2015年12月18日金曜日

軽井沢への部屋へ



9月に買って置いた作品が届きました。早速、壁に掛けて見ました。なかなか良い感じではないですか。絵を買うのはなかなか勇気がいるものですが、
好きなものを買うしかありません。

勿論、有名な画家の絵を買うわけではありませんから、セカンダリー・マーケットは成立しませんから、売ることもなく、ここに掛けられておくことになるでしょう。部屋に彩りが出ることは良いことですね。

2015年11月29日日曜日

軽井沢彫りの逸品



フランス、ドイツ、スイスのデザイン、技術を軽井沢彫りにまとめたシバザキの柴崎君の逸品、ボールペンです。これを、ヴォーリズネット建築全国ネットワークの
事務局長の関西学院大学の田淵先生が学院長になられるお祝いにと昨日買い求めました。

先ず、この赤いマークは柴崎君のイニシアルですが、軽井沢ゆかりのフランスの版画家、ポール・ジャクレーからもの、ボールペンのインクの入っている軸とボールそのものはドイツとスイスのもの、そしてうるしぬりの軽井沢彫りというわけです。

つまり軽井沢のお土産品も機能が十分なもので、日常の使用にも耐えるものが出来たというわけです。もっとも芸術品になって、国際的舞台で調印式にでも使えるのではないでしょうか。

町長にセンスがあればサミットの交通相会議に使って貰うようにするでしょう。

2015年11月27日金曜日

外が寒いと暖かい部屋での脳の活動が活発になります



紅葉の10月から早くも雪景色の軽井沢になりました。気温もこの時間には零下になっているようです。久しぶりに江戸原ペンションでオーナー夫妻にコーヒーを振る舞ってもらい歓談しました。

町のこと、宿泊施設のこと、政治のこと、気候変動のこと、われわれの共通の友人達のこと、私の企画している択捉調査のことなど話は多岐に及びました。
暖かいペンションの広間でゆっくり話ができることは何よりです。

家にもどると、暖炉の暖かさがようやく部屋全体に広がり、やっと、このブログが書けるようになりました。軽井沢のように冬が非常に寒いところではこの暖かさが何よりです。そして、この暖かさの中で、ものごとを考えたり、原稿やブログを書いたり、本を読むことが実に気持ちよく出来ます。もっとも居眠りには最高でこれは切りが無いので、お昼を食べたら早めに昼寝を1時間弱してしまうことがコツですね。

このブログは軽井沢専用で、私が軽井沢にいるときにしか書かないので申し訳ないのですが、ポツポツですが続けていくことが大切だと思っています。

2015年10月20日火曜日

黄金の軽井沢、紅葉が最盛期でした



長倉神社の公園の紅葉です。今年は良いときに来ました。この1週間は最高に紅葉がきれいでした。
多分、今週末までが最盛期であとは枯葉になって散っていくことになるでしょう。
6日の滞在のうち、5日は会議や打ち合わせがありましたが、それでも、家のまわりを
きれいにしたり、ゆっくり過ごすことができました。

これで英気を養って東京でばりばり仕事ということなのでしょうが、そこまではいきませんが
何とか、いろいろある案件を片づけなければなりません。

月末には大阪出張もあります。

今のところの予定では次の軽井沢は来月末でこれはもう寒くなるので防寒対策で
来なければなりません。

2015年10月15日木曜日

ヴィラデスト・ワイナリーで鹿肉を食べる



今日は千ヶ滝の小屋に行く前に軽井沢を通り越して上田に行き、そこから玉村豊男のワイナリーに行きました。

着いてすぐにランチ、メニューに鹿肉があったのでさっそく注文、時間が掛かるとのことでしたが、確かにホワグラをあしらって、パイ包み、これはフランス料理ですね。中央ヨーロッパの秋に出るジビエ料理は鹿も雉子もワイルドに料理されていますが、そういえばフランスで鹿を食べたことがありません、もっぱら、うさぎです。

秋めいて、このヴィラデストのある東御市でも今朝は4℃とか、紅葉もスタートという感じです。秋の日が葡萄畑に当たって静かなたたずまいになっています。
ワイナリーのカフェ・レストランは大繁盛。ほぼ、満席です。平日といってもおじさん、おばさんでかなりうるさい状況です。

玉さんと打ち合わせを1時間ほどして千ヶ滝にもどりました。浅間から煙が立ち上っていました。

2015年9月25日金曜日

晴れのち雨



シルバーウイークを避けて東京にいて軽井沢へ、雨、それもかなりの土砂降り。いつもの11時45分軽井沢駅発、草津温泉行きの乗ると、かなりの乗客でした。
皆さんプリンスランドへ行くという。私は行ったかとはありません。

今日は幸い駅の売店に「玄米弁当」を売っていました。なにしろ500円です。かみかみ80回から100回、噛めば噛むほど美味しくなるのですが、なにせ、少ししか作らないのです。いつも、10過ぎには売り切れているのです。予約するといいと電話番号が書いてあるカードを貰いました。

家について直ぐに玄米弁当と食べ、頼んであった風呂場の電熱の取り替えをユキ電化に電話。幸いタイミング良く、直ぐ来てくれて手早く取り付けて貰いました。
ついでに玄関のチャイムも電線をつなぎ直して貰いました。

ついで、江戸原ペンションに向かったところ、これもタイミング良く大輔君が車に機材を積み込んでいる最中で、直して貰った自転車の修理代を払いました。4,800円でした。ペンションでは主人の光夫さんが昼寝中で、奥さんの弘子さんにコーヒーをご馳走になって直ぐに戻りました。

隣の別荘に来ている気配がしたので、FB仲間なのでメッセージを送ったところ、お茶に呼ばれ小1時間程、おしゃべり、この夏合わなかったので、旧交を温めたという感じでした。

2015年9月16日水曜日

犬の薬草



江戸原ペンションの犬を散歩に連れて行くと、ときどきこの草を食べます。多分、薬草ではないかと思いますが、わかりません。

勿論、犬には医者犬とかありませんから、自分で自分の健康を維持することが必要です。犬薬局はありませんから、自分で薬を探すことになります。それが多分この草のようなものではないかと思います。つまり人間のとっての薬草です。

動物が命を守る仕組みを考えることは人間にとっても何らかのヒントが得られるはずです。

2015年9月13日日曜日

客が来ない→店を開けない→客が来なくなる→商店の衰退



今朝は東京を6時28分の新幹線に乗ったので、軽井沢には7時半には着いて、町に出てみるとまだまだ起きている人達はほんの少ないようでした。閑散というか、活気がありません。町自体が地域創生とか言っているのですが、いろいろ言っている割には町民達が朝早く起きて、店を開けて元気にしなければ。「どうせ、店を開けても客は来ないから」という態度がありありです。悪循環です、町に活気がなければ人も来ないのです。

一つだけ開けている店は朝から満員です。観光客、地元、別荘客でしょうか、この店めがけてやってきます。

2015年9月4日金曜日

吉村山荘、森の小さな家



吉村山荘のコピーと思われる山荘です。他にも私が見たものがあと一件あります。本物の吉村山荘の前を通り掛かりましたが、多分吉村さんのお嬢さんでしょうか、工務店風情の人と話しながら家の周りを見ておられたので、どこか修理が必要なのでしょうか。

あらゆる大学の建築科学生が見学する必要のある、山荘入門とも言うべき、「森の小さな家」です。なんとか維持出来ればと考えているのですが、この建物についてはどのような方法があるのでしょうか。

吉村さんのお弟子さん達が先ずは考えてもらわなければなりません。

2015年9月2日水曜日

食材仕入れも高く付きます



朝の7時頃は土砂降りで、外出できるかどうかわかりませんでしたが、小降りになったので、千ヶ滝営業所発9時のバスで中軽井沢の駅に行きました。そこから「つるや」に行くのに雨がひどければタクシーですが、幸い雨があがっていたので歩くことにしました。まあ、早く歩けば15分で行ける距離です。

「つるや」もめっきり空いていました。いろいろ買い込まないと1週間もちません、「ゆずみそ」がなかなか見つからず豆腐は買いましたが広い店内をうろうろとさがしました。幸い、今日は誰にも会わず格好わるいところをみせないですみました。

帰りはどうしても荷物ですから、タクシーになります。千ヶ滝の家までもどると2.180円となります。迎え料金が180円ですから、なかなか高い買い物になります。

2015年8月30日日曜日

軽井沢ナショナルトラストの20周年記念



昨日、軽井沢ナショナルトラストの20周年記念の会に玉村豊男、玉さんに講演してもらいました。7月に頼みにいきましたが快く引き受けてくれたものです。

万平のハッピーヴァレーを会場として、記念式典、講演、懇親会、二次会とわれわれは朝9時に家を出てから、夜の9時半までこのイベントに参加しました。
二次会のときには丁度「ぶらタモリ、軽井沢」があり、それを「江戸屋」の別棟で皆で見ました。お馴染みの内田青蔵先生の案内に大いに盛り上がりました。

大きなイベントが2週間もつづきましたが、なかなか軽井沢もゆっくり出来ません。

2015年8月23日日曜日

日本・スイス シンポジュウム



昨日は昨年5月にスイス大使館に行って打ち合わせをして依頼、どうやらシンポジュウム開催にこぎつけました。

筑波大学と軽井沢町の主催で両者が非常に頑張ってくれました。

テーマである、終戦前後の旧スイス公使館の活動については依然としてわからず、今回のテーマの「謎をさぐる」と
いうことについては来年までにどの程度研究が進んで、どこまで謎が解けるかが問題です。

それと同時にこのシンポジュウムを軽井沢の新しい方向への先駆けにしなければなりません。

2015年8月18日火曜日

ああ、懐かしの千ヶ滝、西武大国



つわものどもの夢の跡ということでしょうか。昔の愛称は「千ヶ滝プリンス」とも「千ヶ滝温泉ホテル」とも、営業を止めてからもう何年になりますか。10年近くなりますか。

草ぼうぼうはともかく、施設のさび付きがひどくなり、いよいよ朽ち果てることになりそうです。滅失になっているのか、そうすれば税金は建物についてはかからなくなりますから、西武は考えに考えて朽ち果てるのを待つのでしょうか。

解体費用は膨大ですから、今の状態ではよほど採算の見通しが立たない限りやれないでしょう。いつか堤清二の最晩年に会ったときは、ここの土地をセゾン現美から伸ばして使うなどと豪語していましたが、これも夢のまた夢の話で終わりました。

2015年8月17日月曜日

田中正敏のクラリネット・サロン



パリのコンセルヴァトワールを出て、尚美や東京学芸大で教えているほか、全国を飛び回って、様々なジャンルの音楽家と様々なパフォーマンスを展開している田中正敏さんです。

千ヶ滝にある江戸原ペンションとは縁が深く、1989年から、或いはそれ以前からですから私達を含めて25年以上の付き合いになります。

とにかく元気一杯、その笑顔で多くの人達や学生を魅了しています。

2015年8月15日土曜日

お盆は毎年の悩み



今月も15日になり、少しは秋めいてきました。昨日は
トンボが乱舞しているのを見ることができました。

それにしても毎日、町に出なければならないのが困ります。
例によって、バスやタクシーは渋滞を如何に避けるかが問題です。
普通はタクシーで1,500円のところが3,000円になります。
バスに乗れば、普通20分のところが1時間以上かかります。

軽井沢での仕事もいい加減にしないといけません。文筆の方に
力を掛ける必要があり、会議、打ち合わせを少なくしなければなりません。

しかし、友達との会食はなにより重要ですから、どうしても
この千ヶ滝に籠もってはいられません。料理が上手、好きな
人がいればいいのですが。レストランばかりになり、これも
バカにならない出費となります。

2015年8月13日木曜日

豚の竜田揚げ、軽井沢風



この日はうちの奥さんが東京へ一泊で出かけたので、夕食は自分で作ることになりました。
かねてから作って見たいと思っていた、豚の竜田揚げに挑戦しました。

ただ、昔、うちにいたお手伝いさんが軽井沢で作ってくれたものとは違い、細切れの豚を
使うのではなく、生姜焼き用の豚を使いました。調味料をかなり使って衣に十分な味付けをし
それにしばらく浸しておきました。

うまくできましたね。われながら美味しいと。まあ、一人前ですからどうにでも出来るという
ことでしょうか。付け合わせもご覧の通りきれいに出来ました。

2015年8月8日土曜日

行事の多い日々



昨日は軽井沢会の音楽会、年に一度の行事です、この日も町のあちこちでイベントが軒並み、その割には観光客の中心地、軽井沢銀座はもう5時もすぎれば閑古鳥です。7時半からのコンサートですから、始まる前に食事を考えて、軽くコロッケでも食べようかとコロッケ屋まで上っていくともう閉店していました。仕方なく
ほとんどお客のいない「ちもと」に寄って、そばと団子を食べて、テニスコートの横を通って行くと、このユニオンチャーチのライトアップです。いや、ライティングでした。何をやっているのか、バスでの送迎があったようです。

その辺から軽井沢会会員らしいお年寄りがぞろぞろと軽井沢集会堂への道を歩いています。音楽会はギターの演奏で、なかなか楽しいものでした。幸い友達が家まで送ってくれて10過ぎには戻れました。

今日はこれはこれでまた軽井沢演劇部の公演に行かなければなりません。

2015年8月5日水曜日

福沢幸雄と雷雨から逃げた日々



今、午後5時ですが、雷鳴が聞こえています。今日は雨は降らないかも知れません。気温は下がってきました。

昨日はこの通りです、家の樋が切れたところから猛烈にシャワーになって雨が落ちてきてたちまち水溜まりです。しかし、幸いなことに地面は軽い石で表面が覆われていますからすぐに水は引きますので大丈夫です。もっとも、これ以上猛烈に降れば、床下浸水になりかねません。

もっともここ千ヶ滝は軽井沢の中でも雷雨が有名なところですから、驚くことはありません。子供の頃も良く雷雨があって、必ず駆け込む近所の別荘がありました。
廊下が広くて飛び込みやすかったのです。その時の遊び仲間に、あの若くして死んだカーレイサーの福沢幸雄がいたのです。

2015年8月3日月曜日

民度をあげてくれ、軽井沢のひとびと 



雷の季節になりましたが、昨日は大変な雷雨でした。実に自然のスペクタクルは猛烈です。地震、雷、火事、と言われますが、自然の力にはかないません。
どうも、人間は慢心もいいところで、その慢心は首相官邸もそうですが、軽井沢の町にも横溢しています。

「浅間山、関係ありませんよ、大したことはないのに騒がないでほしいね」「土砂崩れ、どこが崩れるっていうんですか、大丈夫ですよ」「観光客が減っている、一時的なもので心配することはありませんよ」

軽井沢も暑くなりました。「いや、これは全国的な暑さで、軽井沢もそのせいですよ。暑いといったって朝晩は涼しいし」、開発が進み、人家だらけになり、舗装の道が多くなり、車が溢れ、これが暑さを増していることに見てみない振りをしているのです。

軽井沢も民度が下がって、自分達で自分達の欲望を制御できなくなり、金になるからマンション建設ばやり、車に便利だから道路を舗装しろ、儲からなければ、不便なのは町の行政のせいにするような人達が増えてきました。神奈川県葉山町では「葉山芸術祭」が毎年行われていますが、このイベントをみると、軽井沢よりかなり民度が高いと感じます。

2015年7月31日金曜日

地獄から天国へ 避暑のすすめ



いくら冷房があっても、東京の酷暑には耐えられません。何故、日本人に避暑というライフスタイルが定着しないのか。別に金持ちのライフスタイルではありません。
日本にはもともと避暑の習慣が無かったため、戦前に一部特権階級によって西洋の模倣によって輸入されたものでした。そして、戦後の民主主義はこのライフスタイルを許容できず、冷房文化によって避暑文化は完全に排斥されてしまったのです。

今の軽井沢など避暑生活ができる状態では全くありません。せいぜい健全に年寄りなった人が少し昔を思い出して避暑をしているだけです。

私の友達でウイーンやトリノに住んでいるわれわれと同じ生活レベルのヨーロッパの友達は避暑が金持ちや特権階級だけのものではありません。素朴な田舎で避暑をしています。

日本には避暑が出来る場所はどこにでもあります。もう都会化した軽井沢は気温が高くなっていますので、地価や物価の高い軽井沢などは考えず、北海道から九州まで山の高度が高いところにいくらでも避暑生活が出来ます。ものすごい高級車を買っている日本人はささやかな避暑などはとても出来ないでしょうが、この酷暑は避暑を考え直す時期ではないでしょうか。

2015年7月26日日曜日

新しいレストランの前途は如何に



軽井沢も猛暑に近い暑さです。もちろん町の方は軽井沢銀座通りなどは35度を優に超えていると思います。その中で新しいレストランがロータリー横、川上庵の対面に出来ました。経営は川上庵、酢重と同じですから客の奪い合うことも無く、川上庵の行列が少しは緩和されるかも知れません。

この混雑、渋滞を喜んでいる商店や観光関係者に反省の機会を与え、町長の言う交流人口を増やすことを考えるにはまだ先に先でしょう。もちろん、浅間山がある程度の規模で噴火するとか、豪雨で水害や土砂崩れでも起きれば、町は一転して変わるでしょう。

人間の想像力は貧弱なもので、しかも極めて楽観的なものですから、実際に災害が起こってみなければ何も想像出来ないということです。そして、またすぐ忘れてしまう、戦争でもなってみなければわからないから、中国や韓国を挑発しまくる法律を憲法を無視してまで作ろうというわけです。

とにもかくにも、軽井沢はその日の客からできるだけぶったくろうという昔からの精神を捨てきれない以上、将来はないでしょう。

2015年7月25日土曜日

軽井沢の変遷、鶴見俊輔の死



この前の道は固有林に面しています。この道は旧草津街道です。昔はこの場所から浅間山が美しい姿を見せていました。戦後の植林で落葉松の林になって浅間の姿は消えました。植生、気候も大いに変わって、涼しい草原を風が渡る「上信越高原・軽井沢」は様変わりしました。今は逆にこの林によってなんとか涼しさを保っているという状況です。今日も気温は31.6度まであがりました。

午後、散歩しようと思いましたが、近所を歩くのがやっとでした。軽井沢にも縁のあった鶴見俊輔が亡くなったので、これで憲法九条の会の発起人はまたも重要な人物を失ったのです。93才という大往生ではありますが、存在感だけでも重要な人物でありました。

たまたま憲法九条の会の事務局長の小森陽一さんに一昨日会ったばかりでした。鶴見俊輔の残したものをどう考えるか、これからのわれわれの課題です。

せめて静に


せめて2日でも3日でも、酷暑の東京から逃れたい一心でなんとか軽井沢到着。紀ノ国屋に注文した、ささやかな一人一串もいかないような「うなぎ」の蒲焼きをかかえて新幹線に飛び乗ってやってきました。

いや、涼しい東京よりも、いや、暑い、こんな軽井沢では。

駅前の馴染みの「和助」さんに入ったら、おかみさんが扇風機をこちらに向けてくれて、「明日は33度の予報が出ていますよ、軽井沢で」と。


1時過ぎのしなの鉄道に乗って、ようやく家につきました。やはり、涼しいです。軽井沢町の町中よりかなり山に入っていますから、木々に囲まれて静にしていればいいのです。今様のイベントを追っ掛けて町を走り回る生活では、涼しいどころではありません。イベントだらけでますます面白くなくなる軽井沢という何とも皮肉な話ですが、こんな言い分は今の軽井沢住民、別荘民、観光客には全く通用しないでしょう。すべてが消費の世界です。何か買っていれば、見ていれば、参加していれば、
それで満足。人生はあとでそういう人達に手厳しい、恐ろしい復習をするのです。それが時間と歴史です。

2015年7月13日月曜日

プリンスホテル一人勝ち



軽井沢に来れば必ず寄る「江戸原ペンション」、お茶にいらっしゃいと必ず声を掛けてくれるありがたいオアシスです。ここでコーヒーを頂きながら、しばし、軽井沢町の情勢分析をします。

今日は、国際会議場の問題です。長年、町の懸案になっているのでしょうが、先日、町長より、中学校の建て替えなどの懸案を処理するのに精一杯で、自分の任期中に手をうつ考える気もないということで、「西武プリンスホテルの一人勝ち」はどうしようもないということです。

一方で江戸原ペンションなどが参加して、会議誘致を目的にプリンスも入って組織を作ったのですが、結局、大会議はプリンスがとりるが、そのおこぼれは加盟宿泊施設にまわってくるという互恵のシステムになっているようです。そこでは町に国際会議場を作らせる必要はないということでしょう。

われわれは今回のスイスとのシンポジュウムの開催にあっても予算の40%が、会議施設や通訳など、国際会議場があれば問題ない費用として外部に出ていくわけで、これではどうしようもないという気持ちです。

とにかく学会なども軽井沢は高くて混んでいて使えないというのが、やろうとすると必ず出てくる障害です。

2015年7月12日日曜日

車両故障のあおり。


夕方に軽井沢に着くと、わが家の明かりが見えると嬉しいですね。山登りをしていた頃、疲れ切って山小屋の灯が見えると本当にほっとしたものです。今日は午後1時から4時近くまで礒崎 新、中谷礼二の対談は予定を1時間近く超えました。内容が濃いだけに聞く方も力尽きる感じです。

やはり、軽井沢は涼しいですね。別天地です。でも日中はかなり暑かったようです。

東京駅についたとたんになにやらホームが一杯でした。これは変だと思いました。21番線に「あさま」が来ているはずなのに、「はくたか」が止まっていました。
やはり、車両故障で動かなくなっていました。たくさんの乗客が駅員を取り囲んで、いろいろ聞いていましたが、案外、乗客の皆さんは文句も言わず他の方法を考えたり、払い戻しに行っているようでした。

なんとか私の「あさま」は軽井沢に7分遅れで、バスに乗り遅れたもののなんとか「しなの鉄道」に乗り継いで、そのバスを中軽井沢で乗ることができました。

2015年7月6日月曜日

充実した軽井沢の日曜日



昨日はなかなかのよい日でした。11時開演の大賀ホールへ行こうとバスをまっていると、管理人の石川おじさんが通り掛かり、中軽で用事があるというのに、開場まで送ってくれました。コンサートは日本モーツァルト協会20周年記念ピアノコンサートで、仲道郁代がトルコ行進曲付きのK331と332、なにか少しミスタッチがあり上等とは言えませんでしたが、威張って演奏する横山幸雄、330,333 よりは良かったと思います。丁度、高円宮妃が来られていてその関係で藤巻町長も来ていたので開場で開演前、途中休憩で話しができました。また、帰りは玄関から出てきて見送ってくれました。

その後、写真のロータリーの酢重でお昼を食べて、デリカテッセンで夕食用ハム購入、軽井沢会の事務所にショー祭のパンフを届けたりして、三度屋さんに行き、念願の茶道具箱一式購入引き取りに行きました。すばらしい入門編茶道具を仕入れて下さっていて感激です。これから、お茶を点てて飲めるとなると、軽井沢の日々も代路楽しいものになるでしょう。

そこへ、なんと今日訪ねようと思って電話をしたらお留守だった片岡御夫妻が来られて、これまた楽しく歓談が出来ました。

さて、今日はこれから町の教育委員会で日本・スイス シンポジュウムの打ち合わせをして東京に戻ります。
これからのブログは軽井沢に戻るまで東京で書くことになりますので、明るい「迷・隠居志願」をご覧下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/atsuhiko88m

2015年7月4日土曜日

南原、国際高等セミナーハウスで古い友達が講演



南原にある国立情報学研究所、国際高等セミナーハウスで私の古い友達の月尾嘉男東大名誉教授の写真のような話がありました。彼はときどきテレビに出るのでご存知の方があると思います。

先住民の叡智ということで、文明が如何に人間をダメにしているか、あらゆる動物、あらゆる先住民族が教える叡智を彼は世界中をまわって身をもって体験してきての総括の一環でしょう。すべてが自然の循環にかかっていて、人間の文明がその循環を断ち切ってきているのです。顕著な例は極端に高い防波堤作りです。また、オーストラリアの焼き畑の禁止による山火事、中国の内モンゴルの漢民族移住による草原の砂漠化など世界中にひろがっています。

うちの近くの道の舗装化もその例です。軽井沢は私の子供の頃は草原でした。草原で涼しい高原だったのです。いまや木を切るなとただただ木を預かっても仕方がないのです。

2015年7月3日金曜日

環境破壊の道路舗装



軽井沢の家の横の道が舗装されるようです。車のためでしょうが、だれがこの道の所有か知りませんが、多分西武プロパティーズでしょう。誰が頼んだのか、この辺の住民か、この辺の別荘所有者か。車が汚れて困るとか、底を擦って困るとか言うほど素晴らしい外車を持っている人はまわりにいませんが。近所のペンションの人も、私が良質と判断している人達は反対しているようですが。

まず、ゆっくり歩く道がなくなります。犬を散歩するにしてもわきを通って行かなければなりません。
いつ車が飛ばしてくるかわからないからです。
歩行者の危険度が増します。

国道の千ヶ滝通りを迂回してこの道を通る車が断然多くなります。

舗装するので暑くなります。夏は暑く、冬は寒くなります。

もちろん、写真でご覧の通り、景観は悪化します。

この数年、軽井沢の環境は悪化の一途で都市化の悪い面が出てばかりいます。
いずれ中途半端な都市でもない、リゾートでもない中途半端な町として
過疎化していくでしょう。今では想像も出来ないことですが、それは
確かな軽井沢の未来です。

軽井沢の住民、別荘所有者、観光客、すべての民度が下がっているので、
将来を考えればこの見通しが当たるでしょう。

2015年6月6日土曜日

軽井沢の「町に出る」



天気が悪くなってきました。軽井沢も梅雨間近でしょうか。昨日は午後から打ち合わせがあるので、町に出ました。「町に出る」というのは私のいるところが中軽井沢駅から千ヶ滝通りを4キロほど登ったところなのです。

軽井沢の繁華街である軽井沢銀座のある旧軽井沢に行くには車で20分かかります。私は車を使いませんから、1時間に1本もないバスを利用すると500円かかります。
歩けば2時間半は掛かる距離で10キロ以上あります。タクシーは3,000円弱です。

今日の行程では千ヶ滝という別荘地にある家からバス停までは5分、11時16分のバスに乗って、軽井沢駅の一つ手前の「新道」で下ります、ここまで550円、ここから歩いて10分ほどで、ランチを食べるカフェ・イーナに行きます。ここでオーナーの中山君と情報交換です。

中山圭太郎君は各国の情報に通じています。今日は軽井沢にいる外国人の話になりました。いろいろな国の人もいますから良いこと悪いこといろいろあります。
ランチはセットで2000円というところです。奥さんの故郷のブラジル料理の定番、ムケカのセットを頼みます。食後のお茶はモロッコを思い出して、ミントティーにしました。

ランチを済ませて、打ち合わせ場所のお宅に向かいます。歩いて5,6分のところに気持ちの良い新築の別荘があり、明るい部屋のテーブルで4人の会議です。

会議は3時前に終わり、そこから夜の食材を購入するため「スーパーまつや」まで歩きます。20分ほど掛かります。買い物を終えて、スーパーの前にあるバス停で
3時38分のバスを待ちます。雨が大降りになってきました。

今日も同じように午後、アメニティ2000協会というNPOの関東支部の軽井沢下見会があり、それに顔を出すために「町にでる」ことになります。

2015年6月5日金曜日

油屋視察



今日は信濃追分の油屋に東京から直行です。頼んでいた本はオーナーが関西の実家の法事から戻ったところで寝ていて手に入りませんでしたが、一応、監事を仰せつかっているので久しぶりに内部の検分もさせて貰いました。

イルディコさんというハンガリー出身の女性の画家が作品を展示している中村さんのギャラリー・スペースに行き、本人が居合わせておしゃべりすることも出来ました。

軽井沢ナショナルトラストの大久保会長も来ていて、テラスでオーナー夫人裕子さんの飲み物の接待をうけました。大久保会長とは仕事の打ち合わせも出来ました。

油屋が人々の交差点になってきていることは実に嬉しい限りです。

2015年5月31日日曜日

軽井沢で国際シンポ、え?



軽井沢に戻ってきましたが、どうやら夏の気配、普通の年であれば、まだ、つつじもこれからというのに、なんと、もう花が落ちつつあるのです。これにはがっくりです。

お昼を食べてから、直ぐに江戸原ペンションに行き、光夫さん、弘子さんご夫妻にコーヒーを入れてもらいました。これがなんとも嬉しい時間です。この夏にやるスイスと日本の学者によるシンポジウムのために軽井沢は何が出来るか、会議施設や会議に来るための人達の対応ができるのか、いろいろ聞いて見ると、全く何も出来ないことがわかりました。

彼等が会議を誘致したいのは光夫さんの話によると結婚披露宴が減ってきているので、そのためにどうするかということで、中身は何もわからないということのようです。特に学会、国際学会などについての知識は全くないようです。

これで、サミットでも来てくれて対応してみるとすこしはわかるか、あるいはサミットが来ても国が頭越しでやるので、なにも理解出来ないままで終わるかわかりまん。

2015年5月5日火曜日

レイモンドの軽井沢



聖パウロ教会、軽井沢にあるアントニン・レイモンドの傑作の一つです。久しぶりに見に来ましたが、前からではなく、後ろからの姿を撮ってみました。するとなんとも美しいシルエットが浮かんできました。この特徴のある設計は彼の生まれ故郷のチェコの田舎にある木造の教会を模していると思い込んでいましたが、どうも北欧の教会ではないかという話もあります。

軽井沢にはレイモンドの設計した建物が4つ残っていますが、公開されている聖パウロ教会、夏の家の2つのうち、「夏の家」はペイネ美術館として使われていて、肝心のレイモンドの設計の全貌は見られません。移築した関係から、南北の位置が変わっていたり、ペイネの絵を良く見せるために外光を遮蔽したり、建築の関係者としては泣きたいほどひどく扱われています。

一昨日もレイモンドの最後の弟子の建築家とまたもその話が出てました。見に来る建築家だれも、これはひどいと言って怒るのです。建築関係者以外はレイモンドの業績を知らないか、思い出すこともないのでしょう。

このブログは長い間お休みをしていましたが、軽井沢にいるときにはこれを使って軽井沢の話題を書こうと思います。出来れば一般的な軽井沢ではなく、私の長い軽井沢体験を通して、面白いはなし、難しい話に挑戦してみようと考えています。

日常のブログは玉村豊男に付けてもらった「迷・隠居志願」と題して次のURLで書いていますので興味のある方はそちらも見て下さい。
bogs.yahoo.co.jp/atuhiko88m

明るい「迷・隠居志願」で検索して頂いた方が良いかも知れません。