸家の展示


古くから軽井沢で知り合っている陶芸家が下北沢の画廊で近作を展示しているというので、出掛けました。駅からはすぐですが人出の多い土曜日の午後で、会場を見つけるのに手間取りました。「すぐもどります」という表示が出ていたので、しばらく近くを歩いて戻ると彼が待っていました。毛糸の帽子とセーターという芸術家スタイルです。写真のような作品がならんでいました。彼の得意の薄手の陶器のぼんぼりです。森の中のイメージのようです。キノコのイメージでもあるようです。中に入れる電球が話題になりました。柔らかい光がポイントのようです。彼と別れて近くのややレトロのお店でコーヒーを飲んでもどりました。下北沢もこの辺りは若者相手の安物を売っていました、やや下北沢の品が下がった感じです。

2009年12月12日土曜日

ドイツのお父さん


ドイツから建築の勉強に来ている友達のお父さんが彼女を訪ねてやって来ました。早速、歓迎パーティです。お馴染みの渋谷「おまかせ亭」に関係者を集めてにぎやかに一夕を過ごしました。お父さんはドイツの大学の先生で放射線医学の権威です。彼女の家族は妹が4月、弟が9月、お母さんが10月、そしてお父さんです。
日本側も建築系と医学系が集合。偶然、建築系と医学系の先生が同じ年生まれで、駒場で一緒にドイツ語を習ったとかで盛り上がっていました。

2009年12月11日金曜日

Agora14号発行


正式に言うと早稲田大学第一文学部、哲学科、社会学専修、昭和37年(1962)卒業のクラスメンバーで発行している雑誌「Agora」14号が出来上がりました。在学中に4号まで、1995年に5号、2001年からは毎年発行して今年は14号です。第1号発行から今年で50年です。こうした雑誌としては珍しいものだと思います。クラスメートからの原稿も良く集まって今回も100ページになりました。巻頭言が私の担当で、その他、河村目呂二について書いています。8日にクラスの仲間で集まれる人達に出来上がりほやほやの14号を渡しました。

2009年12月9日水曜日

焼き芋祭り


昨日の朝、神道研究家で神社の行事にめっぽう強いうちの事務局長に「今日11時から焼き芋祭りが金王八幡でありますよ」と言われたのででは、出掛ける前に行ってみようということになりました。誰も集まっていないのではないかと思いきや、近所の幼稚園でしょうか、お母さん達が3箇所にかたまっていました。2つは枯葉の山でアルミホイルにつつんだサツマイモが投げ込まれています。煙がもうもうです。もう一つは火を作る実験で、子どもたちが挑戦していました。なかなか楽しいイベントです。残念ながら芋が焼けるまではいられませんでした。

2009年12月8日火曜日

冬に暖かく


事務局長とランチに行った帰りに夏みかんでしょうか、たわわになっているお庭がありました。このような時期にこのような景色は以前葉山でよく見かけた風景で、冬になにか暖かい感じがしたものです。いまや東京にこんな風景を見るようになったのです。渋谷のこの辺りも一本道路を
奧に入れば古いお宅も多く、まだこのような木が植えてあるのです。近くに志賀直哉のお宅も未だ残っています。

2009年12月6日日曜日

原宿駅の寒椿


原宿の事務所に通うときに、神宮側の普通は使われないホームの側がきれいで、ときどきながめています。これは一昨日の写真ですが、このところ晴れる日と曇ったり雨になる日が交互にきていて、やはり写真は晴れているときに撮りたいですね。今日は日曜日で晴れになり、昨日の夜の強い雨が嘘のようです。昨夜は近くのレストランで友達と大阪の研究誌の記事を書くことの打合せを10時過ぎまでやっていたのですが、帰るときには雨はあがっていました。今日は晴れていたのですが、昨日の疲れもあり終日、加藤周一の本と格闘していました。まともにぶつかるのは無理です。彼がフランスにいた若い時にひととおり近代フランスを読みこなしていてそれについて書いているのですから、読んでいない私はどうするかということです。

2009年12月4日金曜日

今年のボジョレ



昨晩、おまかせ亭で夕食をしましたが、店長が今年のボジョレは50年ぶりの良いものが出来たそうで、それを飲むことにしました。ニワトリ印のボトルです。たしかに、きれいな味です。まあ、若いワインですからこくはないわけで、比較的軽い料理と合うわけです。いずれにしても、11日のドイツ人親子の歓迎会にフランスワインで対応してやろうと、おまかせ亭残りの2本をキープしてもらうことにしました。料理ではホタテのコキールが良かったですね。なんとか身体を温かくして小雨の薄ら寒い道を歩いて家に戻りました。

2009年12月3日木曜日

クリスマス・イルミネーション

今年はイルミネーションが電球のせいか多くなったような気がします。表参道には未だ行っていませんが、昨日は新宿へ出た帰りにセンタービルの辺りでかなり派手なイルミネーションがあり、下にはクリスマスツリーも見えました。お昼には外人さんも写真を撮っていました。新宿を歩くのは久しぶりですが、西口の高層ビルの間はすっきりしています。お昼は住友ビルの最上階、47階、住友クラブでしたが、昨日は天気もよく暖かかったので、皇居の方は霞んで見えていました。

2009年12月2日水曜日

剪定


家から出て駅へ向かうときに横切る八幡通りです。渋谷区に依頼された業者でしょうか、「剪定」と看板を出して、街路樹の枝を落としています。左のプラタナスでしょうか、完全に枝が落とされて寒々としています。青山通りの街路樹を植え替えと称して全部根こそぎ抜いて、何年先になるかわからないほど、丸坊主にしている港区に比べて良い事だと思います。

2009年12月1日火曜日

葉山の余韻


一日ぐらいは葉山の余韻を楽しんでおきましょう。この先の左側に見える堤防の一部は先日の台風8号でしたか、本州を直撃した台風で崩壊したそうです。友達の夫婦が3階の窓から見ている間に崩れ去ったそうです。葉山港の漁船も何隻がひっくり返り、現在もクレーンが来て回収作業をやっているのです。地元の漁師も生まれて初めての経験だったそうです。波の恐ろしさをあらためて感じたといっていました。

2009年11月30日月曜日

葉山


SRO湘南リゾートオフィスの久しぶりの集まりで葉山に行きました。残念ながら曇り空で、薄ら寒い中を葉山マリーナを横切って、会場のマレード・茶屋へ向かいました。近くに友達がやっているホームシアターや高級オーディオ装置を販売しているCADENZAがあり、先にそちらに寄って、この分野の最新情報をききました。AVのシステムが今や建築と結びついて、居間ばかりではなく、キッチン、バスルーム、洗面などあらゆる空間に広がっています。典型的なものは鏡です。鏡の前で化粧や着るものを合わせながら、鏡に組み込まれたディスプレイでテレビを見たりするものです。この不況にもかかわらずこうしたAV機器を組み込んだ豪邸を建てる人達がいるそうで、CADENZAは多忙を極めているとのことです。

2009年11月29日日曜日

タイ・チョコ


事務局長が奥さんとタイに旅行し、お土産にチョコレートを買ってきてくれました。こちらはタイに行ったのは随分前のことで、タイのチョコレートというと違和感がありましたが、家では大好評で折しも私の大学のクラス雑誌「Agora」の編集、印刷をやってくれている友達も「すすめられると断れない」とハイカロリーをものともせずに喜んで口にしていました。ミルクチョコのこくと甘みが”たい”したものでした。

2009年11月28日土曜日

お裾分け経済


昨日、お昼を食べに行くときに銀杏がきれいに見えたので、近くの氷川神社にまわりました。この神社はもともとかなり大きな神社です。この参道の長さをご覧下さい。銀杏は思ったより少なく大したことはありませんでした。目指していたレストランがやっていなかったので、中華レストランで定食をおいしく食べて戻りました。午後、原宿の事務所に行きましたが、葉山に800坪の庭を持っている人からのミカンのお裾分けがありました。ドバイ・ショックを考えると、このようにお裾分け経済で欲張らずに生活することが大切です。

2009年11月27日金曜日

幼馴染みの出版


幼馴染みの友達の書いた本が岩波書店から著者謹呈で送られてきました。出版の日が昨日の11月26日です。さすがに岩波ですね。彼は慶応大学で定年まで教えていて、アートセンターの所長などを勤めて、現在は名古屋の方の大学にいっています。この本は実に内容が詰まっていて、長く彼の仕事を見てきた私にとってはわくわくするような項目がならんでいます。「コツコツ、コツコツ」と仕事を積み重ねてきていますが、なにしろ「百科全書」の研究ですから、絵あり、図あり、興味が尽きません。それにこの本には私も啓発された「下河辺アーカイヴ」の話が入っています。われわれの「吉武アーカイヴ」を再度考えなければなりません。

2009年11月26日木曜日

追分を考える


追分でのインタビュー記事を書いています。この写真は油屋旅館の隣にあり堀辰雄の旧居だということです。堀辰雄の家といわれるものは軽井沢、塩沢の軽井沢高原文庫にもあり、堀辰雄記念館の中のものをいれると3つあることになります。追分というところは不思議なところです。旧中山道の宿場という風情を残していて、そこに沢山の文化人が戦前、戦後を通じて別荘や住居をもち、沢山の作品を残しています。こうした文化的集積をどのように生かすかは、かなりの抽象力を必要とします。考えなければなりません。

2009年11月24日火曜日

バラ色浅間山


今朝、6時過ぎの浅間山です。東京へ出勤?時間のため、もっと良く撮れるところまで行かれなかったので、この程度です。この3連休はなんだか予報より天気がよくそれだけ人がでたのでしょう。
昨夜の話ではアウトレットのプラチナセールは大盛況で、なんでもブランドものを売っている店の娘は20万円のドレスを5千円で売っていたそうです。(普段は5千円のものを20万円で売っているのかも知れませんね)しばらく東京で仕事ですが、出来るだけ軽井沢の話題も取りあげられるよう努力します。これからHPの方も更新しなければなりません。

2009年11月23日月曜日

勤労感謝の日、まったく

軽井沢ロータリーのクリスマスデコレーションです。昨日の晩、花火をあげて「軽井沢ウインターフェスティバル」のオープニングでした。(花火の音だけが聞こえてきました)今朝は軽井沢名物の霧で始まりました。そして霧が晴れると快晴です。町に出てみると恐ろしいほどの人出です。これはまずいと急いで横道に入り、軽井沢会の事務所に所長を訪ね、16日の理事会の顛末を聞きました。お昼はカフェ・コンヴェルサに寄り、例のボルシチのお昼を食べながら、問題の旧細川邸、桂並木の状況を聞いて貰うことにしました。やや進展の気配でもうちょっとで現状は確認出来るかも知れません。1時には山に戻って、ハワイにいるアメリカ人カメラマンからの軽井沢での個展開催の打診について返事をメールしたり、今日は昼寝もせずに忙しく過ごしました。12月10日〜20日にドイツの友達が来るとのことで、これからの来軽の予定が立ちません。

2009年11月21日土曜日

KURA1月号用取材


今朝は6時過ぎにさわがしい犬のなきごえをまねする人の声、パン、パンという音がして、あわてて起きて窓を開けてみると猿が庭を横切っていき、猿を追ってユニフォームを着た人たちが通っていきます。「ドアなどを開けておかないで下さい、猿が入ります」と言い置いて行きました。パン、パン、ワン、ワンと猿が隣の敷地に向かっていきます。
寝不足になりましたが、午前中は樋を外して冬に備え、薪を何本か割りました。午後はKURAの取材で編集の人が車で追分コロニー(古書店)に。夕方、5時半まで、コロニーの主人のインタビュー、追分の何カ所かの撮影と働きました。カメラの撮影があり、天気が良くて本当に助かりました。頼んでおいた古本5冊を引き取り戻りました。この写真は悲しい物語、追分宿にまつわる遊女の墓です浅間山を背景にどこからか連れてこられてこの地で名もはっきりしない墓に葬られた彼女たちの運命はどんなものだったでしょう。

2009年11月20日金曜日

初冬の浅間山


今日は軽井沢町の文化財関連の委員会です。11時半頃に軽井沢駅に到着、お昼を「和助」で天丼を食べて12時半のバスに乗って教育委員会のある公民館の会議室に向かいました。公民館横の役場職員の駐車場から初冬の浅間山がきれいです。噴煙があがっていないのがちょっと残念でした。今日は委員会の後、町の施設の見学があり、戦争中の旧スイス公使館などをまわりました。

2009年11月19日木曜日

ピアノ本コーナー


本屋に立ち寄るとピアノの本のコーナーがありました。どれも面白そうな本で「パリ左岸のピアノ工房」など既に呼んだものを除いて全部買いたくなってしまいました。残念ながら、今、読まなければならない本がたくさんあるので、勇気をもって買うのをやめました。ときどきこのようなコーナーが出るといいですね。

千人の交響曲


夜の11時過ぎ、サントリーホールでの新日フィルの定期演奏会、その後オーバッカナールでの夕食が終わって、ゆっくりとした気持ちで帰途につくときです。ホールに向かって左側にある噴水の夜景です。山茶花が上に見えます。昨夜に演奏は常任指揮者のクリスチャン・アルミンクが出て、マーラーの交響曲8番、「千人の交響曲」という90分の超大曲です。200人以上の圧倒的な合唱団と8人の歌手、フルオーケストラ、曲の最後にわれわれの席の後ろにトロボーンとトランペット、パイプオルガン、その音量だけで身体が震えます。

2009年11月18日水曜日

雨傘の日










うちの事務所の窓から下を見ると傘の行列です。傘にもいろいろなものがあります。このヴァラエティはいいものです。雨の一日でしたが、仕事がはかどりませんでした。本来は晴耕雨読の雨読がうまくいくはずなのですが、面白くないメールが入ってきたり、集中力がどうしても出ないのです。前の日に「日本的民主主義」があるのかという議論があり、これに引っ掛かっているのかも知れません。

2009年11月17日火曜日

Agora表紙印刷

雑誌Agoraの編集長が製本屋に行ってくれ、相談してくれました。変形ですがやってくれるとのことです。ただ、7.8枚余分に作っておいてほしいとのことです。事務所の事務局長が見るに見かねて手伝ってくれ、2時間ほどで48枚印刷ができました。しかし、今度は用紙が足りないことがわかりました。あと10枚用紙を買ってきて印刷しなければなりません。このような手作業は毎回何か問題が発生し、その都度工夫して切り抜けます。

2009年11月16日月曜日

白楽

世間の人達が七五三や公園で楽しんでいるのですが、こちらはA3のプリンターで印刷不能のクラス雑誌の表紙をかついで東横線の白楽に行きました。勿論、この駅は特急や急行は止まりません、菊名で乗り換えです。この駅の裏側はそれこそうらぶれています。天気が良いと余計さびしいですね。風に赤提灯がゆれていたりしています。
友達が待っていてくれて近くのコーヒー屋に入って表紙を渡しました。彼の小学校の同級生がやっている製本屋で相談してくれることになっています。

2009年11月15日日曜日

雨上がり


昨日の雨上がりは急に暑くなって大変でした。太陽の照り返しが横断歩道で光っていました。
土曜日でしたが、クラス雑誌Agora14号の編集作業で朝から夜までかかりました。外に出たのはお昼を食べるためだけでしたが、この時期、この暑さには驚きました。Agoraのことについては改めて書きますが、今年は創刊からなんと50年、文学部で安保などで悩んでから半世紀というわけです。

2009年11月14日土曜日

加藤周一「ある晴れた日に」


この本のスタート「土屋太郎は、落葉松の林の間にどこまでもつづく坂道を辿りながら・・・・」。軽井沢に長い人ならすぐにこの背景を思い浮かべることができるでしょう。これは4月ですが、軽井沢は今頃から4月頃まで半年、景色は変わりません。木の葉が落ちて、落葉松の林がつづく道が「歩くことの出来る人間」には限りない創造の源になるのです。「車で走りまわっている人間」には縁のない話です。加藤周一のただ一つの小説といわれているこの著作は、この落葉松林を抜けてグリーンホテルと思われるホテルに進んでいくのです。内容は重いものですし、加藤周一の基本的なテーマになるのですが、若い頃から軽井沢に過ごしていた彼の中に常に軽井沢の風景がバックにあることを感じないわけにはいきません。

2009年11月13日金曜日

朝の通勤時間


原宿から新宿よりにお召し列車の駅があります。どうやら、即位20年で柵のペンキは塗り直してようできれいになっています。朝、事務所に向かうときはこの柵が目に入ります。通勤という感じは元気良くというわけにはいきません。面倒な打合せの場合が多いわけで、どうしても気が重くなります。今は景気の低迷、政権交代で不透明な将来で様子見の相手に、プロジェクトを仕掛けるのは困難です。

2009年11月12日木曜日

カメラ修理不能

セミ・プロの写真家で、「写真集」を出しているのかと高名な詩人に言われているうちの事務局長にカシオのカメラを見て貰いましたが、個人では修理不能ということ。メーカーに修理に出さなければならないことがわかり、修理を断念しました。1度修理に出しましたが、修理代が高く引き合いません。買い換えることにしましたが、事務局長の教えを乞いながらしばらく検討することにし、その間、うちのおくさんのカメラを借りることにしました。昨日は朝は東洋伝承医学研究会の理事会、その後は夕方まで雑誌の編集でしたが、その午前中の会議で理事の1人が、おそろしく読書をしていることがわかり、読書と人間の言動がどのように結びついているのか考えなければならないテーマだとおもいました。

2009年11月11日水曜日

カメラが不調


毎日使っているのですが、何度か故障し、一度ビッグカメラでなおしに出したカシオのカメラが「手ぶれ補正のシステムが使えません」という表示が出て写真が撮れません。外ではまったく使えず、バッテリーを入れ直したりしてみましたがダメでした。
夜になって家の中でもう一度使ってみたところ、なんとか2,3枚撮れましたので、失礼ながら自分の部屋を公開することになりました。説明はしないでおきましょう。片付いていませんね。いずれにしても、小型のカメラを買い直さなければなりません。

2009年11月9日月曜日

藍綬褒章の落ち葉掃除


藍綬褒章の管理人に落ち葉掃除をしてもらうのですから値千金というのでしょうか。今年からは掃除代は何倍にも跳ね上がったらどうしましょう。雨でも降ると落ち葉が吹き飛ばせなくなるので今朝は早くからうちの庭をやってくれていました。その上、駅まで来るまで送ってくれて、昨夕はなめこやなすなどの野菜や豆腐もくれて至れり尽くせりです。この週末も仕事が沢山ありました。今週は東京でゆっくりしたいものですがどうでしょう。

2009年11月8日日曜日

沢屋のピロシキと私の文章


軽井沢では名前の通っているジャムの沢屋さんのテニスコート通りの店に行くと、喫茶コーナーがあります。そこのテーブルに「旧軽井沢ピロシキの歴史」と書かれた案内が出ています。私が雑誌「KURA」の軽井沢特別号に書いたページが使われていました。沢屋さんの社長が天皇、皇后軽井沢のロマンス時代に売っていたピロシキと同じものを再現して食べさせているのです。これは中村屋やロゴスキーの揚げパン風のものと違って外側は比較的かたいパンになっています。中身は挽肉、タマネギがたっぷり入って食べ応えのいいものです。

2009年11月7日土曜日

枯葉をブロワーで吹き飛ばす

庭の木の葉がほとんど落ちたので、ベランダの枯葉をブロワーで吹き落としておくことにしました。枯葉は屋根や樋にもかなりついています。唐松の細かい枯葉は作業中でも洋服や髪の毛に飛んできて、まつわりついてしまいます。この電動式のブロワーの欠点は電気のコードの長さが限度ということです。今年はドングリや木の実の当たり年で、ベランダの板と板の間にたくさんつまっています。木の実が多かったのでイノシシが来なかったと先日書いたとおりです。次に軽井沢に来るときには吹き落とした枯葉も一緒に管理人のおじさんが、きれいに集めて処分しておいてくれるはずです。ただ、今年はおじさんが16日に藍綬褒章の親授式のため、それが終わるまでは作業にかかれないかも知れません。

2009年11月6日金曜日

初冠雪の残り


軽井沢に来てみると,浅間山の頂上にわずかに雪が残っていました。午前10時50分のバスに乗ったのですが、バスからはうまく撮れません。家についてから、急いで自転車に乗って,旧スケートセンター、ボーリング場(もう昔に閉鎖されている)に下りていき、その裏の定点観測場所で撮ってみました。しかし、30分で雪はもっと溶けたように見えました。素晴らしい晴天で、日向と日陰の温度差は10度にもなるのではないかと思われました。新幹線を下りるところで軽井沢ナショナルトラストの仲間に会いました。なんでも「軽井沢ツー・デイス・ウオーク」のガイドをするそうです。

2009年11月5日木曜日

岩波ブックセンター

カタルシスの語源を調べるために
岩波文庫のアリストテレス「詩学」を買うために岩波ブックセンターに行きました。神保町の交差点近く、岩波ホールの隣にあります。岩波の本はここへ行けばあるのです。岩波文庫の棚で青帯の並んでいるところにすぐ見つかりました。しかし、カタルシスについては一行書かれているだけで、注釈が膨大です。実際には古代ギリシャで使われた言葉を現代日本で正確に知り得ることはないでしょうが、想像力を尽くしてみなければなりません。